董大に別る <高 適>
読み方
董大に別る <高 適>
十里黄雲 白日曛し
北風雁を吹いて 雪紛紛
愁うる莫れ前路 知己の無きを
天下誰人か 君を識らざらん
とうだいにわかる <こう せき>
じゅうりおううん はくじつくらし
ほくふうかりをふいて ゆきふんぷん
うれうるなかれぜんろ ちきのなきを
てんかたれびとか きみをしらざらん
見渡す限り黄色がかった黄昏(たそがれ)の雲が垂れこめ、太陽の光さえも薄暗い。北風は空ゆく雁の群れを吹き送り、雪まで紛々と降りしきる。
このような夕べ、君は別れて遠く旅するのであるが、董大よ、君の行く先に親友がいないなどと心配しなさるな。天下に琴の名手である君の名を知らない人は誰一人としていないのだから。
他郷にも知人はいるからサア元気を出して
作られた時期や二人の関係は不詳であるが、北風、雁、雪などの語から作者がチベット討伐(とうばつ)に当たっていた成都尹・剣南陝西節度使のころかもしれない。
前半の二句は、寒さのしみる初冬の風景だが、同時に、空をいく雁に北風や雪が吹きつけるごとく、董大がこれから歩む人生で味わう辛苦のほどを暗示している。後半の二句は、君は孤独なんかではない、琴の名手で長安では知らない人はいないほどの腕前だったというから、あちらに行っても君を慕う人はたくさんいるんだと励ましている。送別詩として有名な「元二を送る」(王維)の結句と比較すると面白い。王維は「(君が)陽関を出るともう知人はいないだろう」と言い、こちらは「知人はいくらでもいるだろう」と送る。両者とも心から旅人を慰め励ましていることに変わりはない。
河南省開封市に祀(まつ)られている所は三賢祠(さんけんし)と呼ばれ、李白、杜甫、高適の三詩人が旅をした場所でもある。
節度使について
官名。唐・宋時代に異民族に備え軍政と行政をつかさどる地方長官。710年に初めて置かれた。唐の玄宗の時には10の辺境地に置いて治安にあたらせた。755年の安禄山(3地域を束ねる節度使)の乱以降はさらに増加したが、元(げん)の時代に廃止された。
仄起こり七言絶句の形であって、上平声十二文(ぶん)韻の曛、紛、君の字が使われている。
| 結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
|---|---|---|---|
高 適 702?~765
盛唐の政治家・詩人
字は達夫(たっぷ)また仲武(ちゅうぶ)。山東省浜州(ひんしゅう)の人。河北省滄州(そうしゅう)の人ともいわれる。若いころ不遇で貧しかった。天宝3年(744)蜀で杜甫、李白と相知り、年50歳ごろから詩を作りはじめた。いろいろの官職を歴任し、刑部侍郎(けいぶじろう=法務省次官)まで進んで、最後は渤海侯(ぼっかいこう)になったともいわれる。生涯の多くを軍隊生活で送ったので辺塞詩を得意とした。豪壮にして節義を重んじた性格を反映して詩にも気高く古風でみやびやかで勢いが盛んで、気骨があり重厚である。「高常侍集(こうじょうじしゅう)」10巻がある。
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