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御厨 貴MIKURIYA Takashi:在當前的政治環境下,日本面臨一片荒涼、茫然無措的未來。

《朝日新聞》

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訪談/
  • 御厨 貴MIKURIYA Takashi
:在當前的政治環境下,日本面臨一片荒涼、茫然無措的未來。

INTERVIEW/
  • 御厨 貴MIKURIYA Takashi
Takashi Mikuriya: Under current politics, Japan faces desolate, rudderless future

作者:池田真一/特約撰稿人

2025年9月8日17:21(日本標準時間)

飛漲照片/插圖禦廚隆(攝影:北村麗奈)

政治學家禦廚隆表示,首相石破茂政府的垮台只是日本政治弊病的症狀。

在國會選舉中連續失利後,石破茂試圖繼續掌權,但最終迫於執政的自民黨內部的壓力而辭職。

在最近接受《朝日新聞》採訪時,精通明治時代(1868-1912 年)以來日本政治史的御廚屋表示,日本現在面臨著一片荒涼的景象,沒有明確的方向,而造成這種困境的主要原因是兩大政黨。

與執政聯盟和反對黨陣營的政治人物關係密切的御廚,分享了他對石破茂及其近一年執政的看法,以及日本政治的未來走向。

以下是訪談節錄:

***

問:首相石破茂宣布辭職,同時,自民黨內部要求提前舉行領導層選舉的呼聲日益高漲。接下來會發生什麼事?

禦廚:石破內閣從一開始就很弱,在7月參議院選舉後,由於黨內鬥爭,最終垮台。但我們現在看到的不僅僅是一個內閣的垮台。

如今,戰後80年,日本建立兩黨制的夢想──其政治家們一直不懈追求的目標──終於破滅了。

自1955年自民黨和社會黨建立「1955年體制」以來,1990年代的政治改革投入了巨大的精力來建立一個能夠輪流執政的兩黨制。

然而現在,在我們面前展開的是一片荒涼的景象,未來一片迷惘。

問:在7月的參議院選舉中,國民民主黨和三成黨都取得了顯著進展,推進了多黨政治格局。您如何看待這些發展?

答:比起多黨制的發展,兩大政黨──執政的自民黨和主要反對黨立憲民主黨──的衰落難道不是更大的問題嗎?

歷史上也曾出現政府在參議院選舉失利後垮台的情況。然而,當時自民黨內部的一些有影響力的人物往往會在競選的最後階段暗示,是時候結束本屆政府的執政,進行變革了。

這一次,首相石破茂不斷宣稱要繼續執政,政治局勢徹底失控。現今的自民黨既缺乏昔日的智慧,也失去了曾經擁有的權力結構。

我還要強調,身為第二大黨和主要反對黨的基督教民主黨也處於混亂狀態。

即使在參議院選舉前的國會會議上,立憲民主黨也未能利用其第二大黨的地位,完全沒有發揮任何領導作用。

問題不在於中等規模的政黨正在崛起,而是最大和第二大政黨失去了領導地位。

問:您去年12月25日在首相官邸會見了石破茂首相。他說了什麼?

A:是的,我們面對面坐著,聊了50分鐘。

石破首相進屋後說的第一句話是:“這裡真安靜啊!”

在石破茂先生擔任首相之前,我曾多次與他會面。我也曾多次造訪首相官邸,並與各界人士會面,無論是在自民黨執政時期還是在日本民主黨執政時期。

但我從未見過如此安靜的首相辦公室。一個國家最高領導人的辦公室怎麼可能如此安靜呢?

問:你這話是什麼意思?

答:可能從戰前開始,無論哪個政府執政,日本首相官邸總是人來人往,各種想法和資訊層出不窮。這很正常,對吧?

各部會、各機構的官員以及各界人士紛紛將自己的想法和理想帶到首相辦公室,積極競相實現,這完全合情合理。過去,首相辦公室總是充滿活力。

但去年底,首相辦公室裡完全沒有這種感覺。彷彿首相辦公室空無一人。我認為這代表著日本政壇前所未有的危機。

問:石破內閣是否缺乏活力?

答:石破茂先生自幼便有自己的想法和政策,想必也有很多想在首相任期內實現的抱負。他是一位積極倡導政治改革的政治家,甚至一度退出自民黨。他曾多次競選自民黨總裁,最後在局勢極為艱困的時期當選首相。

9月2日,在自民黨參眾兩院聯席會議上,首相親自道歉,稱他「失去了『石破茂』的品質」。

問:後人將如何評價石破茂執政約一年的時間?

答:自民黨成為少數執政黨後,其政府採取了以往自民黨執政時期從未有過的措施來治理國家。自民黨沒有更換執政聯盟夥伴,而是先依靠民進黨,後來又依靠日本維新黨的合作,才使預算案在國會獲得通過。

自民黨試圖為新時代建立新的政治秩序,但在這個過程中遇到了死胡同。

參議院選舉後,該黨未能果斷確定自身發展方向,也未能向公眾表明明確立場,導致事態拖延至今。

問:日本政治未來的走向如何?

答:除了爭論誰將接替石破茂在自民黨總裁選舉中擔任領導職務之外,所有政治人物、專家、評論員和普通民眾,無論黨派大小,都需要考慮未來的政治秩序。我們需要超越現有的框架、立場和成見,打破禁忌進行探索。

我們必須避免日本議會民主制度從根本上徹底崩潰。

***

三廚隆史,1951年出生,是日本近代政治史學者,東京大學榮譽教授,東京都立大學榮譽教授。

他的著作包括《權力之殿堂漫步》、《日本政治史論》和《平成風雲錄》(1989-2019)。

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2025年11月18日,星期二

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石破茂的聲明試圖解釋日本未能避免戰爭的原因。

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石破茂的聲明試圖解釋日本未能避免戰爭的原因。

朝日新聞

2025年10月10日19:20(日本標準時間)

飛漲照片/插圖10月10日,首相石破茂在首相官邸舉行的記者會上發表了個人感言,紀念二戰結​​束80週年。 (岩下武志攝)

即將卸任的首相石破茂於10月10日發表個人感言,紀念二戰結​​束80週年,並提出了一個引人深思的問題:“為什麼日本沒能避免那場戰爭?”

石破茂曾任防衛大臣,顯然希望自己的名字能與這一歷史性里程碑聯繫起來——儘管是在事後——就像他的前任們在重要周年紀念日所做的那樣。

石破茂以過去每十年內閣批准的聲明的歷史視角為基礎,自50週年紀念以來,親自提出了自己的歷史回顧,並概述了吸取的關鍵教訓。

這份題為「值此戰爭結束 80 週年之際」的文件長達約 6 頁 A4 紙,超過了以往週年紀念聲明的篇幅。

這指的是1995年紀念戰爭結束50週年的「村山宣言」、10年後的「小泉宣言」以及2015年紀念戰爭結束70週年的「安倍宣言

石破茂在首相官邸舉行的記者會上發表了自己的看法。

石破茂在致詞中承認,他也「繼承」了過去聲明中表達的歷史認知,這些聲明提到了日本的「殖民統治和侵略」、「深感懊悔」和「由衷的道歉」。

然後,他談到了一個在先前的聲明中沒有充分探討過的話題:“為什麼日本不能避免那場戰爭?” 

他指出,在過去三屆週年紀念聲明中,「很少提及為什麼那場戰爭無法避免」。他說,他決定「值此80週年之際,與日本人民一起」發表個人反思,探討這個問題。

石破茂首先指出戰前帝國憲法存在結構性缺陷,缺乏「文官控制」原則──即政治必須凌駕於軍事之上。

然後,他分析了三個關鍵領域:“政治”、“議會”和“媒體”,並引用了具體的歷史例子。

在政治方面,他提到了 1935 年由憲法學者、貴族院議員美濃部達吉提出的「天皇機關論」引發的爭議。

根據帝國憲法,此理論認為主權屬於作為法人實體的國家,皇帝以「國家最高機關」依據憲法統治。

石破指出,當時的岡田圭佑內閣“屈服於軍方要求,摒棄了之前主流的天皇機關論”,並表示“政府失去了對軍隊的控制”。

關於國會,石破茂提到了 1940 年眾議院議員齋藤隆夫因發表批評戰爭的「反戰演說」而被驅逐出議會的事件。

石破強調,“議會也失去了控制軍隊的功能。”

關於媒體,石破茂表示,從 1931 年滿洲事變前後開始,媒體「轉向積極支持戰爭」。

他指出,「報紙廣泛報道」關東軍佔領中國領土,「這令許多公民感到震驚,並進一步助長了民族主義」。

根據這項分析,首相總結了「當今需要吸取的教訓」。

他承認戰後日本已經建立了文官統治,但他警告說,“這只是一個制度,如果沒有正確的實施,它是毫無意義的。”

他寫道:“我們絕不能重蹈覆轍,讓情緒和精神上的判斷凌駕於冷靜和理性的決策之上,從而導致國家走上歧途。”

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石破茂講話警惕軍國歷史 (本田善彥)

新思維及其他專欄

日相石破茂發表戰後八十年講話,警惕軍國主義歷史,毋忘當年國會被軍方控制的歪路,以史為鑒。

本田善彥,資深媒體人,旅台作家,前中廣海外部記者兼播音員,聲優。中文版著作有《保釣運動全記錄》、《台灣人的牽絆》。

電郵: hondabccjpn@yahoo.co.jp

 

日相石破茂十月十日傍晚召開記者會,說明他想抒發對「戰後八十年所感(心得\感想)」,可謂實現了他長久以來的心願。他在談話中詳細論述當年的日本帝國政府、議會的體制為何無法避免戰爭。石破表示;造訪過廣島、長崎、以及沖繩,聆聽當地居民之心聲,也到現場看了不少戰爭的傷痕,後來他整理了自己有所感的內容。他說:「(前日相)田中角榮先生曾道過:『只要親身經歷過那場戰爭的人還在社會的核心,這個國家就沒問題。真正可怕的是他們都不在的時候』,我認為,這句話對當今的日本而言極其重要。」石破強調說:正如我在聯合國大會一般性辯論演說中所提到的那樣,若不能正面面對歷史,就無法開創光明的未來,我深深地如此相信。

石破說明:這是針對(已故前首相安倍晉三)七十週年談話中所提出的「為何(政治系統)未能發揮作用」這一問題所進行的討論。他指出,未能避免上一場戰爭(二戰)的背景在於「制度上並不存在文人統制的原則」。石破強調:擁有直接面對過去的勇氣與誠實、包容精神的真正自由主義,以及健全而堅韌的民主主義,是最為重要的。

石破將無法避免戰爭的問題,分為(一)大日本帝國憲法、(二)政府、(三)議會、(四)媒體等方面,詳細分析。他指出,大日本帝國憲法所規定的統帥權「逐漸被擴大解釋,並被軍方作為排除政府與議會干預與統制的手段加以利用」。「所感」中也提及當時發表「反軍演說」的眾議院議員齋藤隆夫被除名一事,並點到:原本應該發揮對軍隊統制作用的議會,也逐漸喪失了其功能。石破同時指出,媒體的論調自滿洲事變發生之後也轉變為積極支持戰爭,「煽動了輿論,最終導致國民被引向一場魯莽的戰爭」。

即將卸任的石破之「所感」並未經過內閣會議的決定,因此與戰後五十年、六十年、七十年的「首相談話」性質不同。由已表明辭職意向的首相發表此種「所感」,在自民黨內部也出現了反對意見。特別是新任自民黨總裁高市早苗所代表之「安倍嫡系」的國家主義者(多數媒體將高市們形容為「保守派」,但其本質為基於實用主義的右翼\極右國家主義和復古主義者,並非信奉保守價值的)對石破「所感」表示強烈的反感,內容聚焦於日本走向魯莽戰爭的背景,顯示出對黨內右派的某種顧慮。

已故前日相安倍晉三於二零一五年的戰後七十週年談話中指出,不應讓未來世代「背負持續道歉的宿命」,試圖為對中韓一再道歉的「道歉外交」劃下某種句點。自民黨內右派對石破可能「覆寫」安倍談話的做法抱持警戒態度。高市也在總裁選舉期間表示,戰後八十年所感是「沒有必要的」,直接予以否定。在這種黨內氛圍之下,石破刻意避免使用「反省」或「道歉」等對外表述,並明確表示將繼承歷代內閣的歷史認識。同時,他未經內閣會議決定,強調這是一份「個人見解」。然而,石破在自民黨總裁與首相分屬不同人、政權不穩定的末期發表此份所感,此番談話不僅展現石破們之「自省力」,同時導致即將頗有可能成立之高市政權的反動性更加突顯。政壇知情人士評估:「所感」最終在黨內可能留下了難以化解的裂痕。

雖石破明確表示:在歷史認識方面,包括反省與道歉等情感在內,繼承歷代內閣的立場,但因為未提及殖民統治或侵略,部分國人質疑,認為其中缺乏足夠的反省與道歉誠意。與九月二十三日在聯合國大會發表的演說相比,石破的「所感」著重於「為何無法阻止戰爭」這一點,主要是面向日本國內的視角。雖然在北京與首爾的關注度相對較低,但看似仍獲得了一定程度的肯定。據日媒報道,鳳凰衛視指出,石破於明知黨內右派將會強烈反彈的情況下,仍決定發表「所感」,並形容這是他「在卸任前特意準備的告別之詞」。北京外交界人士表示:雖然石破茂在談話中對戰爭反省提及的不多,但是能在右派的強大壓力之下仍發表這份「所感」,這一態度值得肯定。

在韓國首爾方面,韓聯社以「繼承歷代內閣的歷史認識」為標題,同時指出「日本政府將大部分內容放在分析為何未能防止戰爭上」。也有媒體介紹他不顧自民黨內右派反對、以個人見解發表談話的經過,報道中既帶有正面態度,也流露出些許意猶未盡的評價。

避免日本再走向戰爭

我認為,石破「所感」,看似在論述過去,實則是在探討當前的問題。其對於「歷史修正主義」、「民粹主義」以及「狹隘民族主義」的批判,難道不正是立足於保守派的價值觀,並針對「企圖再次走上戰爭道路」的當前政治所提出的批判嗎?

另外,遠東國際軍事法庭是針對日本的侵略與殖民行為的審判。然而,對於擴大日中戰爭和太平洋戰爭等魯莽的戰爭、動員並將眾多日本國民推向死亡的帝國政府,至今仍未有法庭追究其責任。石破於「所感」中所提及的思維,是否在我們今後繼續思考帝國政府「失敗的本質」上,不也將成為一個里程碑? ▇

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戦後80年、歴史認識は「引き継ぐ」 石破茂首相の所感全文

【動画】戦後80年の所感を発表する石破首相=代表撮影

戦後80年、歴史認識は「引き継ぐ」 石破茂首相の所感全文


 石破茂首相は10日夕、首相官邸で記者会見を開き、「戦後80年に寄せて」と題した所感を読み上げた。

 歴代内閣が戦後談話で示した歴史認識は「引き継ぐ」とした上で、「なぜ、あの戦争を避けることができなかったのか」を「国民とともに考えたい」として検証する内容だ。首相官邸が配布した所感の文書の全文は次の通り。

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     ◇

(はじめに)

 先の大戦の終結から、80年が経ちました。

 この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。

 私は、3月の硫黄島訪問、4月のフィリピン・カリラヤの比島戦没者の碑訪問、6月の沖縄全戦没者追悼式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問、8月の広島、長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦の反省と教訓を、改めて深く胸に刻むことを誓いました。

 これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継いでいます。

 過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。

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 国内の政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。

 第一次世界大戦を経て、世界が総力戦の時代に入っていた中にあって、開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。

 政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜(むこ)の命を犠牲とする結果となってしまったのか。米内光政元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか。

 戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います。

大日本帝国憲法の問題点)

 まず、当時の制度上の問題が挙げられます。戦前の日本には、政治と軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。

 大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度上存在しなかったのです。

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 内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班とされつつも、内閣を統率するための指揮命令権限は制度上与えられていませんでした。

 それでも、日露戦争の頃までは、元老が、外交、軍事、財政を統合する役割を果たしていました。武士として軍事に従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコントロールすることができました。丸山眞男の言葉を借りれば、「元老・重臣など超憲法的存在の媒介」が、国家意思の一元化において重要な役割を果たしていました。

 元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えたのちには、大正デモクラシーの下、政党が政治と軍事の統合を試みました。

 第一次世界大戦によって世界に大きな変動が起こるなか、日本は国際協調の主要な担い手の一つとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代の政府の政策は、幣原外交に表れたように、帝国主義的膨張は抑制されていました。

 1920年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされています。

 従来、統帥権は作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算や体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼(ほひつ)事項として解釈運用されていました。文民統制の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いわば運用によってカバーしていたものと考えます。

(政府の問題)

 しかし、次第に統帥権の意味が拡大解釈され、統帥権の独立が、軍の政策全般や予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。

 政党内閣の時代、政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党は国民の信頼を失っていきました。1930年には、野党・立憲政友会は立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約の批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。

 しかし、1935年、憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉の天皇機関説について、立憲政友会が政府攻撃の材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。ときの岡田啓介内閣は学説上の問題は、「学者に委ねるより外仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部の要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説を否定する国体明徴声明を二度にわたって発出し、美濃部の著作は発禁処分となりました。

 このようにして、政府は軍部に対する統制を失っていきます。

(議会の問題)

 本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます。

 その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤議員は1940年2月2日の衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争の目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説は陸軍を侮辱するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員は同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数で斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有(けう)な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままとなっています。

 議会による軍への統制機能として極めて重要な予算審議においても、当時の議会は軍に対するチェック機能を果たしていたとは全く言い難い状況でした。1937年以降、臨時軍事費特別会計が設置され、1942年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院・貴族院とも基本的に秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およそ審議という名に値するものではありませんでした。

 戦況が悪化し、財政がひっ迫する中にあっても、陸軍と海軍は組織の利益と面子(メンツ)をかけ、予算獲得をめぐり激しく争いました。

 加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者や青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。

 五・一五事件や二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会や政府関係者を含む文民が軍の政策や予算について自由に議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません。

(メディアの問題)

 もう一つ、軽視してはならないのはメディアの問題です。

 1920年代、メディアは日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代の石橋湛山は、植民地を放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃から、メディアの論調は、積極的な戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。

 1929年の米国の大恐慌を契機として、欧米の経済は大きく傷つき、国内経済保護を理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。

 深刻な不況を背景の一つとして、ナショナリズムが昂揚(こうよう)し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界においても、自由主義、民主主義、資本主義の時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義や国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。

 こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地を占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムは更に高まりました。

 日本外交について、吉野作造は満州事変における軍部の動きを批判し、清沢洌は松岡洋右による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、その後、1937年秋頃から、言論統制の強化により政策への批判は封じられ、戦争を積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。

(情報収集・分析の問題)

 当時、政府を始めとする我が国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があります。例えば、ドイツとの間でソ連を対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、1939年8月、独ソ不可侵条約が締結され、ときの平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報を収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。

(今日への教訓)

 戦後の日本において、文民統制は、制度としては整備されています。日本国憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています。

 内閣総理大臣が内閣の首長であること、内閣は国会に対して連帯して責任を負うことが日本国憲法に明記され、内閣の統一性が制度上確保されました。

 さらに、国家安全保障会議が設置され、外交と安全保障の総合調整が強化されています。情報収集・分析に係る政府の体制も改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます。

 政治と軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権の独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくまで制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。

 政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断の努力が必要です。無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持(きょうじ)と責任感を持たなければなりません。

 自衛隊には、我が国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊の運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的に説明し、意見を述べることが求められます。

 政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります。組織が割拠、対立し、日本の国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍と海軍とが互いの組織の論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令と軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。

 政治は常に国民全体の利益と福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相当の心配はありますが、この大病を癒(いや)すには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。

 政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアです。

 国会には、憲法によって与えられた権能を行使することを通じて、政府の活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます。政治は一時的な世論に迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。

 使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要です。先の大戦でも、メディアが世論を煽(あお)り、国民を無謀な戦争に誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狭なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません。

 安倍元総理が尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治の蹂躙(じゅうりん)、自由な言論を脅かす差別的言辞は決して容認できません。

 これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズム、健全で強靱(きょうじん)な民主主義が何よりも大切です。

 ウィンストン・チャーチルが喝破したとおり、民主主義は決して完璧な政治形態ではありません。民主主義はコストと時間を必要とし、ときに過ちを犯すものです。

 だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。

 自衛と抑止において実力組織を保持することは極めて重要です。私は抑止論を否定する立場には立ち得ません。現下の安全保障環境の下、それが責任ある安全保障政策を遂行する上での現実です。

 同時に、その国において比類ない力を有する実力組織が民主的統制を超えて暴走することがあれば、民主主義は一瞬にして崩壊し得る脆弱(ぜいじゃく)なものです。一方、文民たる政治家が判断を誤り、戦争に突き進んでいくことがないわけでもありません。文民統制、適切な政軍関係の必要性と重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。政府、議会、実力組織、メディアすべてがこれを常に認識しなければならないのです。

 斎藤隆夫議員は反軍演説において、世界の歴史は戦争の歴史である、正義が勝つのではなく強者が弱者を征服するのが戦争であると論じ、これを無視して聖戦の美名に隠れて国家百年の大計を誤ることがあってはならないとして、リアリズムに基づく政策の重要性を主張し、衆議院から除名されました。

 翌年の衆議院防空法委員会において、陸軍省は、空襲の際に市民が避難することは、戦争継続意思の破綻(はたん)になると述べ、これを否定しました。

 どちらも遠い過去の出来事ではありますが、議会の責務の放棄、精神主義の横行や人命・人権軽視の恐ろしさを伝えて余りあるものがあります。歴史に正面から向き合うことなくして、明るい未来は拓(ひら)けません。歴史に学ぶ重要性は、我が国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている今こそ、再認識されなければなりません。

 戦争の記憶を持っている人々の数が年々少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている今だからこそ、若い世代も含め、国民一人一人が先の大戦や平和のありようについて能動的に考え、将来に生かしていくことで、平和国家としての礎が一層強化されていくものと信じます。

 私は、国民の皆様とともに、先の大戦の様々な教訓を踏まえ、二度とあのような惨禍を繰り返すことのないよう、能(あた)う限りの努力をしてまいります。

令和7年10月10日

内閣総理大臣

石破 茂

全面檢討戰前體制 日相石破茂發表二戰80週年談話:銘記歷史教訓、與國民一起反思

全面檢討戰前體制 日相石破茂發表二戰80週年談話:銘記歷史教訓、與國民一起反思
2025-10-10 18:34
杜宗熹
日本首相石破茂10日發表二戰80週年談話。圖為石破茂過去記者會的資料照。(美聯社)
日本首相石破茂10日發表二戰80週年談話。圖為石破茂過去記者會的資料照。(美聯社)
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接續過去的首相精神
全面檢討戰前體制
日本二戰後的改變
確保悲劇不在重演

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雖然日本自民黨新總裁高市早苗已被選出,但日本現任首相石破茂,仍刻意選在今年的10月10日,也就是我國的「雙十國慶」當天,發表他以總理身份提出的「戰後80週年看法」。他在週五的記者會上,全面檢討了二戰前日本政府和社會「失能」的原因,並表明「我願與日本國民一起反思。」

接續過去的首相精神
根據日本《產經新聞》刊出的全文,石破茂10日下午特地在日本首相官邸在召開記者會,發表了其對第二次世界大戰的「看法」。他表示將延續歷任首相所表達的歷史意識,「我們必須始終在歷史面前保持謙卑,並深刻地汲取歷史教訓」。石破茂也重申,他與日本國民「將汲取上次戰爭的各種教訓,並盡一切努力確保此類悲劇不再重演。」

石破茂提到,今年3月他曾造訪硫磺島、4月造訪菲律賓戰爭死難者紀念碑、6月出席沖繩的「全體戰爭死難者追悼會」和參觀「姬百合和平紀念資料館」、8月還出席了日本廣島和長崎「原子彈爆炸遇難者追悼會」,以及出席8月15日「戰爭結束紀念日」的國家戰爭教訓和追悼會等活動,「我再次要銘刻在戰爭的教訓和上次戰爭」。

而對於這次發表「戰後80年看法」的理由,石破茂也指出,他繼承了日本歷屆內閣關於歷史認識的立場,但在先前,也就是二戰結束50週年、60週年和70週年的三次聲明中,幾乎沒有提及二戰「無法避免」的原因。他認為,日本二戰前的帝國憲法、日本政府、國會、媒體等各個領域,都無法阻止二戰的爆發,需要反思。

全面檢討戰前體制
石破茂說,二戰前的日本,並沒有一個「政治和軍事有效結合的體制」。根據大日本帝國憲法,當時的最高統帥部,即軍隊指揮權,被視為獨立的領域,而「文官治軍」的原則,即政治與軍隊關係中,政治人物或文官,必須始終處於優先地位的原則,在制度上並不存在。


然而,石破茂認為,當二戰前最高指揮權的含義逐漸擴大,最高指揮權的獨立性,被當時的日本軍方,用作消除政府和議會對軍事政策和預算的參與和控制的一種手段時,「政府就失去了對軍隊的控制」。此外,石破茂也認為,原本應對軍隊實施控制的日本議會,在當時也正在失去職能。而「儘管戰爭情況惡化、財政緊張,陸軍和海軍仍在為預算而激烈爭鬥,將組織利益和聲譽置於危險之中」。

值得一提的是,石破茂也談及了日本在二戰前的媒體問題,他指出,1920年代,日本媒體對日本的海外擴張,原先持批評態度,例如知名記者石橋湛山,甚至主張日本應該放棄殖民地,「然而,在滿洲事變(九一八事變)前後,媒體的基調開始轉向積極支持戰爭。這是因為戰爭報道「賣座」,報紙發行量大幅增加」。

在此背景下,石破茂認為,當日本關東軍一部分部隊發動了「滿洲事變」(九一八事變),並僅用一年半的時間,就佔領了相當於日本本土數倍的土地後。由於此事被報紙廣泛報道,雖然令日本許多人感到失望,但當時的民族主義情緒也進一步高漲。

他還提到,當時也有一些對日本外交家對此做出過尖銳的批評,例如日本政治學者吉野作造,就對「滿洲事變」期間的軍方行為做出批評。日本記者清沢洌和外交官松岡洋右,也對日本退出國際聯盟做出嚴厲批評,「然而,自1937年秋左右起,言論審查制度趨於嚴格,對政策的批評被禁止,只有積極支持戰爭的意見才能向公眾傳播」。

日本二戰後的改變
石破茂指出,戰後日本已將「文官控制軍隊」的做法制度化。現在的日本憲法規定,日本首相及其他國務大臣,必須由文官出任。此外,《自衛隊法》規定日本自衛隊由首相指揮,「過去,由於政治與軍隊缺乏有效銜接機制,軍隊以獨立指揮權的名義各自為政,為此付出了慘痛代價」。

石破茂說,「我們必須汲取歷史教訓」,政治必須始終考慮整個國家的利益和福祉,並力求基於長遠視角做出理性的決策。而議會和媒體的角色是監督政府,防止其做出錯誤的決定。

在媒體方面,石破茂認為,「我們需要一個健康的言論自由空間,包括具有使命感的新聞業」。因為在二戰中,媒體煽動輿論,導致日本陷入一場不計後果的戰爭,「我們絕不能陷入過度的商業主義,絕對不能容忍狹隘的民族主義、歧視或仇外心理」。

而針對目前日本政治和社會「向右轉」的環境,以及日漸累積的情緒,石破茂也說,必須始終在歷史面前保持謙卑,並深刻地汲取歷史教訓,「我們不能容忍,包括安倍前首相失去寶貴生命在內,任何暴力政治行為,也不能容忍威脅言論自由的歧視性言論」。


確保悲劇不在重演
石破茂也引用日本二戰前國會議員齋藤隆夫,在1940年在國會「反軍演說」的內容指出,「戰爭不是正義的勝利,而是強者戰勝弱者。他認為,我們不能對此視而不見,打著聖戰的旗號,在國家百年長遠規劃上犯下錯誤。」

他強調,擁有戰爭記憶的人正逐漸減少,這些記憶也面臨逐漸淡忘的危險,「我相信,尤其是在現在,如果包括年輕一代在內的每一位(日本)國民,都積極思考那場戰爭以及和平的意義,並將這些知識運用到未來,我們作為和平國家的基礎將會更加牢固」。

石破茂最後也說,「我將與日本人民一道,汲取上次戰爭的各種教訓,並盡一切努力確保此類悲劇不再重演。」




日本新领导人想要拥有核武器 | 观点


日本新领导人想要拥有核武器 | 观点

日本新任首相石破茂希望日本拥有世界上最具破坏力的武器。9月,在当选执政的自民党主席之前,石破茂与哈德逊研究所分享了他的观点。他呼吁组建“亚洲版北约,确保对中国、俄罗斯和朝鲜的核同盟具有威慑力”。他还提议“美国共享核武器或将核武器引入该地区”。石破茂的言论标志着数十年来东京政策的逆转,一些人认为石破茂甚至希望日本自己制造这种武器。

自10月1日就任首相以来,他的语气已变得温和,这反映出这样一个现实:日本是唯一遭受过核武器攻击的国家,几乎没有人希望本国拥有如此可怕的武器。

当然,挪威诺贝尔委员会希望日本不会获得这些奖项。本月 11 日,委员会宣布将和平奖授予日本广岛和长崎原子弹爆炸幸存者的草根组织“日本飞团共”。委员会表示,该组织致力于实现“一个无核武器的世界”。

该委员会赞扬日本飞团协“通过证人证词表明绝不能再次使用核武器”。

日本
2024 年 10 月 9 日,日本首相石破茂抵达日本东京,参加参议院委员会会议。石破茂解散众议院,举行定于 2024 年举行的提前选举……  大隅良典/盖蒂图片社

如果诺贝尔委员会想确保这些核武器永远不会再次引爆,那么它就不应该把奖颁给日本飞团协,而应该颁给石破茂。尽管每个人都希望世界能够拆除所有核武器,但现实是,目前,裁军并不是通往和平的道路。

距离日本不远的两个核国家正在迅速增加核武库规模。五角大楼在 2022 年 11 月的一份报告中 预测,到 2035 年,中国核武库将增加四倍,从约 400 枚增至 1,500 枚。战略概念与分析公司著名核分析师詹姆斯·豪预测,到 2035 年,中国将拥有 3,390 至 3,740 枚核武。国际评估与战略中心的理查德·费舍尔研究了导弹和潜艇等运载平台的快速增长,认为中共政权将拥有更多核武。他估计 2035 年将拥有 7,000 枚。无论数量如何,每个人都一致认为,中共政权正在崛起。正如时任美国战略司令部司令的海军上将查尔斯·理查德在 2021 年所说,“我们正在目睹中国战略突破。”

然后是朝鲜民主主义人民共和国。据朝鲜中央通讯社报道,金正恩9 月初表示,他的国家正在实施一项“成倍增加”核武器数量的计划。这无疑是夸大其词,但毫无疑问,金正恩的核武库正在快速增加。

在中国和朝鲜不断加强核力量的同时,日本的另一个邻国俄罗斯不断威胁要在乌克兰战场上使用战术核武器。拜登政府在3月份发布的机密《核使用指南》中命令五角大楼为与中国、俄罗斯和朝鲜的协同核对抗做好准备。这份文件代表了拜登观点的惊人逆转。

然而,韩国人并没有得到美国在条约中承诺保卫他们的保证。金容铉在 9 月 2 日举行的国防部长任命听证会上表示,他对韩国发展核武器持“开放”态度。“这是所有可能的选择之一,”金容铉宣布。

韩国人当然同意新任国防部长。盖洛普韩国民意调查公司 2 月份公布的一项民意调查显示,73% 的民众支持拥有核武器

但日本民众对新首相的观点却不那么支持。“石破茂是日本政坛的异类,多年来一直在说‘尖锐的’、几乎‘挑衅的’话,”《当中国进攻时:对美国的警告》一书的作者格兰特·纽沙姆本月告诉我。“日本制造自己的核武器将引起国内的轩然大波。”

东京 Nexial Research 的兰斯·加特林 (Lance Gatling) 在谈到新领导人有关核武器的言论时写信给我说:“国际上会面临巨大的政治反对,不仅来自中国和朝鲜,而且还有来自石破茂试图加入日本亚洲版北约的那些国家的反对。”

难怪石破茂在诺贝尔奖公布后不久就大加赞扬。他:“这个奖项将授予一个多年来一直致力于废除核武器的组织,这非常有意义。”石破茂随后强调了核威慑的必要性

最终,石破茂可能会在核武器问题上得逞,尤其是日本官员对美国决心的不信任日益加深的情况下。纽瑟姆说:“拜登团队没有做任何事情来说服日本会支持美国。”

凭借大量的钚和铀储备以及技术诀窍,日本可以在数月、甚至不到一年的时间内制造出一枚核弹。

威慑的必要性显而易见。石破在哈德逊研究所接受采访时表示:“我国周边的地缘政治危机已经升级到随时可能爆发战争的地步。”

美国国家威慑研究所的彼得·休西在诺贝尔奖公布后告诉我:“民主国家需要更多核武器。阻止侵略者使用核武器的唯一方法是拥有核武器并愿意使用它们。这就是威慑的意义所在。”

Gordon G. Chang 是《红色计划:中国摧毁美国的计划》和《中国即将崩溃》的作者。请在 X 上关注他@GordonGChang

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