「大東亞戰爭」一詞本來是戰爭目的的名稱,而不是像「大東亞」這樣的廣義或區域名稱。 1941年,內閣新聞局在決定「大東亞戰爭」名稱時宣布:
即將到來的美英戰爭,包括中國的變化,稱為東亞大戰。稱之為大東亞戰爭,是指旨在建立大東亞新秩序的戰爭,並不意味著將戰爭區域主要限制在大東亞。
有關當前戰爭的名稱、和平時期戰爭的劃界期限等事項。(1941 年 12 月 12 日)
之所以稱為大東亞戰爭,是因為這是一場建立大東亞新秩序的戰爭。
那麼,什麼是「大東亞新秩序」呢?名義上是為了“把亞洲從西方列強的殖民統治下解放出來”,但實際上目的是為了爭奪戰爭資源、建立霸權。
正如這張地圖所示,唯一被承諾「獨立」的地區是那些已經建立了傀儡政府的地區,而目前生產石油和橡膠等許多戰爭資源的馬來西亞和印尼大部分地區都被證實了。成為日本領土。即使在1943年舉行的大東亞會議上,也沒有邀請馬來亞或印尼的代表。
「馬來」、「蘇門答臘」、「爪哇」、「婆羅洲」和「西里伯斯」被認定為帝國領土,並努力開發這些地區並掌握輿論作為重要資源。
大東亞政治指導綱要(1943 年 5 月 31 日)
這個指導方針是保密的,暫時沒有公佈,而且被揭露對於「建構大東亞秩序」和「尊重自治獨立」的事業極為不便。
。不僅如此,日本軍隊還在大東亞共榮圈各地強迫勞動、殺害、強姦當地民眾,還以各種方式壓迫當地民眾,引發抗日騷亂和獨立運動。 。
呼籲共存共榮的當地居民被稱為“Domin”,日本在各個地區中發揮著主導作用,並且假定日本也會決定他們的獨立性。) 。一位對日本軍隊解放該國寄予厚望的印度尼西亞居民回憶說,日本人會“稱他們為白痴,並打他們的頭。對於印度尼西亞人來說,頭是神聖的,應該受到尊重。” ”一名騎自行車被憲兵抓獲並拘留一周的男子表示,「憲兵隊的暴力和殘忍超出了正常範圍。」「我真的很難理解日本人為什麼要這麼做。」類似這樣的事情。」他回憶道。
(剪斷)
他們也聚集居民作為勞工,讓他們到各地工作,例如修建鐵路和公路。許多人死於艱苦的勞動、食物短缺和傳染病。一名在緬甸鐵路工地受僱於日軍的男子表示,“四五個人同時成群結隊地死於霍亂”,“日本人不注重健康”工人的。
在菲律賓,軍方高層警告他們,已經發生了多起針對女性的性侵事件。一位軍官看到一名軍官對婦女傲慢的行為,在日記中感嘆道:“在這種情況下,我們也許能夠征服國家,但治理起來將極其困難。”
這是其他答案中引用的印尼教科書。
現代日本和過去的日本有很大不同。日本曾經是個殘酷的侵略者。 (...) 在日本佔領期間,印尼人民遭受苦難。因為日本是比荷蘭更卑劣的侵略者。 (我的翻譯)
由於當地人被迫工作,印尼語保留了“Romusha”(勞動者)和“Kinrohoshi”(勞動服務)等詞。
很快我們就明白了,日本軍隊的目的不是解放我們,而是竊取戰略物資。日本的統治是殘酷而貪婪的。他們被剝奪了大米和其他食物,並被迫種植蓖麻子以獲取石油。鐵製品也被徵用。此外,許多人被帶到緬甸、泰國等遙遠的地方當勞工(romusha),許多人無法返回家鄉。此外,年輕人也被徵召入平步輔助隊(日軍輔助人員),還在上學的年輕人則被調入青年團。
日據時期是前所未有的艱難時期,但印尼人民堅持了下來。食物變得稀缺,衣服變得破爛不堪,許多人甚至穿著棕櫚纖維織物。各地都充滿了沮喪的聲音,有些地方甚至出現了公開的叛亂,例如新加坡(西爪哇)和勿裡達(中爪哇)。
印尼地理與歷史教科書考試(別木敦彥)
即使在被日本軍隊從美國殖民統治下解放出來、受邀參加大東亞會議並承諾獨立的菲律賓,也存在著強烈的反日情緒。
我去菲律賓時注意到兩件事。這意味著菲律賓人對日本的情緒比預期的要差。簡單來說我不知道這是好事還是壞事,但實際上是壞事。我們當時很天真,認為這是政客某種程度的政治政策問題,但其實這是一個問題。例如,如果我去參加聚會,或去餐館,發現那個男孩是日本人,我總是告訴他。我的父親被殺,我的兄弟被殺,我的房子被燒毀。這是日本人在戰爭期間所做的。我仍然稱之為“日本跳躍jatupu”。例如,如果你上車後發現你是日本人,司機就會說些什麼,聚會上的婦女和老太太仍然對你有很大的敵意。
第13屆國會眾議院僑民遣返及家屬支援調查特別委員會第9號(1952 年 3 月 12 日)
事實上,有很多人正在死去。雖然並非所有的破壞都是日本軍隊直接造成的,但造成的人為損失卻遠遠大於西方殖民時期,自然會留下一個重大的災難源頭。
戰後70年:數字作證:數據中的太平洋戰爭(摘要版) - 每日新聞
從上述史料來看,「大東亞新秩序」、「將亞洲從西方殖民統治中解放出來」等標語,其實只是美化日本統治亞洲的幌子,我們不得不評價。流行的觀點。
也就是說,“大東亞戰爭”一詞的本義是“日本帝國稱霸亞洲的戰爭”,是一個美化侵略的詞。因此,考慮到歷史,戰後自然會避免使用它。確實,佔領日本的GHQ基於勝利者的邏輯禁止了它的使用,但這不是本質。
當「大東亞戰爭」這個詞變得無法使用時,歷史學家首當其衝。美國政府的官方術語「太平洋戰爭」不能包括中日戰爭或東南亞戰爭。然而,「第二次世界大戰」包括歐洲和非洲等遙遠的國家,日本並沒有直接參與其中。
我想找一個詞來形容“日本直接捲入的、以整個亞洲地區和太平洋為戰場的戰爭”,但“大東亞戰爭”是對侵略的美化而且意識形態色彩太濃,不宜使用。歷史學家過去常常使用「太平洋戰爭」一詞作為次優或最後的手段,但這被批評為「不尊重甲午戰爭」和「歷史學家的疏忽」。批評聲隨之而來。
徵三郎信夫在《世界》雜誌(第453期)上發表了有關“太平洋戰爭”和“大東亞戰爭”的文章,認為“大東亞戰爭”這個名稱不恰當另一方面,考慮到“十五年戰爭」一詞尚未被廣泛接受,「太平洋」一詞的缺點在於它集中在與美國和英國的戰爭。他指出,他在書中被迫使用「戰爭」一詞,因為這是「下一個最好的方法”(Ienaga)、“方便”(Rekiken),並且作為一名歷史學家,他批評這種態度是“疏忽”和“懦弱”,他自己也認為使用“大東亞戰爭”這個名稱是“常見的做法”。 ”並沒有立即證明日本的侵略是合理的,而是“戰爭的實際狀況”。““大東亞戰爭”一詞被用作最廣泛地涵蓋“大東亞戰爭”的術語.”
(剪斷)
1984年12月,副島正一在大阪歷史科學會的研究會上作了題為《中日戰爭與太平洋戰爭》的報告,提出使用“亞太戰爭”這一術語。副島將這份報告作為論文發表在1985年11月出版的《歷史科學》(第102期)上,題為「中日戰爭與亞太戰爭」。副島在這篇論文中表示,他「基本上支持」中西的觀點,並為這場戰爭提出了一個新名稱:「亞太戰爭」。
關於「十五年戰爭」和「亞太戰爭」名稱的產生和發展 安井三好(現代中國學,2016)
1984年至1985年,「大東亞戰爭」一詞開始以否定戰前意識形態的形式復活,同時又從「亞太戰爭」的角度提出「亞太戰爭」一詞。
延續這一趨勢,2011年防衛研究所研究員莊司純一郎編寫了所謂的「莊司報告」。
目前,“太平洋戰爭”一詞已被大眾廣泛使用,但未來,12月8日之後包括中國戰線在內的這場戰爭的合適名稱將是“大東亞戰爭”,之後否認意識形態”或“亞太戰爭」是合適的。
日本戰爭指定問題研究(正司純一郎)
此舉自然遭到了強烈批評。
- 首先,如果使用與戰前入侵名稱完全相同的詞,就不能說是「否定意識形態」。
- 其次,即使我們將“大東亞”解釋為“大東亞”,但到達美國西海岸和悉尼港的戰場也不能被納入“東亞”。
- 第三,無論立場如何,都不可能完全「否定意識形態」。
「大東亞戰爭」一詞並沒有直接回應這種批評。而且,這份《正司報告》是防衛研究所的研究員撰寫的。針對戰前回歸意識形態和歷史修正主義,他們準備了「這次大東亞戰爭與戰前戰爭不同」、「這是一場否定意識形態的大東亞戰爭」等藉口。 '' 我想是這樣。
現在,讓我們來看看相關的範例貼文。
如果您已經讀到這裡,您可能知道這篇文章包含很多問題。
- 如果把本文中的「大東亞戰爭」理解為戰爭目的的懷舊名稱
- 美國是亞洲的殖民國家,是戰爭目標完全對立的一方。
- 硫磺島在戰前就一直是日本領土,美軍是侵略日本領土的敵軍。
- 如果這篇文章中的「大東亞戰爭」被理解為一個「否定意識形態」的廣泛的地區名稱
- 將太平洋戰區的硫磺島納入「大東亞」並沒有什麼實際好處。
- 從戰鬥死亡人數來看,硫磺島並不是「最大的戰場」。
戰爭結束後,盟友和敵人握手的情況並不少見,我不會否認這一點,但說出戰爭的目的是很困難的。回到「大東亞戰爭」這個名字的真正意義,日本感謝「解放」了其前殖民地的國家,例如菲律賓、越南、馬來西亞、緬甸和印度尼西亞,並舉行了我們應該共同紀念「英雄精神」。但是,我不能那樣做。這不但不可能,反而在硫磺島這片美國侵占的領土上,與美國這個本該站出來驅逐的殖民強國的首領,舉行了聯合追悼會,將美國士兵視為「英雄精神」。顯然,「大東亞戰爭」一詞作為戰爭目的的名稱已經失敗。
如果你說它是用作廣域名稱,那你就無知了。且不說戰場規模,單論傷亡人數,南京、上海、因帕爾等地比硫磺島還要大。然而,如果稱硫磺島為“大東亞戰爭最偉大戰役的發生地”,那就太無知了。
然而,陸上自衛隊真的那麼無知嗎?
也許他們故意忽視南京、上海和因帕爾的損失,並自信地使用「大東亞戰爭」這個詞。假裝「否認意識形態」。
如果真是這樣,我不禁想知道真正的意圖是什麼。因此,最近出現的「大東亞戰爭」這個詞是正確的,而且實際上應該受到強烈的批評。
綜上所述,「大東亞戰爭」一詞有以下特點。
- 它原本是用於戰爭目的的名稱,有頌揚侵略的意思。
- 如果用作廣域名稱,則不宜使用與戰爭目的名稱完全相同的名稱。
- 即使我們完全否定戰爭目的的細微差別,也不可能作為一個廣泛的區域名稱來涵蓋整個太平洋地區。
用於戰爭目的的名稱已經失敗了,那麼為什麼不使用與廣域名稱完全相同的名稱呢?既然如此,就可以使用不同的名稱,事實上,「亞太戰爭」這個名稱自20世紀80年代以來就已被提出。
另一方面,對於堅持「大東亞戰爭」名稱的人來說,可以觀察到以下邏輯:
- 「太平洋戰爭」是美國取的名字,「大東亞戰爭」是日本起的名字,從日本的角度來看,這並不奇怪。
- 「大東亞戰爭」是一個廣義的名稱,它表示與「太平洋戰爭」或「第二次世界大戰」不同的地理概念,因此它是一個恰當的術語來指稱日本直接參與的戰爭。涉及。
- 「大東亞戰爭」這個字的使用只是GHQ禁止的,本來就沒有問題。
1和2都不明白「大東亞戰爭」本來就是戰爭目的的名稱。不僅如此,他們還對日本軍隊打著「大東亞新秩序」的旗號在亞洲各地搞的歷史事實一無所知。如果你敢採取這種立場,就難逃歷史修正主義的罪名。有人持兩種觀點,但日方所起的「大東亞戰爭」本來就是一個戰爭目的的名稱,與它作為一個廣域名稱的含義是不相容和矛盾的。對於3,無非是一種陰謀論,無視其解禁後仍被避免使用的原因,將問題轉移到「GHQ的禁令」上。因此,1至3都不能作為使用「大東亞戰爭」一詞的理由。如果是強行允許的話,前提是「大東亞戰爭」是為了戰爭目的而起的一個名稱,而且在面對日本在「大東亞戰爭」中的所作所為的事實之後才敢使用它。戰爭」作為一個純粹的廣域名稱被使用,但正如已經解釋過的那樣,即使作為一個廣域名稱,它也沒有涵蓋整個戰區,並且是用來美化入侵的名稱。 ,按原樣使用具有完全不同的意思。
相反,如果你敢以這種程度的論調頑固地使用“大東亞戰爭”一詞,並在受到批評時表現出特別強烈的反應,那麼真正的意圖是別的,所陳述的理由是“中立”的。事實上,很少有文章使用「大東亞戰爭」一詞來思考日本對戰爭的責任,或討論日本人實施的強迫勞動、強暴和屠殺等問題。
因此,「大東亞戰爭」並不是形容日本直接捲入二戰的戰爭的恰當用語。這不是一個可以被視為「不自然」的問題。不過,我們自然會懷疑那些頑固堅持「大東亞戰爭」的人是否有回到戰前或改變歷史的想法。就像自衛隊的例子。
註腳
長雖長,但戰場本來就很大,這是歷史社會唯一有共識的術語,所以我認為我們應該忽略長度,優先傳播。
「大東亜戦争」という語は、そもそも戦争目的名称であって、「大きな東アジア」という広域・地域名称ではありません。1941年、「大東亜戦争」という名称を決定する際に、内閣情報局が以下のとおり発表しています。
今次の對米英戰は、支那事變をも含め大東亞戰爭と呼稱す。大東亞戰爭と呼稱するは、大東亞新秩序建設を目的とする戰爭なることを意味するものにして、戰爭地域を主として大東亞のみに限定する意味に非ず
今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ関スル件(1941年12月12日)
「大東亜新秩序」を建設するための戦争だから、「大東亜戦争」なんですね。
では、「大東亜新秩序」とは何だったのか。一応の大義名分として、「欧米列強による植民地支配からアジアを解放する」構想、だと言われていたんですが、現実には戦争資源の確保と、そのための覇権の確立が目的でした。
(資料:大東亜政略指導大綱 より)
こちらの地図に示されているとおり、現に「独立」が約束された地域は傀儡政権が樹立された地域のみであり、石油やゴムなど多くの戦争資源を産出する現マレーシアやインドネシア地域の大半は日本領となることが確定していました。1943年に開かれた大東亜会議にも、マレーやインドネシア地域からは代表者が招かれていません。
「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し重要資源の供給源として極力これが開発並に民心の把握に努む
大東亜政略指導大綱(1943年5月31日)
この指導大綱は「当分発表せず」と秘匿されており、つまり「大東亜秩序の建設」「自主独立の尊重」という大義名分に非常に都合の悪いものだったことが明らかにされています
。のみならず、日本軍は「大東亜共栄圏」の各地で現地人に労働を強制、殺人や強姦を働いたほか、さまざまに現地人を虐げていたため、反日暴動や独立運動が発生し始めます。
共存共栄を呼びかけた現地住民を「土民」と呼び、日本が中心となって各地域を指導し、その独立も日本が判断することが前提となっていました(海軍省調査課「大東亜共栄圏論」)。日本軍による解放に期待したインドネシアのある住民は、日本人は「バゲロー(馬鹿野郎)と言って頭を叩くのです。インドネシア人にとって、頭は神聖で敬うべきものなのです」と振り返っています。自転車に乗っていて憲兵隊に捕まり一週間拘禁された男性は、「ケンペイタイは、常軌を逸するほど、乱暴で残酷でした」「日本人はどうしてこんなことをするのか、本当に理解に苦しみました」と回想しています。
(中略)
また、住民を労働者として集め、鉄道や道路建設など、様々な場所で働かせました。過酷な労働、食料不足や感染症で多くの人が亡くなりました。ビルマ(現在のミャンマー)の鉄道建設現場で日本軍に雇われたある人物は、コレラで「同時に4、5人もがかたまって死んでいく」「日本人は労務者の健康にはまったく注意を払わない」と記しています。
フィリピンでは、女性への性的暴行が多くあったとして、部隊の上層部から注意が促されています。女性に対し横暴に振る舞う将校を見たある軍人は、「これでは征服は出来るかもしれないが、治政は到底困難だ」と日記で嘆いています。
こちらは他の回答でも引いたインドネシアの教科書。
現代の日本とかつての日本は大きく違う。かつての日本は残酷な侵略者であった。(中略)日本の占領中、インドネシアの人々は苦しんだ。日本がオランダよりも卑劣な侵略者だったからだ。(拙訳)
現地人を強制的に労働させたため、インドネシア語には「Romusha」(労務者)、「Kinrohoshi」(勤労奉仕)という言葉が残っています。
まもなく日本軍の目的はわれわれの解放よりは戦略物資の掠奪にあることが判ってきた。日本の統治は残酷であり, 貪欲であった。米その他の食料は奪われ, 油をとるためにはヒマを強制的に栽培させられた。鉄製品も徴発された。さらに多数の人間が労務者 (romusha) として遠くビルマ, タイに連行されて労働させられ, 再び故郷に帰れなかったものも多い。さらに青年はヘイホ兵補 (日本軍の補助要員) に徴集され, 在学中の若者は青年団に編入された。
日本の占領時代はかつてなかったほどの苦難の時であったが, インドネシア民族は我慢した。食料は不足し, 衣類はボロボロになってやしの繊維の織物を身にまとうものさえ多くなった。 至るところ失望の声がうずまき, 場所によってはシンガパルナ (西ジャワ), ブリタル (中部ジャワ) でのように, 公然たる叛乱さえ起った。
インドネシアの地理 ・歴史教科書の検討(別技篤彦)
日本軍によってアメリカの「植民地支配」から解放され、「大東亜会議」にも招かれ、「独立」を約束されたはずのフィリピンにさえ峻烈な反日感情がありました。
フィリピンに行きまして気のつきますことが二つあります。それはフィリピンの対日感情が予想以上に悪いということです。これは端的に言つていいか悪いかわかりませんが、実際に悪いです。われわれは非常に甘く考えまして、政治家のある程度の政策土の問題だろうと思いましたが、実際に悪いです。たとえばパーティをやつたり、あるいはレストランなんかに行きましてボーイや何か、日本人だとわかれば必ず言います。私のおやじが殺されたの、兄弟が殺されたの、家が焼かれた。これは戦争中日本人がやつた。日本人ジヤツプジャツプと今でも言います。それからたとえば自動車に乗つて、日本人だとわかれば、運転手が言いますし、宴会などで女、ばあさんは、まだなかなか敵愾心が残つております。
第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第9号(昭和27年3月12日)
実際、これだけの数が死んでいるわけです。すべてが日本軍による直接被害ではないにしろ、「欧米」の植民地時代よりはるかに巨大な人的被害が生じているわけで、当然大きな禍根を残すことになります。
戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(ダイジェスト版) - 毎日新聞
以上のような史料からみて、「大東亜新秩序」や「欧米の植民地支配からアジアを解放する」などという看板は、実際には、日本のアジア支配を美化するための建前に過ぎなかったと評価せざるを得ませんし、事実それが通説ともなっています。
つまり、「大東亜戦争」という語は、本来的に「大日本帝国がアジアを支配するぞ戦争」という意味が込められた言葉であり、侵略を美化する言葉になります。したがって歴史を踏まえれば戦後の使用が忌避されるも当然でしょう。日本を占領したGHQが勝者の論理で使用を禁止したことは事実ですが、それは本質ではありません。
「大東亜戦争」という語が使えなくなると、真っ先に困ったのは実は歴史家たちでした。米政府公式の「太平洋戦争」では、日中戦争や東南アジア地域の戦争を包含できない。だからといって「第二次世界大戦」では、日本が直接関与していない遠くヨーロッパやアフリカまで包含してしまう。
「日本が直接関与した、アジア全域と太平洋を戦場とする戦争」を示す言葉が欲しいが、「大東亜戦争」は侵略の美化であり、イデオロギー色が濃過ぎて使えない。歴史家たちは次善の策、苦肉の策として「太平洋戦争」という語を用いたりしていたのですが、これに対しては、「日中戦争を軽視している」「歴史家の怠慢」という批判が上がりました。
信夫清三郎は雑誌『世界』(第453号)に論文「太平洋戦争」と「大東亜戦争」を発表して(中略)「大東亜戦争」の呼称は侵略を正当化することにつながり不適切で使用しないが,他方で「十五年戦争」という呼称がまだ一般に浸透していない現実を考慮して,米英との戦いを主とし中国との戦いを軽視するという点で不十分な「太平洋戦争」という呼称を「次善の方法」(家永),「便宜的」(歴研),「従来から一般化している」(木坂)という理由でやむなく著書に使用することにしたという点を取り上げ,このような態度は歴史家として「怠慢」「怯儒」 だと批判し , そして自らは「大東亜戦争」の呼称の使用がただちに日本の侵略を正当化するものではなく,「戦争の実態を最も広く蔽いうるものとして「大東亜戦争」の呼称を用いている」と主張した。
(中略)
副島昭一は,1984年12月、大阪歴史科学協議会の研究会で,「日中戦争と太平洋戦争」と題する報告を行い,その中で「アジア・太平洋戦争」という呼称を用いるよう提起した。 副島は,この報告を1985年11月発刊の『歴史科学』(第102号)に「日中戦争とアジア太平洋戦争」と改題し,論文として発表した。この論文において副島は中西の見解を「基本的に支持」するとしたうえで,「アジア太平洋戦争」という新しい呼称を提唱した。
「十五年戦争」と「アジア太平洋戦争」の呼称の創出とその展開について 安井三吉(現代中国研究、2016年)
84年から85年にかけて、「大東亜戦争」という語が戦前のイデオロギー性を否定した形で復活し始め、同時に、これを批判する立場から、「アジア太平洋戦争」という言葉が提唱されるようになってきた、という流れがありました。
この流れを受け継ぐ形で、2011年に防衛研の研究官であった庄司潤一郎がいわゆる「庄司レポート」をまとめます。
現時点では「太平洋戦争」が広く一般に普及しているが、今後の展望として、12月8日以降の中国戦線を含めた戦争の適切な呼称は、イデオロギー性を否定したうえで、「大東亜戦争」もしくは「アジア・太平洋戦争」の使用を検討するのが適切ではないかと思われる。
日本における戦争呼称に関する問題の一考察(庄司潤一郎)
当然、これには強い批判が寄せられました。
- 第一に、戦前に侵略の美名として用いられていた語とまったく同じ語を用いるならば、それは「イデオロギー性を否定」しているとはいえない。
- 第二に、「大東亜」を「広域東アジア」と解するにしても、アメリカ西海岸やシドニー湾にまで至った戦場は「東アジア」に包含できない。
- 第三に、どのような立場であっても、完全に「イデオロギー性を否定」することなど不可能である。
「大東亜戦争」という語はこうした批判に真っ向から応えるものではありません。その上、この「庄司レポート」は防衛研の研究官が書いたものです。戦前回帰思想や歴史改変主義に対し、「この『大東亜戦争』は戦前のものとは違う」「これはイデオロギー性を否定した『大東亜戦争』だ」などという正当化の口実を用意したのでははないか、とも思えます。
さて、問題になった例のポストを見てみましょう。
ここまでご覧になった方ならばお解りかと思いますが、このポストには多くの問題が含まれています。
- 本件ポストにおける「大東亜戦争」が、懐古主義的な戦争目的名称であると解する場合
- アメリカはアジアを植民地支配していた側であり、全く対立した戦争目的を持つ側である。
- 硫黄島は戦前から日本領であり、アメリカ軍はその日本領に攻め込んできた敵軍である。
- 本件ポストにおける「大東亜戦争」が、「イデオロギー性を否定した」広域名称であると解する場合
- 太平洋戦域の硫黄島を「大東亜」で包含する実益に乏しい。
- 戦死者数でいうならば、硫黄島は「最大の激戦地」ではない。
戦後、敵味方が握手を交わすなんて光景は珍しくありませんしそれを否定もしませんが、戦争目的名称ってのはこういう難しさがあります。「大東亜戦争」という名前の本義に立ち返れば、日本は「解放した」旧植民地であるフィリピン・ベトナム・マレーシア・ミャンマー・インドネシアなどの各国から感謝され、合同慰霊祭をして、互いの「英霊」を讃えあうべきなんですよ。ところがそれができない。できないばかりでなく、立ち上がって追い出したはずの植民地支配の親玉であったところのアメリカと、そのアメリカが攻め込んできた自国領たる硫黄島で合同慰霊祭をして、米兵を「英霊」扱いしている。すでに戦争目的名称としての「大東亜戦争」は破綻していることが明らかです。
もし、広域名称として使っているのだ、というならば無知に過ぎます。戦場の規模はいうに及ばず、死傷者数ならば南京、上海、インパールなど硫黄島よりも大きなところはいくらでもあります。にもかかわらず、硫黄島を「大東亜戦争最大の激戦地」というならば、あまりにも無知に過ぎる。
しかし、果たして陸上自衛官がそこまで無知でしょうか。
もしかしたら、南京や上海、インパールの被害を意図的に無視し、確信的に「大東亜戦争」という語を用いたのかもしれません。「イデオロギー性を否定」しているように装って。
だとしたら、そこにはどんな真意があったのだろうか、と考えずにはいられません。したがって、今般の「大東亜戦争」という用語は批判されて当然であるし、むしろ強く批判されるべきものです。
以上から、「大東亜戦争」という言葉には次のような性質が認められます。
- 本来戦争目的名称であり、侵略を美化する意味を含んでいる。
- 広域名称として用いるならば、戦争目的名称とまったく同じものは不適切である。
- 仮に戦争目的のニュアンスを完全に否定したとしても、広域名称として太平洋域をカバーしきれない。
戦争目的名称はすでに破綻している、だからといって全くの同名を広域名称とするのもどうか、そもそも広域名称としても太平洋域をカバーし切れない。ならば別の名前を使えばよく、事実そのために「アジア太平洋戦争」という名称が80年代以降提唱されてきました。
一方で、「大東亜戦争」という名称に固執する人には、たとえば次のような論理が観察できます。
- 「太平洋戦争」はアメリカがつけた名前である一方、「大東亜戦争」は日本がつけた名前であるから、日本側からの視点として使う分にはおかしくない。
- 「大東亜戦争」は「太平洋戦争」や「第二次世界大戦」とは異なる場所的概念を示す広域名称であるから、日本が直接関与した戦争を示す語として適切である。
- 「大東亜戦争」という語の使用はGHQによって不当に禁止されていただけであり、もともと問題はない。
1も2も、「大東亜戦争」が本来戦争目的名称であることを理解していません。のみならず、「大東亜新秩序」の名の下にアジア全域で日本軍が何をしてきたかという歴史的事実についても無知に過ぎるでしょう。敢えての態度であれば歴史改変主義の誹りを免れません。両方を論拠とする人も散見しますが、そもそも日本側が命名した「大東亜戦争」は戦争目的名称であり、広域名称としての意義は両立せず矛盾します。3については、禁止が解けて以降も使用が忌避されてきた理由を無視し、問題を「GHQの禁止」に転嫁する一種の陰謀論に過ぎません。したがって、1〜3いずれも、「大東亜戦争」という語の使用を正当化する根拠にはなり得ません。強いて許容できるとすれば、「大東亜戦争」が戦争目的名称であることを前提とし、その「大東亜戦争」において日本が何をしてきたかという事実に向き合った上で、敢えて純然たる広域名称として用いる場合の「大東亜戦争」ですが、既に説明したとおり、広域名称としても全戦域をカバーしきれていない上に、侵略を美化するために用いられていた名称を、全く異なる意味としてそのまま用いて良いのかという問題があります。
むしろこの程度の論拠で、敢えて頑なに「大東亜戦争」という語を用い、批判を向けられれば殊更に強硬な反発を示すのならば、真意は別にあり、掲げられた理由は「中立」を装うための建前に過ぎないのではないか、と疑わざるを得ません。事実、「大東亜戦争」という語を用いながら日本の戦争責任を考える意見や、日本軍によるアジア各地での強制労働や強姦、虐殺などの問題を考える論考など、まずお目にかかることはできないのです。
よって、「大東亜戦争」は第二次世界大戦において日本が直接関与した戦争を示す言葉としては適切とはいえません。これは「違和感」で片付けられる問題ではないのです。それでも頑なに「大東亜戦争」にこだわる人には、戦前回帰思想や歴史改変思想があるのではないかと疑われるのも無理はないでしょう。今回の自衛隊の例のように。
脚注