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金大中的細緻對日外交給韓國青瓦台和民主黨一個嚴重的教訓


【コラム】緻密な金大中の対日外交、韓国大統領室と民主党に重い直球で教訓与える(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップ共同宣言」に合意した金大中大統領と小渕恵三首相が1998年、東京迎賓館で開かれた韓日首脳会談で握手している。 [中央フォト]

「21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップ共同宣言」に合意した金大中大統領と小渕恵三首相が1998年、東京迎賓館で開かれた韓日首脳会談で握手している。 [中央フォト]

◆金大中を育てた木浦で金大中-小渕を追跡する

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「第15代大統領後広金大中(キム・デジュン)先生の出身学校」。8日、第58期卒業生が贈呈したという碑石が学校の正門の前で訪問客を迎えた。全羅南道木浦市龍塘洞(モクポシ・ヨンダンドン)のモクサン高等学校、過去には木浦公立商業学校や木浦商高と呼ばれた。校内外では金大中元大統領の息が聞こえるようだ。正門周辺の小山には「行動する良心」と刻まれた全身の造形物が建てられている。その左右には「金大中内乱陰謀事件最後陳述」「金大中大統領語録」などの碑石がある。本館の建物の前には大統領在任中の1999年に自ら書いた「弘益人間」の碑文が残っている。

◆李鍾賛元国家情報院長へのインタビューで木浦訪問へ


1924年に全羅南道新安郡(シアンアングン)の荷衣島(ハイド)で生まれた金大中は小学生だった1936年に木浦に引っ越した。1939年当時、5年制だった木浦公立商業学校に入学し、1943年に戦時特別措置で早期卒業した。

木浦は都市全体が金大中と共にしている。金大中が少年・青年時代を過ごし、国会議員に2回当選した政治的故郷だ。金大中の家族が過ごした万戸洞(マンホドン)の家には「少年金大中の勉強部屋」が再現されている。山亭洞(サンジョンドン)には彼の生涯を追跡した金大中ノーベル平和賞記念館がある。それよりも先に学校を訪問したのは、先日インタビューをした李鍾賛(イ・ジョンチャン)元国家情報院長の言葉が耳に残っていたからだ。「1998年の国賓訪日の圧巻は過去に師匠に会った金大中の姿だった。モクサン高(木浦商高)当時の日本人先生に会って『私が豊田』と言った。金大中の日本語の姓が豊田ということを私も初めて知った。その金大中の態度で日本の雰囲気ががらりと変わった」。


◆日本人の恩師に「豊田です」

現在、韓国の外交は突風の中にある。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の対日外交をめぐり政界と国民が半分に割れた。双方が正面から対立するこの時点に、過去に金大中が見せた勇気ある対日外交が与野党に示唆する点は少なくないという考えで木浦行きの列車に乗った。

李元院長が話した金大中の国賓訪日は、就任から7カ月が経過した1998年10月7-10日だった。1965年の韓日国交正常化と共に両国関係の2つの里程標に挙げられる「金大中-小渕宣言」(21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップ共同宣言)が誕生したその出張だ。金大中は木浦商業在学時代の恩師、椋本伊三郎氏に59年ぶりに迎賓館で会った。80歳の高齢の過去の担任に金大中は「私です。豊田です」と日本語であいさつした。椋本氏は「(金大中は)いつもトップで、品行方正で、雄弁が優れていて、政界の大きな人物になると思っていた」とし、感慨無量だと語った。「豊田大中」という日本式の名前まで公開して師に礼を尽くす姿に現地メディアが大きく動いたと、李元院長は説明した。

金大中の就任前まで両国の関係はまひした状態だった。日本政治家の相次ぐ妄言に金泳三(キム・ヨンサム)元大統領が「悪い行儀を直す」と述べながらだ。それで3泊4日間の金大中の訪日はさらに注目された。金大中は晩餐を開いた明仁天皇を2回も「天皇陛下」と呼んだ。その金大中に天皇は「朝鮮半島の人々に多大な苦痛をもたらした一時期があり、深い悲しみの思いを持っている」と述べた。天皇陛下の呼称が論議を呼ぶと、金大中は記者らに「その国の指導者の呼称はその国の国民が呼ぶように呼ぶのがよい。日本人は天皇と呼ぶので天皇と呼び、英国では女王と呼ぶので女王と呼ぶ。我々が異なる言葉で呼んで相手を刺激する必要はない」。自叙伝にも「外交が相手を見ることなら相手が望むように呼ぶのは当然だ」と書いた。

◆拉致事件、責任追及はなかった

金大中を迎える日本政府が最も心配したのは、1973年の拉致事件に対する責任追及だった。自国の領土で発生した事件にもかかわらず、日本は捜査をうやむやにした。訪日した金大中がこの問題に言及するのではと日本側が懸念しているという報告書を李鍾賛(イ・ジョンチャン)国家情報院長が渡すと、金大中は「置いていってほしい」とだけ話した。ところが金大中は小渕恵三首相に関連内容を全く話さなかった。記者会見で拉致関連の質問を受けると「真相究明のための適切な方法があると考える。後に必要な意見を発表する予定」という原則的な答弁だけをした。過去の自身の悲劇が両国関係の障害になることを望まなかったと解釈される。1980年に死刑宣告を受けた内乱陰謀裁判の最後陳述で金大中は「後に民主主義が回復するだろうが、決して政治報復はいけない」という「遺言」を残したが、こうした許しの精神が対日外交にも影響を及した可能性がある。金大中のこうした態度に日本が驚いたのはもちろんだ。


【コラム】緻密な金大中の対日外交、韓国大統領室と民主党に重い直球で教訓与える(2)


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◆「サクラ」批判にも「国交正常化は不可避」

金大中-小渕宣言の中で最も論議を呼んだのは日本大衆文化の開放だった。韓国国内では「開放は時期尚早、韓国が文化植民地になる」という反発が強かった。にもかかわらず決断を下した理由について金大中はこのような言葉を残した。「我々の国民と文化の底力を信じた。中国文化圏にありながらもなぜ同化されなかった。中国文化を受け入れて我々の文化に再創造した独創性のためだ。文化は歴史の一つの時点の優劣で判断して交流することはできない。日本文化を防ぐのは恥かしいことだ」。

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後にK-文化隆盛の土台を築いたこの決断の土台は何か。木浦金大中記念館語録コーナーにも見られうように、金大中は普段から「指導者は書生的問題意識と商人的現実感覚を持たなければいけない」「国民より半歩だけ先を進まなければいけない」とし、実用的、現実的リーダーシップに関する言葉をよく投げかけた。政治入門前に木浦で海運会社・報道機関の社長を務めた経歴もこうした価値観に影響を与えたはずだ。さらに1960年代の韓日国交正常化議論当時もその他の野党政治家とは考えが完全に違っていた。金大中は「日本との関係正常化を先送りすると、世界の流れを逃して我々だけが孤立する」と確信していた。交渉に不利益や屈辱があってはいけないが、国交正常化自体は避けられないという「条件付きの賛成」だった。諜者を意味する「サクラ」批判まで受けたが、「国の将来を考えるべき」という所信を守った。


◆「最上の結果のために精巧に努力」

金大中の対日外交は与野党に重い直球のような教訓を与える。大統領室は野心を抱いて出した徴用解決策と訪日成果がなぜ期待ほど国民の共感を得られないかを省察する必要がある。金大中-小渕宣言には「植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明した」という内容が入った。金大中はこうした深い謝罪を引き出すために、漁業協定など従来の懸案の妥結のために、ディテール一つ一つに心血を注いだ。金大中は自叙伝に「金大中-小渕宣言の成就は歴史が証明するだろう。私はただ、最上の結果を導き出すために『精巧に』努力したことを明らかにする」と書いた。「精巧に」という言葉を強調した。実際、金大中の日本到着直前まで「謝罪」の日本語表現をめぐる激しい交渉が進行した。今回の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の徴用解決策が未来のための決断であることは事実だ。しかし被害者説得、国民世論に対する謙虚さ、日本の呼応措置などディテールに不足がなかったのか、「決断」に重点を置いて精巧さと激しさを看過しなかったかを振り返る必要がある。


◆刺し身店の名前まで反日の素材に

金大中を政治的に継承するというが、対日外交で民主党は金大中と正反対だ。文在寅(ムン・ジェイン)政権当時の「土着倭寇」「竹槍歌」に象徴される対日強硬論で「国内政治用の反日」という批判を免れなかった人たちが、また反日モードを高めようと総力戦を見せている。最近の所属議員4人の福島行きは「むやみな手ぶら外交」という批判を自ら招いた。熱狂的な民主党支持者は、尹大統領が訪れた刺し身店の名前までも反日の素材にしている。世界的な潮流に敏感で、国益に徹底した実用外交主義者の金大中は、民主党と李在明(イ・ジェミョン)代表をどう眺めるだろうか。書生的問題意識と商人的現実感覚どころか、公党としての基本素養と常識、責任感までも完全に喪失した姿で対話の窓は完全に閉ざされたようだ。

ソ・スンウク/論説委員


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