胡適は比較的冷静に世界状況を見ていたと思います。
- 中国は、世界の二大強国となることが明らかになってきたアメリカとソ連、この2国の力を借りなければ救われない。日本があれだけ中国に対して思うままにふるまえるのは、アメリカの海軍増強と、ソ連の第二次五カ年計画がいまだ完成していないからである。海軍、陸軍ともに豊かな軍備を持っている日本の勢いを抑止できるのは、アメリカの海軍力とソ連の陸軍力しかない。このことを日本側はよく自覚しているので、この2国のそれぞれの軍備が完成しないうちに、日本は中国に決定的なダメージを与えるために戦争をしかけてくるだろう。つまり、日米戦争や日ソ戦争が始まるより前に日本は中国と戦争を始めるはずだ。
- これまで中国人は、アメリカやソ連が日本と中国の紛争、たとえば、満洲事変や華北分離工作など、こういったものに干渉してくれることを望んできた。けれどもアメリカもソ連も、自らが日本と敵対するのは損なので、土俵の外で中国が苦しむのを見ているだけだ。ならば、アメリカやソ連を不可避的に日本と中国との紛争に介入させるには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、二、三年間、負け続けることだ。
1935年までの時点では、中国と日本は、実際には、大きな戦闘はしてこなかった。満洲事変、第一次上海事変、熱河作戦、これらの戦闘はどちらかといえば早く終結してしまう。とくに満洲事変では、蔣介石は張学良に対して、日本軍の挑発に乗るなといって兵を早く退かせている。しかし、胡適は、これからの中国は絶対に逃げてはダメだという。膨大な犠牲を出してでも中国は戦争を受けて立つべきだ、むしろ中国が先に戦争を起こすぐらいの覚悟をしなければいけない、と。
その後、
中国は、世界の二大強国となることが明らかになってきたアメリカとソ連、この2国の力を借りなければ救われない。日本があれだけ中国に対して思うままにふるまえるのは、アメリカの海軍増強と、ソ連の第二次五カ年計画がいまだ完成していないからである。海軍、陸軍ともに豊かな軍備を持っている日本の勢いを抑止できるのは、アメリカの海軍力とソ連の陸軍力しかない。このことを日本側はよく自覚しているので、この2国のそれぞれの軍備が完成しないうちに、日本は中国に決定的なダメージを与えるために戦争をしかけてくるだろう。つまり、日米戦争や日ソ戦争が始まるより前に日本は中国と戦争を始めるはずだ。
これまで中国人は、アメリカやソ連が日本と中国の紛争、たとえば、満洲事変や華北分離工作など、こういったものに干渉してくれることを望んできた。けれどもアメリカもソ連も、自らが日本と敵対するのは損なので、土俵の外で中国が苦しむのを見ているだけだ。ならば、アメリカやソ連を不可避的に日本と中国との紛争に介入させるには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、二、三年間、負け続けることだ。
1935年までの時点では、中国と日本は、実際には、大きな戦闘はしてこなかった。満洲事変、第一次上海事変、熱河作戦、これらの戦闘はどちらかといえば早く終結してしまう。とくに満洲事変では、蔣介石は張学良に対して、日本軍の挑発に乗るなといって兵を早く退かせている。しかし、胡適は、これからの中国は絶対に逃げてはダメだという。膨大な犠牲を出してでも中国は戦争を受けて立つべきだ、むしろ中国が先に戦争を起こすぐらいの覚悟をしなければいけない、と。
玉音放送によって、切腹した日本人は最小に抑えられましたが、ソビエトの侵略を許してしまいます。
もともとアメリカで学び、20歳代で北京大学の教授になるとプラグマティズムにもとづく近代的学問研究と社会改革を進めた。ことからも世界がある程度見えていました、共産党が政権を取るとアメリカに留学しています。戦術顧問として迎えていたら、少しは日課事変っから日米戦争の内容は変わってたかもしれません。(ないけどね)
胡適日記:
1935.06.27
民國廿四,六,廿七
寫長信與王雪艇。
中基會開執委會。
哲學會籌備委員金岳霖、賀麟、黃子通,在我家中開會, 擬定草稿的章程。
在叔初家公宴顧臨(Roger S. Greene),讀H. E. Wildes: Japan In Crisis.
雪艇兄:
前上兩函,都未蒙賜覆 面著想:——————
從反面設想 。
今天寫此函,是要從別一方 ,—————————
另畫一個國策。
前函已說過,今日為國家畫策,必須假定①在眼前日 本的獨霸東亞是無法能制裁的,
②在不很遠的將來也許 有一個太平洋大戰,我們也許可以翻身。
今畫第二策,仍假定此二事。
此策的主旨是
如何可以 促進那個「不很遠的將來」的國際大戰。
如何可以「促其實現」?
今日我們決不能夢想坐待別國先發難。
最容易發難者為俄國,但蘇聯是有組織的,有準備的,所以最能忍耐, 最能彎弓不發。
其餘為英美,他們更不願先發難,這是 很明顯的。
此外只有兩個可能:
一是日本先發難,一是中國先發難。
日本早已發難了,因為我國不抵抗,故日本雖發難了 四五次,而至今不曾引起國際大波瀾。欲使日本的發難 變成國際大劫,非有中國下絕大犧牲的海心不可。
我們試平心估計這個「絕大犧牲」的限度,總得先下 決心作三年或四年的混戰,苦戰,失地,毀滅。
我們必須準備:
①沿海口岸與長江下游的全部被侵占 毀滅,那就是要敵人海軍的大動員。
②華北的奮鬥,以 至冀、魯、察、綏、晉、豫的淪亡,被侵占毀壞,那就是 要敵人陸軍的大動員。
③長江的被封鎖,財政的總崩潰, 天津上海的被侵占毀壞,那就是要敵人與歐美直接起利害 上的衝突。
凡此三大項,當然都不是不戰而退讓,都是必 須苦戰力竭而後準備犧牲,因為只有如此才能引起敵人的 大動員與財政上的開始崩潰。
在這個混戰的狀態之下,只要我們能不顧一切的作 戰,只要我們在中央財政總崩潰之下還能苦戰,—————
我 們可以在二三年之中希望得到幾種結果:
①使日本軍隊 征發到多數人民感覺戰禍的實在,
②使日本軍費加重到人民感覺財政的危機,
③使滿洲的日本軍隊西調或南 調,使蘇俄感覺到有機會可乘,
④使世界人士對於中國表同情,
⑤使英美感覺到威脅,使香港菲律賓感覺到迫 切的威脅,使英美不能不調兵艦保護遠東的僑民與利益,使太平洋海戰的機會更迫近。
只有這樣可以促進太平洋國際戰爭的實現。也許等不到三四年,但我們必須要準備三四年的苦戰。我們必須 咬定牙根,認定在這三年之中我們不能期望他國加入戰 爭。我們只能期望在我們打的稀爛而敵人也打的疲於奔 命的時候才可以有國際的參加與援助。這是破釜沉舟的 故智,除此之外,別無他法可以促進那不易發動的世界 二次大戰。
我曾說過,日本武士自殺的方法是「切腹」,但武士 切腹時必須請他的最好朋友從背後斫其頭,名曰「介 錯」。
日本固然走上了全民族切腹的路,可惜中國還不 配做他們的「介錯」。
上文所述的策略只是八個字:
日本切腹而中國介錯。
蘇俄共產革命推翻政府之後,即脫離協約國,而與德 國單獨講和,訂立Brest-Litovsk和約,割地之多,幾乎等 於歐俄的三分之一,幾乎把大彼得以來所得地全割掉 了。但蘇俄終於免不掉三年多的苦戰。在那四次白俄大 亂之中,最吃緊之時,中央政府所能統轄的土地不過七 省而已!人民之窮苦固不用說,中央政府有時拿不出一 塊金盧布。
蘇俄三年多的苦戰最可以做我們今日的榜 樣。我們如要作戰,必須下絕大決心,吃三年或四年的 絕大苦痛。
當前的問題是:
我們的領袖人物有此決心否?
有此準備否?
有此計畫否?
公等為國家謀慮,不甘屈辱,固是可敬佩。
但不甘屈辱必須有不屈辱的決心與籌畫。
公等如不甘僅僅作誤國的「清流黨」,必須詳細計畫一個作三四年長期苦鬥的 國策,又必須使政府與軍事領袖深信此長期苦鬥為必不 可避免的復興條件。
以我觀之,
蔣先生只有「等我預備好了再打」的算盤,
似乎還沒有「不顧一切,破釜沉舟」的決心。
我在廿二 年熱河失守後在保定見他,他就說:
「我們現在不能打。」
三年過去了,我看他似乎全沒有對日本作苦戰的計畫。
他的全副精神用在剿匪上,這是我們知道,又能原諒的。
但日本不久必有進一步而不許他從容整軍經武的要求。
因為敵人不是傻子,他們必不許我們「準備好了打他 們」。
老實說,無論從海陸空的任何方面著想,我們決 無能準備到可以打勝仗的日子。
我們若要作戰,必須決心放棄「準備好了再打」的根本錯誤心理。
我們
必須決 心打三年的敗仗,
必須不惜犧牲最精最好的軍隊去打頭 陣,
必須不惜犧牲一切工商業中心作戰場,一切文化中心作魯文大學。
但必須步步戰;必須雖步步敗而仍步步 戰;必須雖處處敗而處處戰。
此外別無作戰之法。
今日最好笑的,是政府諸公甘心拋棄北方,而天天裝飾南京,好像南京是沒有危險似的!此種氣象真使全國 人都感覺難受。
總而言之,今日當前大問題只有兩個:
(一)我們如可以得著十年的喘氣時間,我們應該不顧一切謀得這十年的喘氣時間;
(二)我們如認定,無論如何屈辱,總得不 到這十年的喘氣時間,則必須不顧一切苦痛與毀滅,準備作三四年的亂戰,從那長期苦痛裡謀得一個民族翻身的機會。
恐怕在今日要雙管齊下,
一面謀得二三年或一二年的喘氣,使我們把國內的武裝割據完全解決了;
一面作有計畫的布置,準備作那不可避免的長期苦鬥。
此信不是取消前二函,只是補充前二函所不曾說出的部 分。
吾兄倘認為有一顧的價值,請平心考慮此三函,暫時 擺脫一切事務,為國家做一個全盤的計算,然後為當局懇切進言,打破那「等我準備好了再打」的迷夢!
胡適廿四,六,廿七夜

