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824 山本七平『現人神の創作者たち』を読む


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Photo by 歌川国芳 / メトロポリタン美術館



阅读山本七平:《现世诸神的创造者》。
医疗治理学会(2016 年 1 月 6 日 06:00)

堀有信,精神科医生。

2016 年 1 月 6 日 MRIC 作者:医疗治理学会 发布于:http://medg.jp

由评论家山本七平撰写的《现神的创造者》一书出版于1983年,坦率地说,这本书非常难读。 书中大量引用了江户时代儒家学者的著作和中国儒家经书,这让我读起来很痛苦,因为我缺乏这些方面的教育。 惭愧的是,我对江户时代的儒学学者,如山崎药斋和浅见阳康斋,一点也不熟悉。 整个论证过程迂回曲折,内容重复,很难说是条理清晰。

不过,这本书更让人难以卒读的,或许是其内容所引发的心理抵触。 该书是山本七平对整个日本民族心理的分析。 它揭示了江户时代早期偶然准备好的意识形态状况如何在近代早期发展,从而为日本人的思想和情感运动创造出一种 "模式"。 此外,这种模式还为江户末期的社会条件做了准备,使 "大政奉还 "成为可能,并决定了日本人民从明治时期的现代化到太平洋战争的失败,直至今天的发展历程。 然而,这一事实已被彻底遗忘。 山本的书现在也基本上被遗忘了。
我相信,这是因为人们对精神分析告诉我们的东西产生了强烈的抵触情绪。

山本在序言中说:"战前,人们不知道自己中了什么魔咒","不知道'是什么让我这样想',这就是我所说的魔咒。 中了魔咒的人不知道为什么"。
战后它并没有被清算。

江户幕府是一个 "被创造出来的社会",而不是建立在某种意识形态之上的社会。 这个问题应该是要回答,在天皇存在的情况下,幕府行使优越的统治权的依据如何才能成立。 这里出现的情况可以称为伪正统。 要么是对既定秩序照单全收,不问统治权的合法性基础是什么,要么是在既定秩序确立之后赋予某种借来的合法性。 因此,战后的日本社会是一个 "被创造的社会"。

日本社会的基本态度是,无论其内容如何,都只根据权宜之计给予支持,而不尊重思想和信仰的正统性。 在江户时代,这就是儒学(朱子學)。 相反,方便的支持需要授权。 这种授权必须采取绝对化对方的形式,或者换句话说,通过绝对化中国,绝对化正在绝对化中国的自己。 山本说:"这样一来,就不可能有所谓的自由辩论,所有反对权威自我的人都必须被贴上某种标签而噤声。 山本举例说,这些标签包括'又名'、'保守反动派'和'耶穌'。 虽然语言变了,但这一精神运动的模式直到今天也没有任何改变。 诅咒 "一定很强烈。 有人说,"明治 "时代抹去了 "江户 "时代。 此外,记忆被双重抹去,"战后 "抹去了 "战前",没有进行意识形态的清算。

许多国家出现的理想主义采取了一种恢复社会古典古代性的形式。 前中国的理想是重现尧舜政治。 然而,日本的理想主义采取了不同的形式。 与今天用 "憎恨中国 "等词来描述情况不同,日本人将中国绝对化,并将成为中国那样的国家理想化。 这就是所谓的 "慕夏思想",在南北朝时期,一些神官甚至声称天皇是中国人。
然而,在江户初期,本应是合法国家的中国却出现了异常。 汉族的明朝灭亡,被异族的清朝征服。 随后,朱舜水等流亡者来到日本,拒绝承认清朝的合法性,并声称自己是中国合法政权的化身。 在这种情况下,山贺宗子的 "中国事实 "成立了。 由于真正的中国不再具有合法性,日本被承认为合法的中国,日本的制度是绝对的这一思想由此诞生。 顺便提一下,韩国此时选择了一条不同的道路。 换句话说,它比以前更加中国化,并朝着完善儒家制度的方向发展。

幕府将朱熹研究作为官方研究,以证明自己的合法性。 然而,幕府无意像韩国那样把社会变成一个儒家体系。 因此,它重新编辑了朱子学,将其作为一种 "个人伦理",独立于当时的社会制度,约束每个人,并旨在解决这种状况。 日本这种思想与社会制度脱节的倾向一直持续到今天。

山本的下一个重点是山崎屋久斋和他的弟子浅见庆幸斋。 日本对书士学进行了诠释,有时称为 "崎门学"。 在这里,书士学不再是一门学术,而是转变为一种 "书士主义思想"。 例如,山崎屋久斋将原本具有意识形态内容的 "诚 "和 "敬 "的概念转化为实用的 "敬义 "伦理。 他要求这种 "敬义 "必须是绝对的、内外合一的,也就是说,他自己内在的 "义 "必须是外在秩序的本来面目,而这种秩序必须首先在他的弟子身上实现。 山崎对弟子的要求非常严格。 这可能是过去日本经常出现的那种成为大师式绝对主义者的教师的开端。 他晚年成为神道教信徒。
在朝代反复更迭的中国,如何保证当时政治体制的合法性是儒学发展过程中的一个重要问题,并进行了各种讨论。 然而,山崎屋久斋的弟子浅见庆幸斋也看到了朱子论点中的矛盾之处,并不信服。 他拒绝革命和改朝换代,以保证皇权统治的合法性,这带来了怎样的思想飞跃? 浅见认为朱子向中国现实妥协了。 浅见认为,如果朱子知道存在像日本这样的 "普世天皇制",他就会将其定义为人类历史上唯一合法的天皇制。

山本还介绍了山崎屋久斋的另一位弟子佐藤直方,他是一位被遗忘的儒学学者。 佐藤认为,在中国,绝对的是 "天 "而不是 "天子"。 他认为,如果天子违反了天子的规范,天子会惩罚他,这是理所当然的。 因此,佐藤并没有无条件地肯定现状。 他认为仰慕优越的中国是理所当然的,神道教和佛教都是无稽之谈。 佐藤的立场合乎逻辑,是彻底的普世主义,生前很有影响力,但死后就完全被人遗忘了。
浅见和佐藤活跃于赤穗罗氏事件(《中村》的主题)发生期间。 佐藤有条不紊地拒绝了突袭,山本认为这可能削弱了佐藤的影响力。 当时,公众都兴奋地 "支持赤穗浪人,反对吉良"。 佐藤有理有据的论点被忽视了,在这种氛围下,上之助吉良必须是一个反派,即使是虚构的反派,这样才能平息事态。 幕府也利用这种气氛来赞扬正义的武士。 这是因为幕府控制着诸侯,如果诸侯忠于藩主,幕府也可以控制诸侯。 后来的赤穗罗氏理论以当时的大学校长林信松的理论为基础,林信松将幕府的法律解释为反对义理,认为如果一个人在感情上与君主团结一致,他就是 "义人",因此在道德上是值得尊敬的,即使他触犯了法律并因此被处死。 情感和法律的二元论主张前者优于后者。 战前的国家教科书也沿用了这一观点。 然而,推翻幕府的思想准备工作此时正在进行。 换句话说,在感情上与天皇保持一致自然被视为 "义",而在 "法 "上以一致的 "荣义 "和 "内外 "否定天皇则被视为不义,因为如果有人否定幕府,那么依法处决他们在伦理上就是正确的。


通过水户学和其他运动,这一意识形态运动成为推翻幕府背后的意识形态。 人们认识到,如果日本是一个按照朱子正统思想维持合法天皇的国家,那么幕府就是一个不合法的政权,必须被推翻。 这导致了 "宗之 攘夷 "运动,该运动与坚持赶走从外部入侵国家的野蛮人相结合,成为了国家的官方意见,并导致了明治维新。
如果这场运动在明治维新后继续下去,其目的将是实现日本独特的正统性。 事实上,西乡隆盛回到祖国后,试图推行一种旨在恢复古代藩天制度的治理方式。 然而,众所周知,这仍然是一个非常小的举动,取而代之的是欧化主义,用西方取代中国成为理想化的对象。 岩仓友美和西乡隆盛对此表示遗憾。
明治时代之初,江户被遗忘了。 然而,由于没有通过思考和反省加以克服,它的精神模式仍然是一个诅咒。 山本提到了战前断言的天皇代理权理论,以及针对这一理论的强烈弹劾。 从欧洲人的观念来看,客观抽象地分析国家治理的原则并试图把握其作用是很自然的。 但从儒家的角度来看,这却是 "荒谬 "的。 由于这一魔咒,几乎所有日本人都不知道为什么他们自己觉得天皇代理权理论是 "荒谬的",也不知道为什么他们无法知道其起源。

战后将美国带来的民主与和平主义理想化,忘记了战前。 而这种双重遗忘又强化了已经深入人心的模式。 换句话说,任何一种思想都不会被认真对待,而是被当作空洞的借来的权威来支持,从而被绝对化。 与理想化对象的情感联系被绝对肯定,这种情感联系高于法律。 伦理和道德被内化,但却脱离了社会制度,成为约束个人的工具。 由于现状得到了肯定,因此如果氛围发生变化,转换理想化对象的阻力很小。
如果日本人仍然没有意识到他们自己正处于这种心理模式的魔咒之下,那么他们将很难应对当前的许多社会问题。 克服心理阻力,意识到自身的这一倾向,是思考如何更好地生活的第一步。



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2024年6月5日 01:10
削除される前に転載しておきます。

山本七平『現人神の創作者たち』を読む
医療ガバナンス学会 (2016年1月6日 06:00)

精神科医 堀 有伸

2016年1月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

評論家の山本七平によって書かれた『現人神の創作者たち』は1983年に出版された本であり、率直に言って非常に読みにくい。江戸時代の儒学者の著作や、中国の儒教の経典からの引用が盛んになされているため、その方面の教養を欠く私にとって、それらを読むことは苦痛であった。恥ずかしながら、山崎闇斎や浅見絅斎といった江戸時代の儒学者には、まったくなじみがなかった。全体の論述も論理が錯綜してくり返しが多く、整理されているとは言い難い。



しかしそれ以上にこの書物を読みにくくさせているのは、その内容が引き起こす心理的な抵抗であろう。この本は、山本七平によって行われた日本という国家全体についての精神の分析である。江戸時代の初期までに偶然に準備されていた思想的な状況が、いかに近世に展開して日本人の思考や感情の動きについての一つの「型」を作りあげたのかが、解き明かされている。さらに、その型が「大政奉還」を可能にする幕末の社会状況を準備し、それが明治の近代化から太平洋戦争の敗戦・さらに現在に至る日本人の歩みを底流において規定していた。そうでありながら、その事実は徹底的に忘却されている。そして、山本のこの著作も現在、ほとんど忘却されている。
これは、精神分析が語るところの抵抗が強く働いているからだと考える。

序文で山本は、「戦前、人は何に呪縛されているかを知らなかった」「『何により自分はそういう発想をするのか』という自覚のないことが、私のいう呪縛である。呪縛にかかった者は、その理由がわからない」と語った。
そして、戦後にもそれは清算されなかった。

江戸幕府は「出来てしまった社会」であり、一定の思想のもとに構築された社会ではなかった。天皇家が存在していた状況で、それを優越する統治権を幕府が発揮できる根拠がいかに正当化されるのか、という問いへの回答が求められたはずである。ここで成立した事態は、疑似正統主義とも言うべきものであった。出来てしまった秩序をそのまま認め、その統治権がいかなる正統性に基づいているかを問題にしないか、出来てしまった後で何らかの借りものの正統性を付与することが行われたのである。そして、戦後の日本社会も、このように「出来てしまった社会」であるという。

日本社会の基本的態度は、その内容は何であれ、思想や信条の正統を尊重することなく、便宜主義的にのみそれを援用することである。江戸時代にそれは儒学(朱子学)であった。「便宜的援用は逆に権威化を要請する。その権威化は相手を絶対化すること、いわば中国を絶対化することによって、それを絶対化している自己を絶対化するという形にならざるを得ない。こうなると、自由なる討論などというものはあり得ず、権威化した自己に反対するものはすべて、何らかのレッテルをはって沈黙させねばならない」と山本は語った。そのレッテルの例として挙げられているのが、「アカ」であり「保守反動」であり「耶蘇」であった。そして、言葉は変わっても、この精神の動きの型は現在でも全く変わっていない。「呪縛」が強いのだろう。「明治」が「江戸」を消したという。さらに、「戦後」が「戦前」を消す二重の記憶の抹殺が行われ、思想的な清算は行われていない。

多くの国で出現した理想主義は、自分たちの社会の古典古代への復古主義の形を取った。かつての中国では堯・舜の政治を再現することが理想だった。しかし、日本の理想主義は別の形をとった。現在の嫌中などの言葉が飛び交う状況とは異なり、中国を絶対化し、中国のようになることを理想にしたのである。これを「慕夏(ぼか)思想」と呼び、南北朝時代には「天皇は中国人である」と主張した僧侶もいたほどである。
ところが、江戸時代の初期に正統であるはずの中国に異変が起きてしまった。漢民族の王朝である明が滅亡し、異民族王朝である清に征服されたのである。そして朱舜水のような亡命者が日本に来て、清の正統性を認めず、自分こそが正当な中国の権威を体現していると主張した。このような状況で成立したのが、山鹿素行の『中朝事実』であった。もはや現実の中国が正当性を失っている以上、日本こそが正当な中国であると認定され、日本的体制が絶対視される思想が生まれたのだった。ちなみに朝鮮はこの時点で異なる道を選んだ。つまり、それまで以上に中国的に、儒教体制の完成へと向かったのである。

幕府は自らの正統性を示すための御用学問として朱子学を採用した。しかし、韓国のように社会を儒教体制化する意思は全くなかった。そこで、朱子学を当時の社会体制とは無関係に「個人倫理」として再編集し、それが各人を拘束し、この状態を固定することを目指したのである。このような、日本における思想が社会体制と結びつかない傾向は現在まで持続している。
山本が次に注目するのは山崎闇斎とその弟子の浅見絅斎である。朱子学に対する日本的な一つの解釈が展開されたのだが、これを別に「崎門学」と呼ぶこともある。ここで朱子学は学問というよりも「朱子教的イデオロギー」に変質していった。例えば、元来は思想的な内容を持っていた「誠」「敬」という概念を、山崎闇斎は「敬義」という実践倫理に転換させた。そしてその「敬義」が絶対で内外一致、つまり自らの内なる「義」がそのまま外の秩序であらねばならぬとして、その秩序がまず弟子たちの中に実現することを求めた。弟子たちに山崎は非常に厳しかったそうである。以前の日本に往々にみられた、教祖的絶対化をしていくタイプの教師像のはじまりといえるかもしれない。晩年は神道に走った。
さて、王朝交代がくり返された中国において、時の政治体制の正統性をいかに保証するのかということは、儒教の展開上も重要な課題であり、さまざまな議論が行われた。しかし、山崎闇斎の弟子の浅見絅斎は朱子の議論にも矛盾を見て納得しなかった。帝王の統治の正統性を保証するために、革命や王朝交代を否定した結果、どのような思考の飛躍が行われたか。浅見によって朱子は、中国の現実に妥協したと理解されたのである。もし朱子が、日本のような「万世一系の帝系」があることを知っていたならば、これを人類史上における唯一の正統性を持つ帝王と定義するだろうと浅見は考えた。

なお、山本は忘れられた儒学者として、やはり山崎闇斎の弟子であった佐藤直方のことも紹介した。佐藤は中国で絶対なのは「天」であって「天子」ではないと考えた。そして、天子が天子たるものの規範に違反すれば、天がそれに罰を与えることを当然とみなした。佐藤はしたがって、現状の無条件な肯定ということを行わなかった。優れている中国を慕うのは当然で、神仏習合などはナンセンスだとし、神道を評価する姿勢を示さなかったために山崎闇斎からは破門された。佐藤は論理的で徹底して普遍主義の立場を取り、存命中には大きな影響力があったが、死後にまったく忘却された。
浅見や佐藤が活躍したのは、「忠臣蔵」の題材となった赤穂浪士の事件が起きた時代であった。佐藤は理路整然と討ち入りを否定したが、これが佐藤の影響力を減じたのではないかと山本は考察している。当時の一般人はみな興奮して「赤穂浪士支持・吉良否定」であった。理屈を言う佐藤は無視され、たとえ虚構でも吉良上野介を極悪人にしなければ収まらない空気があった。幕府もまた、その空気に乗って義士をほめたたえることを行った。大名を統制する幕府にとって、家臣がその大名にあくまで忠誠であれば、その家臣団を統制することも可能だからである。その後の赤穂浪士論の基準となったのは時の大学頭であった林信篤の説で、「幕府の法は義に反する」から、そして心情的に君主と一体化すれば「義」だから、たとえ法律を破り、それによって処刑されても倫理的には立派になると解釈されたのである。心情と法の二元論で、前者の後者への優越を主張している。これは、戦前の国定教科書にも引き継がれていた。しかし、この時に倒幕に向けての思想的な準備が進んでいたことになる。つまり、心情的に天皇と一体化することを当然に「義」とし、「敬義内外」一致でこれを否定する「法」を不義とし、幕府を否定する者がでてくれば、それを法によって処刑しても、倫理的には正しいとせねばならないからである。

水戸学などを経て、このような思想的な運動は倒幕を支えるイデオロギーとなった。日本という国が朱子の正統論通りの、正当な帝王を維持してきた国だとするのならば、幕府は非合法政権だからこれを倒さねばならないと理解されたのである。そして、これは外部から侵入してくる夷狄を追い払えという主張と結びついた尊王攘夷運動となり、これが、天下の公論となって明治維新が成し遂げられた。
維新の達成後もこの運動が継続されたならば、目指されるのは日本独特の正統主義の実現だったはずである。事実、西郷隆盛は故郷に戻り、古代の班田制の復活を目指すような統治を実行しようとした。しかし周知の通り、これは大変マイナーな動きに留まり、その代わりに実現したのは理想化の対象を中国から西欧に置き換えた欧化主義であった。岩倉具視や西郷隆盛は、そのことを嘆いた。
明治のはじめに、江戸は忘却されたのである。しかし、思考と反省を経た上での乗り越えではなかったために、その精神の型は呪縛として残った。山本は、戦前に主張された天皇機関説と、それに向けられた非常に強い弾劾について言及した。国の統治の原理を客観的・抽象的に分析し、その作用を把握しようとするのは、ヨーロッパの発想からは当然であった。しかし、儒教的な感覚からは、「とんでもないこと」となる。そしてこの呪縛のために、天皇機関説をなぜ「とんでもないこと」と自らが感じているのか、ほとんど全ての日本人が、その由来について知ることができなくなっていたのである。

戦後は、戦前を忘却してアメリカが持ち込んだ民主主義や平和主義を理想化した。そして、二重の忘却によって、精神に沁みこんだ型は強化されてしまった。つまり、どのようなものであっても思想は真剣に取り組まれることはなく、空疎な借り物の権威として援用され、それ故に絶対化されること。理想化した対象と心情的に結びつくことが絶対的に肯定され、その心情が法に優越すること。倫理や道徳は内面化される一方で社会制度からは疎外されて、個人を拘束する道具となること。現状が肯定されるので、空気が変われば理想化の対象を乗り換えることには抵抗が少ないこと。
このような精神の型に呪縛されていること自体に無自覚なままでは、日本人が現在の多くの社会問題に対応することは困難だろう。心理的な抵抗に打ち克って自分たちのこの傾向を知ることが、より良く生きることを目指して考えるための第一歩である。

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