武谷三男は昭和20年8/4の新聞の載ったポツダム宣言の記事で「我等の軍事力の最高度の使用」という文言に引っかかり、もしかしたらアメリカはウラン爆弾(原爆)を完成させたのではないか、と思った
日本でも原爆研究はありました、が、研究者は皆、爆弾製造など不可能と思っており、素粒子論の研究と割り切って参加していたといいます。 日本の原爆研究スタッフの 武谷三男は昭和20年8/4の新聞の載ったポツダム宣言の記事で「我等の軍事力の最高度の使用」という文言に引っかかり、もしかしたらアメリカはウラン爆弾(原爆)を完成させたのではないか、と思ったが 、原爆プロジェクトのリーダーの仁科芳雄にその考えを伝える間もなく広島に落ちてしまったそうです。 つまり広島投下の2日前、日本の原爆プロジェクトに参加した精鋭の物理学者の中の1人が、新聞記事から辛うじてアメリカの原爆保有を「憶測」する事が精一杯であった、という事なので、99.9999…%の国民は原爆の存在、それをアメリカが保有しているなど夢にも思わないでいた、という事だと思うのです。