辛漸を送る  <王昌齢>

 辛漸を送る  <王昌齢>




公益社団法人 関西吟詩文化協会

辛漸を送る <王昌齢>

王昌齢の代表作『芙蓉楼にて辛漸を送る(ふようろうにてしんぜんをおくる)』は、左遷されて地方にいた詩人が、洛陽へ帰る親友の辛漸と別れる際の悲しみと、自身の清らかな信念を詠んだ七言絶句です。
構成と現代語訳
  • 寒雨連江夜入呉
    (寒雨  江に連なりて  夜  呉に入る)
  • 平明送客楚山孤
    (平明  客を送れば   楚山 孤なり)
  • 洛陽親友如相問
    (洛陽の親友  如し 相問わば)
  • 一片氷心在玉壺
    (一片の氷心  玉壺に在りと)

冷たい雨が長江一帯に降り続き、夜の間に呉の地(この地)へと入っていった。
夜が明けて早朝、旅立つ君(辛漸)を見送ると、遠くに見える楚の国の山がぽつんと寂しげにそびえている。
洛陽の親友たちが、もし私のことを尋ねてきたならば――
「私の心は、玉の壺の中の氷のようにどこまでも清らかである」と答えてやってくれ。 [1, 2]

背景と解説
  • 置かれた状況: 作者の王昌齢は、当時江寧(現在の江蘇省南京)の県丞(次官)として左遷されており、失意の中にありました。そんな中、親友の辛漸が洛陽へ帰ることになり、潤州(現在の江蘇省鎮江)にある芙蓉楼で別れの宴を開きました。この詩はその翌朝、長江のほとりで彼を見送った際に詠まれたものです。 [1, 2, 3]
  • 情景描写: 寒々とした冷たい夜の雨 と、夜明けの川辺にぽつんと立つ山の孤独な様子が、詩人の別れの哀しみと取り残される寂しさを引き立てています。 [1]
  • 有名な結句: 最後の「一片氷心在玉壺」は非常に有名です。周囲の政治的圧力や世間の評価に左右されず、「自分の心は玉壺の氷のように透き通って一点の曇りもない」という、清廉潔白で変わらない信念を洛陽の友人たちに伝えてほしいと願う心情が込められています。


読み方

辛漸を送る  <王昌齢>

寒雨 江に連なりて 夜 呉に入る

平明 客を送れば 楚山 孤なり

洛陽の親友 如し 相問わば

一片の氷心 玉壺に在りと


しんぜんをおくる <おうしょうれい>

かんうこうにつらなりて よるごにいる

へいめいかくをおくれば そざんこなり

らくようのしんゆう もしあいとわば

いっぺんのひょうしん ぎょっこにありと

詩の意味

 冷たい雨が長江の川面に降り注ぐ中を昨夜君はこの呉の地にやってきた。(別れの宴をした後)そして今朝早く洛陽へと旅立つ君を送れば、君の行く手には楚の山がぽつんと姿を見せている。

 君がこれから洛陽に帰って、親友たちがもし私のことを尋ねたなら、私は一片の氷が玉の壺の中にあるように、清く澄み切った心境で暮らしていると答えてくれ。

🥰🥰🥰

つめたい雨が長江上に降り続く中を、昨夜君を送って呉の地までやって来た

そして夜明けがた、君を送れば、行く手にぽつんと一つ、きびしくそびえ立つ楚山の姿

洛陽の親友たちがもしわたしのことをたずねたら

玉の壷に盛られた氷のように清らかな心、とそう答えてくれ給え

語句の意味

平 明

夜の明け方

旅人 辛漸をさす

楚 山

楚の国の山 「楚山孤」は辛漸と別れたあとの作者の孤独な心を象徴している

氷 心

氷のような澄み切った心

玉 壺

南朝の宋の飽照(ほうしょう)の「清きこと玉壺の氷の如し」(代白頭吟)に基づく 白玉でつくられた壺 高潔な心

鑑賞

すべてを語る「一片の氷心玉壺に在り」の名句


 季節は晩秋。今の南京の副知事をしていたころの作と思われる。辛漸と作者の関係は、親しい友人である程度で、深いつながりは不詳である。前半は送別の宴を終え、船で北に向かう友人をさみしく送っている光景。「楚山孤なり」は孤峰の姿の実景であろうが、取り残された作者の孤独な姿の象徴と見るべきである。後半は送別の詩でありながら送る側の不遇を暗に嘆じており、一般の送別の詩とは趣を異にする。

 とはいえ、この詩の眼目は結句の七文字である。王昌齢は進士に合格した秀才であるのに、素行に問題があったので天子や政界から疎まれた。こういう場合、特に法を犯さなくても左遷される。しかし左遷されても自分は天地神明に誓って無類の潔癖な心の持ち主だと訴えている。日の目を見ない一生であった作者の叫びのようなものをこの句に感じる。


備考

 この詩の本題は「芙蓉楼(ふようろう)にて辛漸を送る」であるが、本会では「辛漸を送る」と略した。「芙蓉楼」は今の江蘇省鎮江市の西にあって、「万歳楼」と対面し、北に長江を見下ろす楼。ここから大運河が華北に通じており、辛漸もこの経路を辿ったと思われる。


詩の形

仄起こり七言絶句の形であって、上平声七虞(ぐ)韻の呉、孤、壺の字が使われている。


結句 転句 承句 起句

   

   

   

   

   

   

   

作者

王昌齢  698~755


 盛唐の政治家・詩人


 字は少伯(しょうはく)。京兆(けいちょう=西安)の人。一説には江寧(こうねい=江蘇省南京)の人ともいう。29歳で進士となる。校書郎(図書校閲官)から氾水(はんすい=河南省)の尉(県の次官)となるも素行おさまらず、官界の評判は悪く各地に転任される。七言絶句の名手で、特に宮怨(きゅうえん)の詩(宮女の嘆きを歌った詩)は李白も及ばないといわれる。李白、孟浩然、高適らと交遊があった。安禄山の乱で郷里に帰った折、刺史(しし=州の地方長官)の閭丘暁(りょきゅうぎょう)に殺された。「王昌齢集」5巻がある。享年57。


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