城東の荘に宴す <崔敏童>
城東の荘に宴す <崔敏童>
一年始めて有り 一年の春
百歳曽て無し 百歳の人
能く花前に向かって 幾回か酔う
十千 酒を沽うて 貧を辞する莫れ
じょうとうのそうにえんす <さいびんどう>
いちねんはじめてあり いちねんのはる
ひゃくさいかつてなし ひゃくさいのひと
よくかぜんにむかって いくかいかよオ
じゅうせん さけをこオて ひんをじするなかれ
詩の意味
一年が終われば新しい年の春がおとずれてくれる。(春はこのように永遠に巡ってくるが)人間の寿命は百歳といわれるけれど、百歳まで生きた人は今まで一人もいない。
このように咲く花の前でお互いに酒を飲んで、いったい生涯のうちに何度酔うことができるだろうか。そう幾度もあるまい。(だから今日一日は存分に飲もう) 一万銭で酒を買ってこいよ。金がないとか貧相なことは口にしないでくれ。
語句の意味
城東荘
作者の従兄(いとこ=また兄、弟の説もある)の崔恵童が王維の輞川荘(もうせんそう)の対岸に建てた別荘で長安の東郊にあった玉山草堂
百 歳
人の寿命の上限 「荘子(そうじ)盗跖篇(とうせきへん)」に「人の上寿は百歳 中寿は八十 下寿は六十……」とある
十 千
千銭の十倍 美酒斗十千といって高価な酒
沽
買う
鑑賞
酒こそ人生の花
前二句が対句になっており、語調もよく分かりやすい。なかなか磊落(らいらく)な詩である。酔いしれることのできる日は人生でそうあるものではない、とは「荘子」の「下寿は六十」に続き「病痩・死哀・憂患を除けば 其の中 口を開いて笑うは一月のうち 四、五日に過ぎざるのみ」に基づく。財布のことは気にせず酒を買ってこいという。こういう捨て身の酒への向かい方は、多くの詩にある。
「曲江」(杜甫)には「毎日江頭酔いを尽くして帰る」と。李白の長詩「将進酒(しょうしんしゅ)」にも「斗酒十千 歓謔(かんぎゃく)を恣(ほし)いままにする 主人何為(なんす)れぞ銭少なしと言わんや 径(ただ)ちに須らく沽酒して君に対して飲むべし 五花の馬 千金の裘(ふくろ) 児を呼んで将(も)ち出だして美酒に換え 爾(なんじ)と同じく銷(しょう)せん 万古の憂い」(お金がないなど言うな、馬でも上等の皮袋でも質に入れて酒に換えてこい。それで万古の憂いを癒そう)と。泥酔状態の李白が浮かぶ。さらに同じく李白の名文に「……浮生(ふせい)は夢の如し。歓を為すこと幾何(いくばく)ぞ。古人燭(しょく)を秉(と)りて夜遊ぶ、良(まこと)に以(ゆえ)有るなり。……」とある。「酒」という字はないが、昔の人は灯火のもとで夜まで酒を飲んで歓楽を尽くしたというではないか、もっともなことだ、と豪語している。同根同趣である。
能向花前幾回醉,十千沽酒莫辭貧。
歲歲年年都有春天,但人活百歲卻極其罕見(感嘆人生苦短)。
趁著春光正好、繁花盛開,能有幾回痛飲大醉?哪怕需要花費重金(十千,形容名貴美酒),也千萬不要因為貧窮而捨不得買酒。
一年に一度春が来る、
百歳の人はかつて百歳まで生きた者などいない。
花の前にて幾たび酔うことができようか、
十千の酒を買うも貧しさを理由に辞めるなかれ。
解説の訳:
年々歳々、春は必ず訪れるが、人は百歳まで生きることは極めて稀である(人生の短さを嘆く)。
春の光が美しく、花々が盛んに咲く今、どれほど痛飲して酔うことができるだろうか。たとえ高価な酒(十千は高級な酒を指す)であっても、貧しさにかこつけて酒を買うのをためらってはならない。
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