
——您的姪子山上哲也槍殺前首相安倍晉三已經過兩個月了。我猜想一定會有大量的請求來採訪你的叔叔。
事發當天7月8日下午,我接到了兒子們的電話。聽到有人說“哲也做了一件不可思議的事”,打開電視就看到嫌疑人“山上哲也”被突出報道出來。他立刻聯絡了哲也的母親愛子和妹妹比子,吩咐她們趕緊收拾東西來他家。他們倆在這棟房子(叔叔家)住了大約一個月。
在此期間,我竭盡所能,最大的願望就是確保事實得到徹底澄清。
事件發生後,他立即聯繫了檢察官,檢察官兩次來到他家,他被媒體團團圍住。檢察官們拿到了所掌握的全部文件,並當場準備了A桑的陳述。這些文件包括我匯款給山神家的轉帳單、我妻子(2007年過世)在筆記本中寫的筆記,以及我與統一教交換的傳真記錄。
7月15日,也就是審訊筆錄準備好的第二天,我接受了媒體圓桌採訪,為期6天的媒體封鎖就此結束。身為哲也的叔叔,他也曾向媒體作出解釋。有些媒體用幽默的方式報道,雖然沒有訪問我,但卻像是聽過我的故事。
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丈夫自殺身亡,弟弟在小學五年級時因意外過世。
——您現在認為哲也犯罪的理由是什麼?
原因不只一個。這事件是多種因素複雜相互作用所造成的。這並不容易弄清楚。這就是為什麼我希望事實能夠清楚澄清,不出現任何錯誤。這也是為了確保即將開始的哲也案審判能夠得到公正的判決。
如今,哲也母女A正遭受社會的強烈批判。不過,在A-san做出那筆大筆捐贈之前,家裡發生了很多事。同樣,對 A-san 來說,現實是如果沒有堅持的話,她就無法堅持下去。
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愛子的丈夫,也就是我的弟弟、哲也的父親,於1984年跳樓自殺。他在A-san父親的建築公司擔任隧道建設項目的現場主管,但由於過度勞累和酗酒,他變得沮喪。他是京都大學工學部的畢業生,是個立志成為學者的正直之人,但是卻為不正當資金四處橫行的業界常識而苦惱。我曾聽他說過,他甚至做過運送現金的工作。我想這就是極限了。
三年前,也就是1981年,愛子的母親也因白血病突然過世。身為A桑的精神支柱,這對她來說一定很難承受。回想起來,A桑上初二的時候,讀五年級的弟弟因車禍過世了。
——據報道,哲也的哥哥也病了。
我的大兒子出生後不久就被診斷出患有淋巴瘤,下巴逐漸開始腫大。他接受了化療,但由於副作用導致一隻眼睛失明。小學時,淋巴瘤擴散至大腦,他接受了開顱手術。在一場長達五個小時的大手術中,他需要輸血,所以我捐血了。
她的父母、兄弟姊妹相繼遭遇不幸,長子病重,丈夫自殺。我能理解那種想要堅持某些事物的渴望。
A-san 的第一個女兒於 1985 年 2 月生下,當時她的丈夫剛自殺。這是哲也的妹妹B。哲也在家中三個兄弟姊妹中排行老二,中間是身患重病的哥哥和妹妹,他像父親一樣照顧著妹妹。
因為可憐A桑家沒有人贍養,所以我從B桑出生兩個月後(1985年4月)開始,每月給他們寄去約5萬日元的生活補助。事發後,他交給檢察機關的轉帳金額龐大,信封都塞得滿滿的。
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捐款被發現後,匯款停止。
——您是什麼時候發現A女士加入了統一教,並向該教捐贈了大量資金的?
那是 1994 年的事了。這一切都是從一個住在附近的母親開始的。母親對孫子(哲也他們)很溺愛,常常請他們吃飯,給他們零用錢。
有一天,當母親像往常一樣與孫子們見面時,聽說A桑正在捐款給統一教。根據後來披露的細節,1991年加入邪教的A女士曾兩次捐出丈夫6000萬日元的人壽保險金,一次是2000萬日元,一次是3000萬日元。我的母親在捐出她最後的1000萬日元人壽保險金後不久,從她的孫子們那裡聽說了這件事。
我媽媽很驚訝並告訴了我的妻子,我這才知道。 1994年8月,我的妻子在她的筆記本中寫下了「統一教被發現」的內容。那時,哲也正就讀國中二年級。
當發現這件事之後,我決定暫時不再匯錢給他。
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——就算提供援助,錢最終也會流向統一教嗎?
就是這樣。
然而,1998年他又恢復了匯款。 A-san的父親(Tetsuya的祖父)是一家建築公司的總裁,現已去世。在此之前,A-san 一家的生活都是靠她父親的高階主管薪酬來維持的,但現在情況已經不再如此了。很明顯,我們家庭的財務狀況會變得緊張,所以在與妻子商量後,我們決定再次開始匯款回家。
——但儘管如此,A女士還是繼續捐款給統一教。
是的。我多次問A桑:“你給統一教捐了多少錢?”然而A-san一直沒有回答這個問題,直到事後接受檢察官詢問時才承認。
事後檢察官注意到了並告訴我,妻子已將轉帳目的地從A先生的帳戶改為哲也和他哥哥的帳戶。他大概以為,就算給A小姐轉錢,也會直接捐給統一教吧。
[2022 年 9 月 9 日中午 12:00 新增] 原始出版物中的部分資訊已被修改。
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祖父過世後,他對信仰更加虔誠。
——在繼續接受經濟援助的同時,他繼續向統一教捐款。捐款金額不會公開。這不違反邏輯嗎?
使用常識是沒有意義的。因為我不再是那樣的人了。
A-san不僅捐出了丈夫的人壽保險,而且在1998年還未經父親許可將父親名下的土地賣掉,並將所得款項捐出。 Tetsuya 似乎在推特上寫道“(他的祖父)拔出了一把菜刀”,但那時父親非常憤怒,並告訴女兒 A-san“離開(統一教)!”兩個月後,A-san的父親過世了。
經歷了家庭悲劇的A-san對信仰的虔誠度更加深厚,1999年她甚至賣掉了自己和三個孩子居住的房子。這太可怕了…這家人失去了家園,不得不從一處出租房搬到另一處出租房。
A公司於2002年破產。我是很久以後才發現這個的。
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——哲也於1998年從著名的奈良縣立郡山高中畢業,但並未考上大學。
他頭腦敏銳,學習慾望強烈。但由於家庭經濟狀況不佳,他被迫放棄上大學。他想去公務員考試預備學校學習,成為消防員,所以我籌集了75萬日元作為費用。
於是我就考了好幾次,雖然筆試通過了,但最後還是沒能通過。哲也嚴重近視。這似乎就是問題所在。這是 2001 年左右的事。
我母親很可憐他,就邀請他來和我們住一段時間。他們告訴我要學習或找工作。當時,妻子的筆記本上寫著:「電腦:10萬日圓」。我猜他媽媽要他買一台電腦,所以他就買了。
顯然,我的兒子碰巧看了 Tetsuya 的電腦並在上面看到了一本英語檢定考試題庫。我想我當時正在考慮學習英語。
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我想把我的人壽保險錢送給我的兄弟姊妹,幫助他們。
——第二年,也就是2002年,您加入了日本海上自衛隊。
我在廣島有親戚參與海上自衛隊的工作。從佐世保訓練隊畢業後,哲也被分配到了日本海上自衛隊吳基地的訓練部隊。
然而,2005年2月,我接到了海上自衛隊的電話。哲也試圖自殺。由於無法聯繫到他的母親,打電話的人詢問了她聯絡方式。
我聯繫了從去年開始就一直互通傳真的奈良統一教前任會長,詢問A桑在哪裡。他隨後表示,“我正在韓國接受為期40天的培訓。”他說:“我一回來就送你去醫院。”
根據海上自衛隊準備的審訊報告,哲也說:“統一教毀了我的生活。我的兄弟姐妹生活貧困,所以我想把我的人壽保險金給他們,以幫助他們。”該報告也已交給檢察官辦公室。
最後,40天的訓練結束,A桑才回來。
——如果您聽到兒子自殺未遂的消息,您會不會趕回家?
所以你不能只用常識。我不再是那種會考慮這些事情的人了。
——Tetsuya,我想你也希望你的媽媽來。
或許恰恰相反。不知道哲也是不是只是不想見A桑。
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您認為自殺企圖的原因是什麼?
經過這件事情之後,各種事實開始在我腦中浮現。
在自殺前,哲也將人壽保險的受益人從母親A桑改為哥哥和妹妹。他為什麼這麼做?事實上,早在一年前,也就是2004年,我就接到了哲也哥哥的電話。
“我媽媽去了韓國,再也沒有回來。”更糟的是,他說:“我已經沒有食物了,已經好幾天沒吃東西了。”此時,哲也的弟弟的病情日益嚴重,已經不適合外出工作了。她的妹妹B也從高中輟學,雖然做兼職,但還是無法養家。當我接到哥哥的電話時,我感到很驚訝。我和妻子趕緊去超市買了一些握壽司和罐頭帶回家。
冰箱是空的。髒盤子被留在水槽裡,沒人知道它們何時被使用過。我至今仍忘不了那一刻妻子臉上的表情。
我記得在回家的路上給了我弟弟一些現金,這件事發生後,B 告訴我,他用這筆錢支付了逾期的水電費。
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他獨自享用“最後的晚餐”
——哲也知道父母家的狀況嗎?
看來哲也已經從哥哥們口中聽說了當時發生的事。因此他自殺並試圖用保險金來支付弟弟和妹妹的生活費用。
在決定自殺之前,哲也一直酗酒,並從高利貸等管道借了總計約100萬日圓。他肯定正在享用他自己的“最後的晚餐”。我還清了那筆債。
——之後,哲也回到了A桑住的房子。
這可能不是他的本意。當我去自衛隊醫院探望住院的哲也時,我們討論了下一步該怎麼辦。我建議她先和媽媽住一段時間,先找份工作或學習,然後再考慮下一步該怎麼做。哲也聽聞此事十分高興。
但我的家人不同意。我想這意味著我應該停止胡鬧。我想見見哲也並向他道歉,但見到他並告訴他這件事對我來說很困難。所以我寫了一封信。 “我們就當那次談話從沒發生過吧。我很抱歉。”那一定令人失望。從此以後我和哲也就沒再見過面了。
(訪談的第二部分是「統一教停止退款是對山神一家貧窮的最後一擊。」)
[東洋經濟新聞正在對第二代宗教人士進行調查]
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——甥っ子である山上徹也さんが安倍晋三元首相を銃撃する事件を起こして約2カ月が経ちました。伯父さんへの取材も殺到したと思います。
事件が起きた7月8日の昼、息子たちから電話がかかってきた。「徹也がえらいことやった」と言うんでテレビをつけたら、容疑者「山上徹也」と大きく報じられていた。すぐに徹也の母A子と妹のB子に連絡し、「急いで荷物をまとめてうちへ来い」と指示を出した。2人はそれから1カ月ほど、この家(伯父宅)で過ごした。
その間、私は何よりも事実関係を正しく解明してほしいという思いから、自分にできることはすべてやってきたつもりだ。
事件直後に検察と連絡を取り、検事がメディアに囲まれていた自宅に2度にわたって来た。検察には所持していた資料をすべて渡すとともに、A子の調書をその場で作成してもらった。資料は私が山上家に仕送りした際の振込用紙や、2007年に他界した家内が手帳に記していたメモ、私が統一教会と交わしたFAXの記録など一式だ。
検面調書作成の翌日である7月15日、私はメディアの囲み取材に応じ、6日間に及ぶメディアの囲い込みが解けた。徹也の伯父として、マスコミへの説明責任も果たしてきた。中には面白おかしく書いたり、取材もしていないのに私の話を聞いてきたかのような報道をするメディアもあったが。
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夫は自殺、弟は小学5年生で事故死
――徹也さんが犯行に及んだ理由を今、どのように考えていますか。
原因は1つではない。さまざまな要因が複合的に絡み合って起きた事件だ。解明するのは簡単じゃない。だから事実関係を間違いのないようにしっかり解明してほしいのだ。いずれ始まる徹也の裁判で、妥当な判決が下されるためにも。
徹也の母A子は、今、社会から強く非難される立場になった。ただ、A子が多額の献金をしてしまうまでには一族内でいろんなことが起きている。A子にとって、何かにすがらないと自分を保てないような現実があったのも事実だ。
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A子の夫、つまり私の弟であり徹也の父親は、1984年に飛び降り自殺をしている。A子の父親の建設会社でトンネル工事の現場監督をやっていたのだが、過労とアルコール中毒でうつ状態だった。京都大学工学部卒業で、学者の道を志していたほどまじめな男だっただけに、裏金が飛び交う業界の常識に懊悩(おうのう)していた。現金を持ち運ぶ仕事までやったと本人から聞いたことがある。限界だったのだろう。
その3年前の1981年、A子の母親も白血病によって急死している。A子にとっては精神的な支柱だったから、これも彼女には堪えただろう。さかのぼれば、A子は中学2年の頃、当時小学5年生だった弟も交通事故で亡くしているんだ。
ーー徹也さんの兄も病気だったと報じられています。
長男は生まれてすぐにリンパ腫が判明し、あごが次第に膨らんできた。抗がん剤治療を受けたが、その副作用で片目を失明した。小学生の頃にはリンパ腫が脳に転移し、頭蓋骨を開く手術をしている。5時間にわたる大手術で輸血が必要だったから、私も血液を提供した。
親兄弟の不幸と、長男の重病、そして夫の自殺。何かにすがりたくなる気持ちは、わからなくもない。
A子は夫が自殺した翌年の1985年2月に長女を出産した。徹也の妹B子だ。徹也は重病を抱える兄と、自分が父親代わりとなって面倒をみる妹に挟まれた、3人兄弟の次男として育った。
大黒柱のいないA子一家を見かねた私は、B子が生まれた2カ月後(1985年4月)から毎月5万円ほどの生活援助金を送ってきた。事件後、検察に渡した仕送り用の振込用紙は、封筒がパンパンになるほどの量になっていた。
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献金が判明し仕送りを止めた
――A子さんが統一教会に入信し、多額の献金をしていることを知ったのは?
1994年のことだった。きっかけは、うちの近所に住んでいたおふくろ。おふくろは孫たち(徹也たち)をえらく可愛がっていて、しょっちゅう3人を呼び出しては食事したり、小遣いを与えたりしていた。
ある時、おふくろがいつものように孫たちと会っている時、A子が統一教会に献金していることを耳にしたんだそうだ。後から詳細がわかるのだが、1991年に入信していたA子は、夫の生命保険6000万円のうち2000万円、3000万円を次々に一括で献金してしまっていた。おふくろが孫たちから聞いたのは、生命保険最後の1000万円を献金した直後のことだった。
驚いたおふくろがうちの家内に伝え、私の知るところとなった。家内は1994年8月当時、手帳に「統一教会、発覚」というメモを記している。徹也が中学2年生の時だな。
発覚したことで、仕送りはいったん止めることにした。
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――援助をしても、そのお金が統一教会に流れてしまうから?
そういうことだ。
ただ1998年には仕送りを再開した。建設会社の社長をしていたA子の父親(徹也の祖父)が亡くなったんだ。それまでは父親の役員報酬がA子たちの生活を支えていたが、それが途絶えてしまった。家計が困窮することは目に見えていて、家内と話し合った結果、仕送りを再開することにしたんだ。
――それでもA子さんは統一教会への献金を続けていた。
そう。私はA子に「統一教会にいくら献金したんだ」と何度も訊いた。しかしA子は、事件後の検事調べの自白に至るまでこの質問には一切答えていない。
事件後、検察が気づいて私に教えてくれたんだが、家内は振込先をA子から、徹也や徹也の兄の口座に変更していた。A子にお金を振り込んでも統一教会にそのまま献金されてしまうと考えたんだろう。
【2022年9月9日12時00分追記】初出時の表記を一部修正しました。
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祖父の死後、さらに信仰にのめり込む
――資金援助は受け続ける一方で、統一教会への献金は続ける。献金額も明らかにしない。道理に反しませんか。
常識で考えたって無駄だよ。そういう人間じゃなくなっているんだから。
A子は夫の生命保険を献金してしまっただけでなく、1998年には父親名義の土地を父親に断りもなく売却して献金してしまっている。 徹也はTwitterに「(祖父が)包丁を持ちだした」と書いていたようだが、あれは父親が娘A子に「(統一教会を)脱会しろ!」と怒り狂っていた時のことなんだ。A子の父親は、その2カ月後に他界してしまった。
身内の不幸を背に、A子はさらに信仰にのめり込んでしまって、1999年には自分や子どもたち3人が暮らしていた家まで売却してしまった。これはひどかった……。家族は家を失い、その後は借家を転々とする生活を送ることになったんだよ。
A子は2002年に破産してしまった。そのことを私が知ったのは、ずいぶん後になってからのことだが。
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――徹也さんは1998年に名門・奈良県立郡山高校を卒業していますが、大学には進学していませんでした。
頭脳は明晰だし勉強する意欲もあった。ところが家庭の経済状況から大学進学は断念せざるをえなかった。消防士になるための公務員試験向け予備校に通いたいというので、私が費用の75万円を工面した。
それで何度か受験したのだが、筆記試験は通っても、最後は合格できなかった。徹也は強度の近眼でね。それがネックになったようだ。これが2001年頃のこと。
不憫に思ったうちのおふくろが徹也を家に呼んで、しばらくおふくろのところで生活していた。勉強したり、仕事探しでもやれということで。当時、家内の手帳には「パソコン 10万円」と記してある。おふくろがパソコンでも買うてやれと言うんで出してやったんでしょう。
うちの息子がたまたま徹也のパソコンをのぞいたら、英検の問題集が映っていたらしい。英語を勉強しようと思うてたんかな。
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死亡保険金を兄妹に渡して助けてやりたい
――翌2002年には海上自衛隊に入隊しています。
広島の親戚に海自の関係者がおってな。徹也も佐世保教育隊を経て、呉の海上自衛隊基地の実習部隊に配属されることになった。
ところが2005年の2月、海自から私のところへ連絡があった。徹也が自殺未遂をしたと。母親と連絡が取れないから連絡先を教えてほしいという問い合わせだった。
私は、その前の年からFAXでやりとりをしていた奈良の統一教会・元教会長に連絡を入れ、A子の居場所を尋ねた。すると「韓国で40日修練をやっている」と。「戻り次第、病院に行かせます」ということだった。
海自が作成した事情聴取の報告書によると、徹也は「統一教会によって人生をめちゃくちゃにされた。兄・妹の生活が困窮しているので、私の死亡保険金を渡して助けてやりたい」と語っていた。その報告書も検察に渡してある。
結局、A子は40日修練が終わるまで帰ってこなかった。
――息子が自殺未遂をしたという報に接したら、急いで帰りませんか。
だから常識で考えたらダメなんだ。そんなこと考える人間じゃなくなっているんだから。
――徹也さんとしては、母親に来てほしかったのでは。
逆だろう。徹也はA子にだけは会いたくなかったのではないか。
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――自殺未遂の原因を、どのように考えていますか。
今回の事件の後になって、いろんな事実関係が私の中で繋がってきた。
徹也は自殺未遂をする前、加入する生命保険の受取人を母親のA子から兄と妹に変更している。なぜそんなことをしたのか。実はその1年前の2004年、徹也の兄から私に電話があった。
「母親が韓国に行ったきり、帰ってこない」と。しかも「食べ物が尽きて、何日も食べてない」という。徹也の兄はこの頃から病状が悪化しており、外で働けるような身体ではなくなっていた。妹のB子も高校をやめてアルバイトをしていたが、家庭を支えるような力はなかった。兄からの電話を受けてびっくりしてね。私と家内は急いでスーパーへ行き、にぎり寿司とか缶詰なんかを買って持っていった。
冷蔵庫の中は空っぽ。流し台には、いつ使ったのかもわからない汚れた食器が放置されたままだった。あの時、顔をしかめた家内の表情が、今でも忘れられない。
帰り際、兄にいくばくかの現金を渡した記憶があったんだが、今回の事件後、あの時に渡したお金で滞納していた光熱費を払えたとB子から聞いた。
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一人で「最後の晩餐」をやっていた
――徹也さんは実家の状況を知っていた?
どうもその時の経緯を徹也は兄弟たちから聞いていたらしい。だから自ら命を絶ち、保険金で兄と妹の生活費を捻出しようとしたんだな。
自殺に踏み切る前、徹也はサラ金などから合計100万円ほど金を借りて飲み歩いていた。一人で「最後の晩餐」をやっていたんだろう。その借金は私が完済した。
――その後、徹也さんはA子さんが住む家に戻ります。
本意ではなかっただろう。自衛隊病院に入院していた徹也に会いに行った時、これからのことを話し合った。私は、しばらくおふくろのところで暮らし、仕事を探すなり、勉強するなりして次のことを考えるのはどうかと提案した。それを聞いた徹也は喜んでなあ。
ところが、うちの家族が了承しなかった。ええかげんにせいということだったんだろう。徹也に会って謝ろうと思ったんだが、会って伝えるのは私もつらかった。だから、手紙を書いた。「あの話はなかったことにしてくれ。申し訳ない」と。がっかりしたでしょうね。徹也と私は、それ以来会っていないんです。
(インタビュー後編は「統一教会からの『返金終了』が山上家貧窮の決定打」)
【東洋経済では宗教2世に関するアンケートを実施しています】
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