01老子體道第一

體道第一

【原文】

體道第一

道可道、非常道。名可名、非常名。

無名、天地之始。有名、萬物之母。

故常無,欲以觀其妙、

常有,欲以觀其徼。
此兩者同出而異名、同謂之玄。

玄之又玄、衆妙之門。

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【読み下し文】

(07) 小川環樹『老子』中公文庫
 
の道う可きは、常の道に非ず。 

名の名づく可きは、常の名に非ず。 

名無きは、天地の始めにして、

名有るは、万物の母なり。 

「常に欲無きもの、以て其の妙を観

常に欲有るもの、以て其の徼を観る」。 

の両つの者は、

同じきより出でたるも而も名を異にす。 

同じきものは之を玄と謂う、玄の又玄、衆妙の門なり。

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(07) 小川環樹『老子』中公文庫

道(みち)の道(い)う可(べ)きは、常(つね)の道に非(あら)ず。 名の名づく可きは、常の名に非ず。 名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり。 故(まこと)に「常に欲無きもの、以(もつ)て其(そ)の妙を観(み)、常に欲有るもの、以て其の徼(きょう)を観る」。 此(こ)の両(ふた)つの者は、同じきより出(い)でたるも而(しか)も名を異(こと)にす。 同じきものは之(これ)を玄と謂(い)う、玄の又(また)玄、衆妙の門なり。

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道の道と可べきは、常の道に非ず。

名の名と可べきは、常の名に非ず。

名無きは天地の始め、名有るは万物の母なり。

故に常に無き,欲にして以て其の妙を観、

常に有り,欲にして以て其の徼を観る。

此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。

同じきこれを玄と謂い、

玄の又た玄は衆妙の門なり。

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道の道(い)うべきは常の道に非ず。

名の名づくべきは常の名に非ず。

名無きは天地の始め、

名有るは万物の母なり。

故に常無は以て其の妙を観んと欲し、

常有は以て其の徼(きょう)を観んと欲す。

此の両者は同じく出でて名を異にす。

同じく之を玄と謂う。

玄の又玄、衆妙の門。

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これが「道」であると言葉で表せる「道」は、永遠不変の「道」ではない。

これが「名」であると名付けられる「名」は、永遠不変の「名」ではない。

「名」が無いのが、天地の始めで、

「名」が有るのが、万物の母である。

ゆえに、天地開闢前の「無」の状態では、「道」の霊妙な働きが観察され、

万物が生成される「有」の状態では、「道」の末梢的な現象が観察される。

両者(「無」と「有」)は、出てくるところは同じで「名」が違う。

同じく「玄」と呼ぶ。

奥深く、また奥深いところ、そこが諸々の霊妙な働きが生まれる門だ。

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1 本当の道は固定したものではない

【現代語訳】

これが本当の道であると人に示す道というのは、絶対不変の固定した道(常の道)ではない。これが本当の名であると人に示す名は、絶対不変の固定した名(不変の名)ではない。
天地が生成され始めるとき名はまだない。そして万物が現れ、名が有るようになる。それが万物の母である。
だから、人はいつも無欲であれば、その道の微妙な奥深い様子がわかり、いつも欲でいっぱいだと、ただ万物の活動する結果だけが見えるにすぎない。
この二つのもの(無と有)は、もともと同じであるが、名がある世界では違った名で呼ばれている。そのもともと同じ根源のところを玄(奥深い微妙なはたらき)と名づけ、さらに深淵の深淵のところを「衆妙の門」(あらゆる微妙なものの始源)という。

【読み下し文】

道(みち)の道(みち)とすべきは、常(つね)の道(みち)に非(あら)ず(※)。名(な)(※)の名(な)とすべきは、常(つね)の名(な)に非(あら)ず。
名(な)無(な)きは天地(てんち)の始(はじ)め、名(な)有(あ)るは万物(ばんぶつ)の母(はは)なり。故(ゆえ)に常(つね)に無(む)欲(よく)にして以(もっ)て其(そ)の妙(みょう)を観(み)、常(つね)に有欲(ゆうよく)にして以(もっ)て其(そ)の徼(きょう)(※)を観(み)る。
此(こ)の両者(りょうしゃ)は、同(おな)じきに出(い)でて而(しか)も名(な)を異(こと)にす。同(おな)じきをこれを玄(げん)(※)と謂(い)い、玄(げん)の又(ま)た玄(げん)は衆妙(しゅうみょう)の門(もん)なり。

  • (※)道の道とすべきは、常の道に非ず……最初の道は、いわゆる道理としての「道」である。次の「道」についてはこれを動詞の「道(い)う」とする説もあるが、前の道と同じに解したい(通説)。「常の道に非ず」というのは、孔子を教祖とするいわゆる儒家の批判である。老子は後でも述べるように孔子より後世の人だと思われる。その老子の考える道は、孔子たちがこれが正しい道と名づけて目指した仁などの道とは違い、名づけることのできない宇宙の根源を指している。なお、體道第一が「道」で始まるので以下爲政第三十七までの上篇を「道経(どうきょう)」、論德第三十八以下の下篇を「徳経(とくきょう)」と称するのが一般となっている。また、一九七三年に湖南省長沙市馬王堆(ばおうたい)で発見された帛書(はくしょ)(布に書かれた老子の書物。以下、『帛書』と呼ぶ)では、上篇と下篇との順序が入れ替わっている。
  • (※)名……名とは名称。言語、概念を意味する。名や言葉をとても重要とするのが孔子ではあるが(たとえば子路第十三参照)、老子においては、名とか言葉は宇宙の根源、すなわち「道」の後に生まれる実体に名づけられ、使われる第二義的なものである。あくまでも「道」を重視し、名や言葉に対する不信は、これも儒家の批判ととれる。
  • (※)徼……帰結や端の意味。ここでは万物の活動の結果をいう。
  • (※)玄……もともと色を染め重ねてできた赤黒い色のこと。ここから「奥深い微妙なはたらき」を意味するようになった。


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