誰が家の玉笛ぞ 暗に声を飛ばす
誰の家で吹く笛の音だろうか。どこからともなく笛の音色が飛ぶように聞こえてくる。
散じて春風に入りて 洛城に満つ
(その音は)春の風にのって、洛陽の町いっぱいに広がっている。
此の夜 曲中 折柳を聞く
この夜、耳にした曲の中に「折楊柳」があった。
何人か故園の情を起こさざらん
(この曲を耳にして)いったい誰が故郷を懐かしむ気持ちを起こさずにいられようか。(いや、故郷を懐かしむ気持ちを起こすだろう。)
詩の意味
誰の家で吹く音色(ねいろ)のよい笛の音(ね)であろうか、どこからともなくその音が聞こえてくる。それは折からの春風に乗って、洛陽の町いっぱいに満ちわたるようである。
こんな夜、曲の中に折楊柳の曲があったが、この曲を聞けば、誰が故郷を恋い慕う思いを起こさずにはいられようか。
柳は生命力の強い植物ですから、健康でいてくださいという意味もあったでしょう。
柳の枝を折って贈る習慣から、のちに笛の曲の「折楊柳」が作られ送別の時に演奏されました。
柳には別れのイメージがあるため「客舎青々柳色新たなり」(王維、第24回)などのように別れの詩によく詠われます。
中国では柳を贈ることが「餞」=「はなむけ」だったのですが、日本語の「はなむけ」という言葉は、旅人の行く方向へ馬の 鼻面を向ける「馬の 鼻向け」からきています。
『土佐日記』の冒頭部分に次のようにあります。
二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。
藤原のときざね、船路なれど馬のはなむけす。
上中下酔 ひあきて、いとあやしく、潮海のほとりにてあざれあへり。
さて、李白の詩の結句は「何人不起~(何人か~起こさざらん)」とあります。
「いったい誰が起こさないものがあろうか、いや、みな起こす」という反語表現です。
「みな」の意は承句の「満」と応じます。
「故園の情」の「故園」は故郷の家の園庭です。
その故園への熱い思慕の情が「故園の情」です。
春の夜に湧きおこる望郷の思いを、笛の美しい音色とともにしっとりと詠った名作です。
語句の意味
- 玉 笛
- 笛を美しく形容したことば 音色のよい笛 「玉」は美称
- 暗
- どこからともなく
- 洛 城
- 洛陽の町
- 折 柳
- 別れの際に歌われる折楊柳の曲
- 故園情
- 故郷を思う情
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