戦争に限らず、日本は恣意的に近代史を学生に教えません。「時間切れ」は明らかな文科省の操作という他は考えられません。
例えば多くの若者は(それ以外の戦後世代の多くは)明治以降の大日本帝国憲法下の日本において女性の参政権はなく、男性も25歳以上の富裕層にしかなかったことを知らず、参議院がなかったこと、貴族院の存在とその内容を知りません。国民皆兵制も含めて国民の多くは意図的な無知を強いられているのです。
決して「敗戦」とは呼ばず、現政権は「終戦」すらも「負の遺産」という言葉で「なかったこと」にしようとしています。北方四島は赤く塗りつぶされ「日本の国土」を主張しています。国歌・国旗も法律で制定されたのは1999年のことですが、戦後から教科書には「君が代」を国歌として記述していました。
歴史とは事実を記載するもので、推論も仮説も許されません。それは遥か昔に司馬遷によって定義されているのです。政権の「希望」を歴史にするのは許されることではありません。
北方領土の歴史上で変転した様々な条約の歴史を教えることなく北方領土の返還をヒステリックに叫ぶだけで、政府もメディアも明らかにはしません。ローズヴェルトがソビエトに千島列島・南樺太の占有を許可し、ソビエトに大量の兵器を与えたこと、そしてソビエトが千島列島に攻撃を仕掛けたのは玉音放送後です。その詳細は浅田次郎の「終わらざる夏」につまびらかに記述されています。
日本は明らかなメディア過剰なのです。人口比率で言えばイギリスの10倍、中国・インドに比べれば実に100倍に及びます。NYタイムズの「巨大なメディアはファシズムである」という姿勢こそ健全です。また日本には「新聞やテレビで言っていることは全て真実」と妄信する悪しき伝統がありますから数字以上に危険極まりないのです。
双方向メディアの端末を多くの人々が持つようになった今、一方的で歪曲された報道を繰り返す装置である大手メディアの必要性はありません。大手メディアはその歴史的な役目を終えたと考えるべきです。
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