我没有什么可向你学习的了"。
黑田隆,本杂志编辑委员会成员兼编辑
“さようなら、福沢諭吉さん あなたに
学ぶものはありません“
只要你生活在这个国家,除非你是个怪人,否则你可能希望自己的钱包里每天都有很多福泽谕吉。
这位曾宣称 "上天并没有在人类之上创造人类,也没有在人类之下创造人类 "的人,是当今日本最高纸币的代言人,而日本的宪法宣称主权在民、尊重基本人权和奉行和平主义,这令人深感自豪。 然而,出于某种原因,福泽谕吉却在 1984 年被选为 10,000 日元纸币的正面,当时正值中曾根首相执政时期,他呼吁 "彻底解决战后政治",其夙愿是改革宪法。 给人的印象是,中曾根是一位主张宪法的首相,而战后许多进步知识分子都对他赞赏有加,甚至将他视为公民自由主义者,这样的组合有些不般配。 但这真的是不匹配吗?
著名的《为学践履》(以下简称《践履》)开宗明义地指出:"天不造高于人者"。 没有读过《践行》的人可能知道(或记得)"上不造人,下不造人"。 但是,如果你读过《实践论》,就会发现,这句重要的话(让人联想到江户时代以地位为基础的制度将被四民平等的新世界所取代的高调宣言)后面是 "说......"。 换句话说,他只是说 "据说",并没有表达福泽本人是这样认为或判断的观点。
在《实践论》中,他继续宣扬,如果你学习,你将成为一个聪明和高尚的人,但如果你不学习,你将成为一个愚蠢和贫穷的人,这就是为什么你应该学习。 一言以蔽之,这本书可以说是一连串的 "威胁":读书就会变得聪明和高尚,不读书就会变得愚蠢和贫穷。
现在,让我们接受这样的论断:教育和学习对于开创四民平等的新时代非常重要。 据了解,福泽创建庆应义塾的目的是向年轻人传授学问,并设立了一所私立学校来接收流亡的朝鲜人。
然而,当我们看到他毫不犹豫地写下这样的文字时,就会产生这样的疑问:我们能否从表面上理解这个人的本来面目? 学校应该计算所有的学校开支,包括政府官员和教师的工资,并将其分配到学生人数中,作为学费收取。 换句话说,这是一种汰贫问富的怪法,能读书的只能是权贵的师生。(摘自《日本新报》社论,节选自杉田聪:《天人のshita shiman wo kudo hito ni shiman wo kuru》)。 换句话说,教育只应该提供给富人的孩子,而把国家的钱花在穷人孩子的教育上是荒谬的。 此外,他还说,最应该惧怕的人是那些'贫穷但聪明'的人,培养这种人的最好办法是'先花钱买日后吃苦的种子',而不是让穷人通过学习获得不必要的智慧。
他是庆应义塾大学的创办人,也是一个相当善于自我宣传的人,在《实践论》中高调宣告新时代的到来,但在他为自己创办的《集智新报》(以下简称《新报》)所写的社论中,他却是一个直抒胸臆的人,在《实践论》、《文明论纲》等重要著作中,他都是盛装写作。如果不了解他在《实践论》和《文明论纲》等大部头著作中的写作与在《新浦》中的写作之间的温度差异,就会在不经意间上当受骗。 最典型的例子就是臭名昭著的 "去亚洲主义"。
"去亚洲主义 "往往被理解为要求 "向亚洲东方的恶友道歉",是要退出亚洲的宣言,但实际上,它更多的是在说,亚洲应该 "顺着西方接触亚洲的风",成为帝国主义的一部分,成为亚洲的分割者和统治者,应该用西方人的眼光来看待亚洲。 难道学习越多,越接近西方人的视角,就越看不起亚洲(把中国人称为 "陈陈"、"顿顿",就像今天的财团法人一样),就会成为希望日本为获取殖民地领土而进行对外侵略的卑鄙小人吗? 这种意识形态可能会将日本(乃至亚洲)带入灾难性的战争漩涡。
他是一个与中曾根心心相印的人。 他很难成为现行宪法下最高钞票的代言人。 他晚年自命为 "明治政府的主人",这只能让人猜测。 相反,他可能是现政府的最佳主人,因为现政府似乎别无选择,只能否定战后时期,想要制定一部限制基本人权的宪法,同时继续扩大差距,剥夺年轻人受教育的机会。
应该说,我宁愿把两位一叶先生抱在怀里,也不愿每天看到他们的脸。 在这里,一场让福泽从 1 万日元纸币中消失的运动已经开始。 让福泽谕吉从 10,000 日元纸币上消失的运动是由三人发起的:半个世纪前为撰写论文而仔细阅读了《福泽谕吉的思想》一书的安川久之助(名古屋大学名誉教授)、受安川研究的启发而进一步研究福泽谕吉的杉田聪(带广农业和兽医大学教授)和谷谷聪(名古屋大学名誉教授)。他们三人还从批判福泽思想的角度为漫画创作了情节,漫画原作者 Ganiya Satoshi(漫画原作者、《三味线》作者)将于今年在全国范围内发起呼吁福泽退休的运动。
为此,安川发表了名为 "Sayonara! 福泽谕吉》的小评论。 截至去年 10 月底,作为创刊号的预备刊已经出版了三期,从今年开始将以每年两期的速度定期出版(年订阅费:1000 日元)。 我们向《当代理论》的读者强烈推荐《当代理论》(如欲订阅,请与编辑部联系)。
最后,我们想介绍一下三位作者关于福泽的著作。 请与微型漫画一并阅读。
安川久之助,《日本近代教育的思想结构》(1979 年,增订版,Shinhyoron);《福泽谕吉的亚洲意识》(2000 年,Kobunken);《福泽谕吉到丸山正雄》(2003 年,Kobunken);《福泽谕吉的感性到天平铁》(2006 年,Kobunken);《福泽谕吉的教育和女性理论》(2013 年,Kobunken)。Kōbun Kenkyū)
杉田聪,《福泽谕吉:朝鲜、中国、台湾里弄》(2010 年,明石书店),《天和人之下流》(2015 年,Impact Press)。
Ganiya Satoshi,《2 念 Ckyu 特别研究小组:福泽谕吉》(暂定,即将出版,汤研社)。
“さようなら、福沢諭吉さん あなたに
学ぶものはありません“
本誌編集委員・編集者 黒田 貴史
この国で暮らしているかぎり、よほどの変わり者でなければ、誰しも毎日財布のなかに福沢諭吉がたくさんいてくれることを望んでいるだろう。
主権在民、基本的人権の尊重、平和主義をうたった憲法の下にあるいまの日本で、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と宣言した人物が最高紙幣の顔であることはまことに誇らしい。しかし、その福沢諭吉が1万円札の顔に選ばれた(1984年)のは、なぜか「戦後政治の総決算」をとなえ、憲法改正が悲願だった中曽根首相時代だった。何人もの戦後の進歩的知識人がもてはやし、市民的自由主義者だったとまで評価していた人物と改憲派の中曽根首相というのはどこかちぐはぐな組み合わせという印象をおぼえる。しかし、本当にちぐはぐなのだろうか?
「天は人の上に人を造らず~」は有名な『学問のすゝめ』(以下、『すゝめ』)の冒頭の一節だ。『すゝめ』を読んだことがない人は、「人の下に人を造らず」までを知っている(覚えている)だろう。しかし、『すゝめ』を読んでみると、その重要なことば(身分制の江戸時代から新しい四民平等の世の中に変わるのだといわんばかりの高らかな宣言を思わせる)の後に「と云えり」とつづく。つまり「といわれている」といっているだけで、福沢自身がそう思っている、判断していると確信をもって意見表明をしているわけではない。
『すゝめ』では、この後、学問をすれば、賢人、貴人になれるが、学問をしなければ、愚人、貧人になる、だから学問をせよという説教がつづく。有り体にいってしまえば、「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」といわれているが、学問をすれば賢人・立派になれるが、学問をしないとバカ、貧乏人になるぞという脅しを書き連ねた本だともいえる。
新しい四民平等の時代を迎えるために教育・学問が重要だという主張はとりあえず肯定しておこう。福沢はそのために慶応義塾をつくって若者に学問を伝え、亡命朝鮮人も受けいれる私学をつくったと理解しておこう。
しかし、他方でこんなことを臆面もなく書いているのをみると、「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の額面通りにこの人物を理解していていいのか、疑問がわいてくるのではないだろうか。「官員・教員の俸給等、一切の校費を計算してこれを学生の数に割りつけ、授業料としてこれに課すべし。すなわち、貧生・富生を淘汰するの妙法にして、学につく者はただ富豪の師弟のみならん」「天下公共は人の私(わたくし)を助くるの義務あらざれば……貧家の子を救うるに公共の資本をもってすべからざるの理由もまた明白」(『時事新報』論説から、杉田聡『天は人の下に人を造る』から孫引き)。つまり教育は金持ちの子どもに対してだけおこなえばよく、貧乏人の子どもの教育に国の金を使うのはけしからんとあからさまにいってのける。しかももっとも恐れるべき相手は「貧にして知ある者」であり、そういう人間を育てるのは「前金を払うて後の苦労の種子を買うもの」であり、貧乏人に余計な知恵をつけさせる勉強などさせるなといっている。
慶応義塾の創設者であり、『すゝめ』で高らかに新しい時代を宣言するというなかなか自己宣伝も上手な人だったようだが、みずから創刊した『時事新報』(以下、『新報』)の論説では、露骨に本音をぶちまける人物だったようで、『すゝめ』や『文明論之概略』のような大きな著作で格好をつけて書いていることと『新報』で書いていることとのあいだの温度差をうめて理解しないとうっかりだまされてしまう。その極めつけが、悪名高い「脱亜論」だ。
「アジア東方の悪友を謝絶」しろというところからアジアを抜けだせと宣言していると理解されがちだが、本音はむしろ、「西洋人がこれに接するの風にしたがって」アジアを分割統治する側になって帝国主義の一員になるべきであり、西洋人の目線からアジアを見ろといっている。学問をすればするほど、西洋人の目線に近づき、アジアを蔑視して(中国人を「チャンチャン」「豚尾(とんび)」などと、まるで現在の在特会のように表現している)、植民地獲得の対外侵略に乗りだせという野卑な人間になりさがっていくのだろうか? そういう思想が、日本を(アジアを)悲惨な戦渦に巻きこんでいったのではないか。
まことに改憲派中曽根の意にかなった人物ではないか。およそいまの憲法の下で最高紙幣の顔がつとまる人物とは思えない。晩年には「明治政府のお師匠様」と気取っていたのであるから、推して知るべし。それどころか、格差を拡大させ若者から教育の機会を奪うことばかり続けながら、戦後を否定し、基本的人権を制約する憲法をつくりたくて仕方なさそうな現政権にしてもまことに願ったり叶ったりのお師匠様かもしれない。
毎日あの顔を拝むより、一葉さん二人を懐に抱くほうがよほどましというべきか。ここにきて、1万円札から福沢を引退させようという運動がはじまった。半世紀まえに論文執筆のために『すゝめ』を精読して以来、福沢思想の問題を追求してきた安川寿之輔さん(名古屋大名誉教授)、安川さんの研究に触発されて福沢研究を深めた杉田聡さん(帯広畜産大教授)、やはり福沢思想を批判する視点から漫画のシナリオを作成した雁屋哲さん(漫画原作者、『美味しんぼ』原作者)の3人が、今年から福沢の引退を求める全国行脚をはじめるという。
それにあわせるかたちで、安川さんは2014年から『さようなら! 福沢諭吉』というミニコミをはじめた。昨年10月末までに創刊準備号として3号を刊行し、いよいよ今年から年2回刊行のペースでの定期刊行がはじまる(年間購読料1000円)。『現代の理論』読者にもぜひおすすめしたい(購読希望者は編集部にご連絡ください)。
最後に3者の福沢にかんする著作を紹介しておこう。ミニコミとあわせて是非ご一読を。
安川寿之輔『日本近代教育の思想構造』(1979年増補版、新評論)、『福沢諭吉のアジア認識』(2000年、高文研)、『福沢諭吉と丸山真男』(2003年、高文研)、『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年、高文研)、『福沢諭吉の教育論と女性論』(2013年、高文研)
杉田聡『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論』(2010年、明石書店)、『天は人の下に人を造る』(2015年、インパクト出版会)
雁屋哲『2年C組特別勉強会 福沢諭吉』(仮、近刊、遊幻社)
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