日本のアヘン密売と通州事件


2018-07-29


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写真は冀東防共自治政府が1937年に発行した硬貨。
   
1937年7月29日、通州事件発生。
 通州事件とは、日本の傀儡政権が起こした反乱事件。この事件は、日本軍の指揮下にあった、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものであるにもかかわらず、日本は、中国人の起こした残虐事件として大々的に宣伝した。このため、今でも、事件の背景を知ることなしに、日本人が被害にあったことのみを取り上げて、中国への敵愾心をあおりたてる見解が散見される。無知による排外運動は好ましいものとは思えないので、通州事件とその背景を、ごく簡単に説明する。
  
 中国侵略を進める日本は、アヘン・麻薬を密売して利益を上げようとしていた。華北向けのアヘン・麻薬密輸は天津が中心都市だったため、中国警察の抵抗なく北京にアヘンを拡散させるためには、河北省を抑えると便利だった。1935年11月25日、日本軍は、日本人女性と結婚していた親日家の殷汝耕に命じて、河北省に親日傀儡政権・冀東防共自治政府を樹立させた。
 冀東防共自治政府が樹立されると、国民党政府はこれに反発、翌26日には殷汝耕ら首謀者の逮捕令を発するとともに、何応欽を派遣したが、日本側は彼との面会を一切拒絶した。冀東防共自治政府では日本軍の保護のもと、アヘン・ヘロインの卸・流通・密造を日本人が行い、朝鮮人は小売などに携わっていた。
  
 通州事件とは、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものである。
 1937年7月29日、冀東防共自治政府保安隊は挙兵し、日本人居留民等を襲撃し殺害・強盗した。犠牲者のうち100人以上は朝鮮人で、日本人も同規模の犠牲をこうむっている。被害者に朝鮮人が多いのは、アヘン密売等に携わっていた朝鮮人が多かった為である。
 通州事件は、日本軍の介入によって、1日で鎮圧され、殷汝耕は事件の責任を取って辞任した。冀東防共自治政府は、その後、日本が作った中華民国臨時政府に合流した。通州事件は、日本軍の指揮下にあった、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものであるにもかかわらず、日本は、中国人の起こした残虐事件として大々的に宣伝した。
  
 不思議なのですが、日本軍の息のかかった冀東政府は、なぜ、一般住民を虐殺するような不逞中国人を雇って、武器を渡したのでしょう。
 ロシア革命に際してシベリア出兵した日本軍は、セミョーノフを支援した。セミョーノフの軍は、きわめて残虐だっので、ロシアでは、日本軍の残虐性として語り伝えられている。あまりの残虐さのためセミョーノフには精神障害があったとの見解もあるが、このような最悪の男を、日本軍が積極的に支援して、残虐行為をやらせた理由は不明。
 日本軍は、残虐な悪党を好む傾向が強いのだろうか。

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