"98 US PW 5-10-43" と彫られた岩
1943年10月6日と7日[107]、アルフレッド・E・モントゴメリー少将指揮のアメリカ第14任務部隊(空母エセックス (USS Essex, CV-9) 、ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) 、レキシントン (USS Lexington, CV-16) 、インディペンデンス (USS Independence, CVL-22) 、ベロー・ウッド (USS Beleau Wood, CVL-24) 、カウペンス (USS Cowpens, CVL-25) 基幹)がウェーク島に対して合計738機を繰り出して空襲を行い[108]、また重巡洋艦によって艦砲射撃を実施した。これらの攻撃は日本軍に大きな損害を与えた[109]。
この攻撃により、備蓄してあった食糧の大半が焼失し、以後のウェーク島防衛に大きな影響を与えることとなった[110]。一連の攻撃の後、酒井原はウェーク島に残してあったアメリカ人捕虜98名を島の北部に集め、機関銃で虐殺した[109]。1名のアメリカ人が隙を突いて脱走し、岩に "98 US PW 5-10-43" というメッセージを彫ったが、彼もまた捕らえられて斬首された。
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