海外では日本が韓国を植民地化した(ことを前提に)と繰り返されていますが、日本は一度も韓国を植民地化したことがありません。自称日本人中学生までも肯定しています。どうすればプロパガンダを直せますか?
日本領朝鮮は植民地です。当の大日本帝国が「植民地」としていたからです。「プロパガンダ」はむしろ「朝鮮は植民地ではなかった」論の方です。最近は、「西欧みたいな悪い植民地じゃなかった」とか言い出す人も増えてきましたが、一緒ですよ。
画像はこちらのサイトから引用しています。
日本の「植民地」は「植民地」ではなかった、という人が90年代以降急増しました。
いわく、
- 近代西欧型植民地(colony)の意味ではなく、単なる開拓地の意味で使われている
- 「植民地」の意味は明治時代以降、単なる開拓地という意味の植民地と、差別的・搾取的支配地の意味の植民地に二分化した
- 搾取を目的とした植民地であれば、インフラを整備し、教育を施し、持ち出し超過の経営をするはずがない
- たしかに植民地だったかもしれないが、西欧の悪い植民地とは違って良い植民地だった
という内容のコピペです。コピペです。大事なことなので二度いいました。
「朝鮮は植民地であった」というと、「朝鮮は植民地ではなかった」と反論する人がいます。しかし上掲の写真を見れば一目瞭然ですね。植民地です。すると、4のような反論がきます。「悪い意味での植民地ではなかった」。
あのさあ、どっちだよ。
日本の「植民地」は西欧型の「colony」ではなかった、なんていう人がいますが、そもそもこの説明には「西欧型の『colony』」とはなんぞや、という定義が欠けています。1960年、国連において採択された「Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples」という条約の日本語訳は「植民地と人民に独立を付与する宣言」です。
宣言の原文読めば解りますが、ここで植民地とは「非自治地域」 (Non-Self-Governing Territories) です。
さらに、戦前の『植民地要覧』
には以下のように記述されています。植民の語源はコロニー、即ちラテン語のコロニヤから転化したもので(中略)、意味が段々変わってきて、普通植民地を指すところの詞になった。
(『殖民地要覧』より)
あからさまに、「colony」=「植民地」ですよ。
「植民地」という言葉には「colony」と「territory」のふたつの意味がある、なんて言ってる人もいますが、そんなことはどこにも書いてありません。むしろ、はっきりと「植民地」とは「Non-Self-Governing Territories」であり、「colony」である、と記されています。勇ましいアイコンで勇ましい妄想を主張する前に、勉強すべき現実が山ほどあるんじゃないでしょうか。
つまり、「朝鮮は植民地ではなかった」「日本の『植民地』は西欧のcolonyとは違う」論者は、この程度の基礎的知識すらないし、史料もきちんと読めていない、または読んですらいないことが明白です。
すると、次はこんな言い訳がくるかもしれません。「北海道だって『植民地』とされているではないか」。ええ、そりゃそうです。なんせ当時の北海道には自治が敷かれていませんでしたから。北海道は戦前「植民地」だったんです。
昭和18年3月市制町村制の画期的改正に当りここに北海道1、 2級町村制は廃止されることになり、従前の2級町村は指定町村としておおむね従来の形態をも って存置されたのであるが、終戦後の第1次の地方制度改正により、昭和21年10月5日から これら指定町村制度の特例が廃止され、本道にも全く他府県町村と同様の制度が施行されることとなった
(北海道市町村自治制の沿革概要より)
まして朝鮮は異民族支配の地。
日本統治下の朝鮮では、朝鮮総督が行政のみならず立法権、司法権も一手に握っていました。朝鮮総督は歴代全員、日本人の軍人です。更に官僚を見ると右グラフの通り、最上位の勅任官に朝鮮人は2割もおらず、しかも歳月を下るほど上級官僚から朝鮮人の姿が減っていました。ナンバー2の政務総監、各道の警察トップである警察部長は歴代全員日本人です。裁判所判事、検事も常に7割以上が日本人で、上級位の勅任官は全員日本人。そして、朝鮮人は朝鮮戸籍令により日本人と異なる戸籍で管理され、両者は明確に峻別されていました。どう見てもどっぷり異民族支配です。
「自治のない異民族支配」であれば、それは「植民地」だということです。
この記述を曲解し、「植民地とは自治のない異民族支配であると萩原が言っている」と述べる方がいますが、論理が逆です。論理と読解の基礎を学び直してください。
つまり、どこからどう見ても朝鮮は「植民地」です。それでも「朝鮮は植民地ではなかった」と言い続ける人は、「大日本帝国による朝鮮半島支配は善であった」と言いたいだけなんですよ。「植民地」「colony」の国際法上の定義なんて知らないから、ただ「植民地」という言葉は悪い意味があるぞ、くらいの思い込みで、結論ありきの「朝鮮は植民地ではなかった」と主張する。「いや植民地だろ」と突っ込まれたら、「悪い意味での植民地ではなかった」などとエクストリームな言い訳に飛んでゆく。とてもじゃありませんが歴史や検証する態度ではなく、ただイデオロギーで歴史を改竄しているだけです。
つまり、「朝鮮は植民地だった」論ではなく、「朝鮮は植民地ではなかった」論の方が「プロパガンダ」なのです。
3のような意見もイヤと言うほど目にします。
1910年、大韓帝国の懇願によって日本は韓国を併合、日本領朝鮮とした。現地で善政を施し、差別を解消し、教育を行い、生産力を大幅に上げて平均寿命を延ばした。大日本帝国の「植民地」経営は善であった、悪い「植民地」とは違う、だから植民地ではなかった、というわけです。
それでは、ここで当時の沖縄県を見てみましょう。
そてつ地獄
第1次世界大戦後の恐慌期とそれに続く長期不況のため、県民が陥った極度の生活難をさすことば。欠食児童や長欠児童の増加、子女の身売りまで行われた。有毒性のソテツで飢えをしのいだことから、『沖縄朝日新聞』の比嘉栄松記者が命名した。
大正9(1920)年の調査によると沖縄県の人口はおよそ57万人。それが、20年後の昭和15(1940)年には、なんと同じ57万人です
。人口増加率はむしろ下がっています。戦前の沖縄には大学はなく、旧制中学・高等女学校の数は全国最小数でした。NHKの開局も1942年という遅さです。
県内には大学はなく、師範学校、中学校や高等女学校が最高学府であった。昭和19年4月の沖縄県の中学校は6校(私立1校を含む)、高等女学校は7校(私立2校を含む)の全国最少数であった
。
そのような状況が、1945年から一変します。舗装道路が各地に建設され、テレビ局やラジオ局などインフラが整備され、沖縄初の大学である琉球大学ほか教育機関が拡充され、わずか20年間で人口が三倍近くにまで増えます。アメリカの占領政策によるものです。
もし朝鮮、その他台湾・南洋・満州などの統治が素晴らしい善政であり、莫大な金額を持ち出して発展させ現地の経済力も人口も増した、という主張が真実であって、大日本帝国はアジア解放のために働いたのだというのならば、どうして沖縄は「そてつ地獄」のまま放置されていたんでしょう。朝鮮の差別を根絶し、満州民族のために建国に力を貸し、インドネシアのために戦ってオランダを追い出した、そんな利他的で自己犠牲精神に富んだ方々が、自国領である沖縄にはなんにもしなかったなんて、どうしても説明できません。
私は別に、「それじゃウイグルはどうなんだ」というウイグル論法のために沖縄を持ち出しているわけではありません。「植民地ではなかった」というような主張を支える「善政」、すなわちインフラの整備や教育機関の拡充は、決して現地人のためを思ってされたものではなく、ただ宗主国の利益となるから行われたものであるということです。持ち出し超過の投資はあくまで投資であり、利益を回収する目的のものです。
アメリカは、日本にとっても沖縄にとっても侵略者です。アメリカは日本から沖縄をいわば分捕り、自国の支配下に置いたのですから、自らに利益となるような「素晴らしい統治」をすることが当然であるといえます。しかしそれは沖縄県民のためでは決してなく、沖縄の安定と成長がアメリカの極東戦略に大いに資するからであり、投資以上のリターンがあるからです。
つまり日本が併合後の朝鮮にやったことは、アメリカが占領後の沖縄にやったこととほとんど同じであり、善政だからと胸を張るのも、まして現地民に感謝せよと文句を言うのも、まったく筋違いです。
日本領となった朝鮮では、インフラの整備が進み、各種教育機関のほか京城(現ソウル)には帝國大学まで設置され、現実に人口が増えたことはデータとしては間違いないでしょう。しかしそれは朝鮮人のためを思ってのことではなく、あくまで日本の利益のためです。しかも現実には朝鮮は困窮しており、ゆえに日本本土へ出稼ぎ目的の渡航が増えることとなります。
それでも結果として善政だったんだから植民地ではなかった、韓国は日本に感謝せよ、などというのならば、結果として散々な悪政を敷いた上に9〜15万人とされる無辜の県民を死に至らしめた日本は沖縄に恨まれ批判されて当然でしょう。朝鮮は悪い意味での「植民地」ではなかったというのなら、沖縄は悪い意味での「植民地」です。百歩譲って植民地時代のインフラ整備を再評価するにしても、インフラも教育機関もまともに整備せず、サトウキビばかり作らせて飢餓は放置していた大日本帝国に沖縄が感謝するいわれはありません。何もかもアメリカがやってくれた。それで、なーにが「沖縄は日本のものだ」って話ですよ。
ネタ元のひとつである小林よしのり以外にも、朝鮮統治を例に出し、こんなに現地を思ったお人好しの植民地経営をしたのは日本だけだ!という人がよくいます。しかしそれはあまりにも世界史に無知だといわざるを得ません。果たしてタンザニア人はドイツに感謝しているのでしょうか。タンザニアは恩知らずだ、ドイツに感謝すべきなどというドイツ人がいるのでしょうか。
植民地は金も手間もかかる。ちょと思いつくほどには、なかなか儲かるものではない・・・私がそんなことを口走るのも、1979年、はじめてのアフリカ行きで、(タンザニア中央鉄道)の終点キゴマ駅で線路を見おろすと、ふと鉄の枕木に記された「クルップ、1908」という刻印に気づき、かつてドイツがこの鉄道にどのぐらいの投資したものか!と嘆息したのを思い出すからです。
帝国主義者カール・ペータースが先住民の首長らに「ドイツの保護を求める」契約を結んだのが1884年頃、ベルリン会議でタンガニイカ領有が認められたのが1885年、先住民による最後の大規模反乱であるマジマジ戦争が1905~1908年ですが、そのさなかの1905年に鉄道建設がスタートします。そして1252km(東北本線の2.3倍)の線路が終点のキゴマ駅までつながってようやく開業したのが第一次世界大戦勃発直前、これではドイツが投資に見合う利潤を引き出す暇もありません。
(植民地経営のための手段としての“植民地政策学”(続き)鉄の枕木から米糖相克まで
ー 高畑由起夫)
果たして、これで「西欧の悪い植民地に比べて、良い植民地だった」などと言えるのでしょうか。私には、追い詰められた歴史改変主義者の苦しい言い訳にしか思えませんけども。
最近の韓国政府の対日政策は、確かに決して褒められたものではありません。政治的イデオロギーで歴史を書き換えようとしているという批判も、妥当する部分はあるでしょう。しかし朝鮮で善政を敷いたとか植民地ではなかったなんてのも、歴史の改竄です。まして日本語で日本人向けに「日本は正しい」と主張している限り、それは歴史の検証ではなくイデオロギーでありプロパガンダに過ぎません。
改竄された歴史を正し、人々を洗脳から解くのだというなら、日本語で日本人に向けてネット弁慶するのではなく、アメリカ・イギリス・韓国・中国・フィリピン・インドネシアに行き、現地語で彼らの「洗脳」とやらを解いてあげてください。
韓国や中国を過度に敵視し差別する人々は、ほぼ例外なく日本は朝鮮のために朝鮮を併合した、アジア解放のために戦ったなどと述べています。しかしそんな人々が反差別を掲げ、利他精神から持ち出しの開発をして、アジア解放のために立ち上がるわけねえよな、と思います。すでにお手本となるようなコメントがついていますが、日本を誇りたいならまず母語である日本語を適切に読み書きする能力を培いましょう。
植民地について語るには、重商主義との深い関連を知る必要があります。こちらの回答もぜひご一読ください。
脚注

この種の歪んだ認識を、私は「左翼憎けりゃ袈裟まで憎い現象」と呼んでいます。憲法とか人権とか平和とか植民地とか慰安婦とか南京とか。最近だと民主主義や男女平等など、公平や正義も憎まれています。冷戦時代後半から、トンでも理屈で「左翼」に反論しているうちに、本気で信じる人が現れたのです。アカデミアも、政治に巻き込まれることを嫌ってパブリックには批判しない、あるいはメディアで取り上げないので、ますますおかしな認識が広まっていきます。
面白いのは、本音では韓国を馬鹿にする気持ちがあるので「朝鮮半島ごときに善政を敷いたのがそもそも間違いであり、今後朝鮮半島を再植民地する場合、むしろ過酷に搾取すべきではないか」というと、「その通り」と答えます。なんなんでしょうね。
祖母が南洋庁勤務(パラオ)だったので、その時代の話はとても面白いです。
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