海外では日本が韓国を植民地化した(ことを前提に)と繰り返されていますが、日本は一度も韓国を植民地化したことがありません。自称日本人中学生までも肯定しています。どうすればプロパガンダを直せますか?

「大韓帝国」という名称について。 彼らは本当に植民地を持っていたのでしょうか。それとも現在の北朝鮮のように自称ですか?
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ご質問を読みながら考えたのですが、「帝国」を名乗る以上、植民地を持たなければならないのでしょうか?例えば、日本は江戸時代末期に「帝国」を名乗り始めているのですが、その時期に日本は植民地を持っていたとお考えですか?Wikipediaの「大日本帝国」の項目には以下の使用例が挙げられています(太字は引用者による)。 1854年(嘉永7年)日米和親条約前文で「帝國日本」(英文では"Empire of Japan")の国号を使用 同年 日英和親条約では正式名称で「日本國」としたが、本文の「日本大君」を英文で"His Imperial Highness the Emperor of Japan"と表記し、日本語約文で江戸幕府を「大日本帝國政府」と表記 1858年 日米修好通商条約で、本文に「帝國大日本」の国号を使用 明らかに、"Empire" の訳語として「帝国」が使われています。そして周知のように、この時期の日本は植民地を持ちません。明らかに「帝国」という言葉は「植民地を持った国」を意味していません。 そもそも"Empire"とは複数の国を従えた皇帝によって統治された超国家みたいなものを指します。おそらく江戸幕府は、諸藩を束ねる連合政府のようなものとして自身を捉え、それをもって日本という国を英語でいうところの"Empire"に相当するものであると考えたのでしょう。 1895年に清から独立した李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(Korean Empire)と改めますが、明らかに大日本帝国を参考にしたのでしょう。Wikipediaの「大韓帝国」の項目では、「三韓を統合した国家だから」という理屈で「帝国」を名乗ったと説明されています。
世界で唯一アメリカにケンカを売っている北朝鮮は大日本帝国の遺伝子を受け継いでいますか?
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とんでもない!旧大日本帝國と朝鮮民主主義人民共和国は真逆だと思います! 旧大日本帝國は日露戦争に辛勝しただけなのに国民的に勘違いして夜郎自大状態に陥り、陸軍は世界一の陸軍国のロシア帝国とその後継国のソビエト社会主義共和国連邦を、海軍はこれまた大英帝国を抜いて世界一の海軍国になったアメリカ合衆国を仮想敵国としました。要するに旧大日本帝國陸海軍は陸海の世界チャンピオンになったつもりだったのです。何という思い上がり、夜郎自大にも程があるってもんです(笑)。そんな二十世紀に蘇った夜郎国に未来があるはずもなく、中華民国、中国共産党、アメリカ、イギリス、オランダと敵に回して破滅したのは必然でした。 そんな勘違い国家のImperial Japanとは対照的にDPRKはソ連と中共に西側(古!)と直接対峙する東側(社会主義)諸国の「緩衝国」としての価値を認めさせ、援助を引きずり出している現実的外交手腕は見事です。朝鮮中央放送はマッチョに「米帝」や「南朝鮮米帝傀儡政権」などと口汚く罵っていますが、外交路線は中共やロシアの「虎の威を借る」謙虚さがあり、全然夜郎国ではありません。日本海にミサイルを発射しても、実際に攻撃(砲撃)するのは韓国だけという分別もあります。トランプ米前大統領がDPRKとはディールできると思ったのも故なきことではないのです。 彼の国が「左翼冒険主義」に走ったのは1950年ですから、もう71年前のことです。1955年の朝鮮戦争休戦以来、北が冒険主義に走ったことはありません。きっとマッカーサー率いる国連軍(米軍が主力)に鴨緑江付近まで追い詰められた(中共の「義勇軍」を自称した人民解放軍が国連軍を北緯38度線付近まで押し戻して休戦)教訓を忘れていないのです。というわけで朝鮮民主主義人民共和国と旧大日本帝國は似ても似つかないと考えます。「アメリカにケンカを売って」はいません。あれは口先だ
「帝国」の条件が多民族統治だとすれば、なぜ大日本帝国や大韓帝国、ドイツ第三帝国は帝国を名乗れたのですか?
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大日本帝国 - Wikipedia に次のような記述があります: *******「帝國」は隋代の『文中子・問易』を初出とし、「徳を以て治める国」とされた。『日本書紀』にも「帝國」に「みかど」の訓を当てた用例があるが、天皇の所在を意味する用語であり、今日の「帝国」とは必ずしも一致しなかった。一方で、天皇が統治する国という意味で「皇国」、「スメラミクニ」(皇御国)が使われていた。これらは政治や思想、主義、規模等に基づく「Empire」(帝国)とは本来一線を画していたが、幕末以降に欧米列強の影響を受け、日本側も"Empire"の訳語としての「帝国」を意識するようになった。******** 要するに、「大日本帝国」を名乗った時点では、「帝国」という言葉は多民族統治を意味していなかったのです。ちなみに大日本帝国を正式に名乗ったのは1890年の帝国憲法公布時であり、使用例は1873年頃まで遡るようです。日本は1894年の日清戦争を経て海外領土を獲得、欧米の"Empire"の訳語としての「帝国」を意識することになります。 大韓帝国の例も似たようなものであったろうと推定されます。日清戦争後、李氏朝鮮王国は清国の属国を脱して独立国家として「大韓帝国」を名乗りますが、この時も多民族統治の意味はなかったようです。ただ、高句麗、百済、新羅の三韓を統一した王国ぐらいの意味はあったようです。 ドイツ第三帝国"Drittes Reich"についてですが、神聖ローマ帝国、ビスマルクの帝政ドイツを継ぐ第三番目のドイツ統一国家ぐらいの意味です。神聖ローマ帝国は古代ローマ帝国を意識したEmpireでしたし、ビスマルクの帝政ドイツもドイツの諸王国を統治する「帝国」ではありましたから、それに続く「帝国」を目指すんだという意識の入った呼称ではあったのでしょう。過去の2つの帝国に続く第3の帝国を目指すという考え方はナチス以前
日本の第二次世界大戦敗戦後に、国名が大日本帝國から日本國と大が外れたのは、朝鮮半島や台湾や南洋諸島や満洲や千島列島や南樺太や沖縄や小笠和諸島や竹島と言った領土を失い国土が狭くなったからでしょうか?
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以前豆知識として仕入れた程度の知識ですが、実は日本の国号はそれほど正式に決まっているわけではないそうです。ただ大日本帝国憲法内では大日本帝国が、日本国憲法内では日本国が、それぞれ自称として用いられているので慣習としてそれを国号として用いていたにすぎません。明治時代の日韓議定書では、双方が大日本帝国と大韓帝国を名乗っていますが、正直なところ当時の両国が「大」「帝国」の体をなしていたとはとても思われず、名前だけでも大きく強そうにしたのでしょう。超合体魔術ロボギンガイザーとか無敵超人ザンボット3とか大空魔竜ガイキングとかにつく、大げさな接頭辞と同じです。 なお、帝国というのは銀河帝国だとかガミラス帝国だとか強くて悪そうなイメージですが、漢字文化における帝国は「皇帝が徳を持って治める」くらいの意味です。日本の天皇が皇帝かというと、皇帝とか上皇とか皇后とかいう名称は中国の皇帝からの頂き物で、皇帝とは違う気がします。天皇という言葉自体も中国で皇帝の意味で用いられ得ていたそうで、日本の天皇は西洋的、中国的皇帝とは違う、「スメラミコト」という日本独自の存在だと思います。この辺はマンガ日本の歴史を読むとよくわかります。 つまり、もともと江戸時代あるいはもっと以前から対外的に「日本」に「大」とか「帝国」とかつけて大きく強く見せようとしていましたが、正式な国号ではなかった、必要に応じてつけたりつけなかったりしていたので、戦後特別に外れたわけではありません。 ちなみに明治時代に作られた国璽は「大日本國」と彫られており、現在もこの国璽が使われています。
イギリスはどうしてインド、パキスタン、バングラディシュという広大な領土を植民地にすることが出来たのでしょうか?
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イギリス東インド会社とによるインド支配はインド北部を支配していたムガル帝国の封建制スキームとカースト制度を利用することによって可能になったと言えるでしょう。高校の世界史で習った(ですよね?)セポイの乱(1857–1859)以降、大英帝国はインド支配を東インド会社に任せるのをやめて直接支配に乗り出し、1877年に大英帝国のヴィクトリア女王を皇帝に戴くインド帝国が成立しました。ムガル皇帝の代わりに大英帝国女王をインドのトップに据えたのですが、legitimacyを欠くこの体制は長持ちせず、70年後の1947年に大英帝国から独立してインド連邦が成立します。 武装総合商社とも言うべきイギリス東インド会社は1600年に成立し、インド亜大陸各地にマドラス(現チェンナイ)、ボンベイ(現ムンバイ)、カルカッタ(現コルカタ)など交易の拠点都市を「点」で獲得します。マドラスは東海岸の、ボンベイは西海岸の貿易港ですが、インド東部のベンガル地方のカルカッタに拠点を築いたイギリス東インド会社は1717年にムガル皇帝からベンガル地方における輸出関税の免除特権を得たため、カルカッタはベンガル地方の綿などの産物を集積してイギリスへ輸出するイギリス東インド会社のインドにおける最重要拠点になります。 (イギリス東インド会社のインド主要拠点) 十八世紀のインド亜大陸ではフランス東インド会社が資本を増強し勢力を拡大してイギリス東インド会社と武力的に衝突するようになりました。当時のヨーロッパ(英仏蘭)の東インド会社は前述のとおり武装総合商社で、海では海賊、陸では山賊・盗賊のように振る舞い交易でボロ儲けをするヤバい組織でしたが、その武力はもちろん現地人の襲撃にも備えていましたが、基本的に東インド会社同士の抗争に使われていました。イギリス人やフランス人がはるばるインド亜大陸までやってきてドンパチやるんですから、インド人はさ
勉強や対策なしで駿台現代文偏差値72(離散) ある身としては常人の文章読解力の無さに嫌気がさしますってか死にたいです。死ぬしかないですかね?
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「普通の人」(偏差値50±15)に満遍なく伝わる言い回しの習得、彼らの「読解力のすき間」の見極めは、それはそれで興味深いテーマじゃないですかね。 今はもう、Quoraを去ってしまった萩原 遼 (Ryo) さんの回答に、「複文を読めないライトノベル小説家」の話が出て来ます。 日本国憲法前文を読むのに、質問者さんは特に苦労はないでしょう。宮澤喜一元首相は「はじめてこれを見た時、『これは日本語ではない』と思った」みたいなことを書いており、翻訳調の文であることは間違いありませんが。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立たうとする各国の責務であると信じる。 ところが、萩原さんの回答に出てくるライトノベル小説家は、これを「悪文である」と断じ、改善例として以下のような文を挙げています。 我らは、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない。 この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立たとうとする各国の責務である。 これ、複文などのある程度複雑な文章を正確に読み取れない人の誤読のパターンを、自ら明らかにしてしまった恐るべき例と思います。 意味を変えずに文を分けたければ、 「どんな国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という政治道徳の法則は、普遍的なものである。 自国の主権を維持し、他国との対等関係に立とうとする各国にとって、この法則に従うことは責務である。 我らは、上記二つの命題を信じる。 というように、文に含まれる主語と述語の関係や、関係節の構造などを踏まえなければなりませんが、上記のライトノベル小説家はそれが全くできておらず、意味が変わってしまっている文を「改善例」として
海外では日本が韓国を植民地化した(ことを前提に)と繰り返されていますが、日本は一度も韓国を植民地化したことがありません。自称日本人中学生までも肯定しています。どうすればプロパガンダを直せますか?
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日本領朝鮮は植民地です。当の大日本帝国が「植民地」としていたからです。「プロパガンダ」はむしろ「朝鮮は植民地ではなかった」論の方です。最近は、「西欧みたいな悪い植民地じゃなかった」とか言い出す人も増えてきましたが、一緒ですよ。

画像はこちらのサイトから引用しています。

朝鮮は植民地ではなかった説について:データで見る植民地朝鮮史
もう少し確かめたい方のために、決議原文を見てみます。この決議は前文において、 【英語原文】 【拙参考訳】 Considering the important role of the United Nations in assisting the movement for independence in Trust and Non-Self-Governing Territories, 信託統治および 非自治地域 の独立に向けた活動に国際連合が果たす重要な役割を考慮し、 Recognizing that the peoples of the world ardently desire the end of colonialism in all its manifestations, 世界の人民が 植民地主義の全ての実現形態 の終了を熱烈に望む事を認識し、 と前置きしたうえで、7項目を決議しています。そのうちの第1~3項と第5項がこれです。 1. The subjection of peoples to alien subjugation, domination and exploitation constitutes a denial of fundamental human rights, is contrary to the Charter of the United Nations and is an impediment to the promotion of world peace and co-operation. 人民を 外部からの征服、支配、搾取の従属下 に置くことは、基本的人権の否定であり、国連憲章に反し、世界の平和と協力の推進に対する障害である。 2. All peoples have the right to self-determination; by virtue of that right they freely determine their political status and freely pursue their economic, social and cultural development. 全ての人民は自己決定権を有する。この権利により、人民は自らの政治的立場を自由に決定し、経済的・社会的および文化的発展を自由に追求する。 3. Inadequacy of political, economic, social or educational preparedness should never serve as a pretext for delaying independence. 政治的、経済的、社会的または教育上の準備が不充分である事を、独立遅延の口実としてはならない。 5. Immediate steps shall be taken, in Trust and Non-Self-Governing Territories or all other territories which have not yet attained independence, to transfer all powers to the peoples of those territories, without any conditions or reservations, in accordance with their freely expressed will and desire, without any distinction as to race, creed or colour, in order to enable them to enjoy complete independence and freedom. 信託統治および 非自治地域 、またはその他すべての独立未達成の地域において、その地域の人民に対し、彼らが完全な独立と自由を享受できるよう、なんらの条件や留保もつけず、その自由に表明された意思と希望に基づき、人種・信条・肌の色による何らの区別なく、全ての権力を委譲するための手順を直ちに開始しなければならない。

日本の「植民地」は「植民地」ではなかった、という人が90年代以降急増しました。

いわく、

  1. 近代西欧型植民地(colony)の意味ではなく、単なる開拓地の意味で使われている
  2. 「植民地」の意味は明治時代以降、単なる開拓地という意味の植民地と、差別的・搾取的支配地の意味の植民地に二分化した
  3. 搾取を目的とした植民地であれば、インフラを整備し、教育を施し、持ち出し超過の経営をするはずがない
  4. たしかに植民地だったかもしれないが、西欧の悪い植民地とは違って良い植民地だった

という内容のコピペです。コピペです。大事なことなので二度いいました。

「朝鮮は植民地であった」というと、「朝鮮は植民地ではなかった」と反論する人がいます。しかし上掲の写真を見れば一目瞭然ですね。植民地です。すると、4のような反論がきます。「悪い意味での植民地ではなかった」。

あのさあ、どっちだよ。

日本の「植民地」は西欧型の「colony」ではなかった、なんていう人がいますが、そもそもこの説明には「西欧型の『colony』」とはなんぞや、という定義が欠けています。1960年、国連において採択された「Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples」という条約の日本語訳は「植民地と人民に独立を付与する宣言」です。

植民地と人民に独立を付与する宣言 | 国連広報センター
植民地人民による自決への願望が高まり、かつ国際社会の間にも憲章の原則の適用が遅すぎるとの認識が広まったことから、総会は、1960年12月14日、「植民地と人民に...

宣言の原文読めば解りますが、ここで植民地とは「非自治地域」 (Non-Self-Governing Territories) です。

さらに、戦前の『植民地要覧』

 には以下のように記述されています。

植民の語源はコロニー、即ちラテン語のコロニヤから転化したもので(中略)、意味が段々変わってきて、普通植民地を指すところの詞になった。

(『殖民地要覧』より)

あからさまに、「colony」=「植民地」ですよ。

「植民地」という言葉には「colony」と「territory」のふたつの意味がある、なんて言ってる人もいますが、そんなことはどこにも書いてありません。むしろ、はっきりと「植民地」とは「Non-Self-Governing Territories」であり、「colony」である、と記されています。勇ましいアイコンで勇ましい妄想を主張する前に、勉強すべき現実が山ほどあるんじゃないでしょうか。

つまり、「朝鮮は植民地ではなかった」「日本の『植民地』は西欧のcolonyとは違う」論者は、この程度の基礎的知識すらないし、史料もきちんと読めていない、または読んですらいないことが明白です。

すると、次はこんな言い訳がくるかもしれません。「北海道だって『植民地』とされているではないか」。ええ、そりゃそうです。なんせ当時の北海道には自治が敷かれていませんでしたから。北海道は戦前「植民地」だったんです。

昭和18年3月市制町村制の画期的改正に当りここに北海道1、 2級町村制は廃止されることになり、従前の2級町村は指定町村としておおむね従来の形態をも って存置されたのであるが、終戦後の第1次の地方制度改正により、昭和21年10月5日から これら指定町村制度の特例が廃止され、本道にも全く他府県町村と同様の制度が施行されることとなった

北海道市町村自治制の沿革概要より)

まして朝鮮は異民族支配の地。

日本統治下の朝鮮では、朝鮮総督が行政のみならず立法権、司法権も一手に握っていました。朝鮮総督は歴代全員、日本人の軍人です。更に官僚を見ると右グラフの通り、最上位の勅任官に朝鮮人は2割もおらず、しかも歳月を下るほど上級官僚から朝鮮人の姿が減っていました。ナンバー2の政務総監、各道の警察トップである警察部長は歴代全員日本人です。裁判所判事、検事も常に7割以上が日本人で、上級位の勅任官は全員日本人。そして、朝鮮人は朝鮮戸籍令により日本人と異なる戸籍で管理され、両者は明確に峻別されていました。どう見てもどっぷり異民族支配です。

朝鮮は植民地ではなかった説について:データで見る植民地朝鮮史
もう少し確かめたい方のために、決議原文を見てみます。この決議は前文において、 【英語原文】 【拙参考訳】 Considering the important role of the United Nations in assisting the movement for independence in Trust and Non-Self-Governing Territories, 信託統治および 非自治地域 の独立に向けた活動に国際連合が果たす重要な役割を考慮し、 Recognizing that the peoples of the world ardently desire the end of colonialism in all its manifestations, 世界の人民が 植民地主義の全ての実現形態 の終了を熱烈に望む事を認識し、 と前置きしたうえで、7項目を決議しています。そのうちの第1~3項と第5項がこれです。 1. The subjection of peoples to alien subjugation, domination and exploitation constitutes a denial of fundamental human rights, is contrary to the Charter of the United Nations and is an impediment to the promotion of world peace and co-operation. 人民を 外部からの征服、支配、搾取の従属下 に置くことは、基本的人権の否定であり、国連憲章に反し、世界の平和と協力の推進に対する障害である。 2. All peoples have the right to self-determination; by virtue of that right they freely determine their political status and freely pursue their economic, social and cultural development. 全ての人民は自己決定権を有する。この権利により、人民は自らの政治的立場を自由に決定し、経済的・社会的および文化的発展を自由に追求する。 3. Inadequacy of political, economic, social or educational preparedness should never serve as a pretext for delaying independence. 政治的、経済的、社会的または教育上の準備が不充分である事を、独立遅延の口実としてはならない。 5. Immediate steps shall be taken, in Trust and Non-Self-Governing Territories or all other territories which have not yet attained independence, to transfer all powers to the peoples of those territories, without any conditions or reservations, in accordance with their freely expressed will and desire, without any distinction as to race, creed or colour, in order to enable them to enjoy complete independence and freedom. 信託統治および 非自治地域 、またはその他すべての独立未達成の地域において、その地域の人民に対し、彼らが完全な独立と自由を享受できるよう、なんらの条件や留保もつけず、その自由に表明された意思と希望に基づき、人種・信条・肌の色による何らの区別なく、全ての権力を委譲するための手順を直ちに開始しなければならない。

「自治のない異民族支配」であれば、それは「植民地」だということです。

この記述を曲解し、「植民地とは自治のない異民族支配であると萩原が言っている」と述べる方がいますが、論理が逆です。論理と読解の基礎を学び直してください。

つまり、どこからどう見ても朝鮮は「植民地」です。それでも「朝鮮は植民地ではなかった」と言い続ける人は、「大日本帝国による朝鮮半島支配は善であった」と言いたいだけなんですよ。「植民地」「colony」の国際法上の定義なんて知らないから、ただ「植民地」という言葉は悪い意味があるぞ、くらいの思い込みで、結論ありきの「朝鮮は植民地ではなかった」と主張する。「いや植民地だろ」と突っ込まれたら、「悪い意味での植民地ではなかった」などとエクストリームな言い訳に飛んでゆく。とてもじゃありませんが歴史や検証する態度ではなく、ただイデオロギーで歴史を改竄しているだけです。

つまり、「朝鮮は植民地だった」論ではなく、「朝鮮は植民地ではなかった」論の方が「プロパガンダ」なのです。

3のような意見もイヤと言うほど目にします。

1910年、大韓帝国の懇願によって日本は韓国を併合、日本領朝鮮とした。現地で善政を施し、差別を解消し、教育を行い、生産力を大幅に上げて平均寿命を延ばした。大日本帝国の「植民地」経営は善であった、悪い「植民地」とは違う、だから植民地ではなかった、というわけです。

それでは、ここで当時の沖縄県を見てみましょう。

そてつ地獄

第1次世界大戦後の恐慌期とそれに続く長期不況のため、県民が陥った極度の生活難をさすことば。欠食児童や長欠児童の増加、子女の身売りまで行われた。有毒性のソテツで飢えをしのいだことから、『沖縄朝日新聞』の比嘉栄松記者が命名した。

大正9(1920)年の調査によると沖縄県の人口はおよそ57万人。それが、20年後の昭和15(1940)年には、なんと同じ57万人です

。人口増加率はむしろ下がっています。

戦前の沖縄には大学はなく、旧制中学・高等女学校の数は全国最小数でした。NHKの開局も1942年という遅さです。

県内には大学はなく、師範学校、中学校や高等女学校が最高学府であった。昭和19年4月の沖縄県の中学校は6校(私立1校を含む)、高等女学校は7校(私立2校を含む)の全国最少数であった

そのような状況が、1945年から一変します。舗装道路が各地に建設され、テレビ局やラジオ局などインフラが整備され、沖縄初の大学である琉球大学ほか教育機関が拡充され、わずか20年間で人口が三倍近くにまで増えます。アメリカの占領政策によるものです。

もし朝鮮、その他台湾・南洋・満州などの統治が素晴らしい善政であり、莫大な金額を持ち出して発展させ現地の経済力も人口も増した、という主張が真実であって、大日本帝国はアジア解放のために働いたのだというのならば、どうして沖縄は「そてつ地獄」のまま放置されていたんでしょう。朝鮮の差別を根絶し、満州民族のために建国に力を貸し、インドネシアのために戦ってオランダを追い出した、そんな利他的で自己犠牲精神に富んだ方々が、自国領である沖縄にはなんにもしなかったなんて、どうしても説明できません。

私は別に、「それじゃウイグルはどうなんだ」というウイグル論法のために沖縄を持ち出しているわけではありません。「植民地ではなかった」というような主張を支える「善政」、すなわちインフラの整備や教育機関の拡充は、決して現地人のためを思ってされたものではなく、ただ宗主国の利益となるから行われたものであるということです。持ち出し超過の投資はあくまで投資であり、利益を回収する目的のものです。

アメリカは、日本にとっても沖縄にとっても侵略者です。アメリカは日本から沖縄をいわば分捕り、自国の支配下に置いたのですから、自らに利益となるような「素晴らしい統治」をすることが当然であるといえます。しかしそれは沖縄県民のためでは決してなく、沖縄の安定と成長がアメリカの極東戦略に大いに資するからであり、投資以上のリターンがあるからです。

つまり日本が併合後の朝鮮にやったことは、アメリカが占領後の沖縄にやったこととほとんど同じであり、善政だからと胸を張るのも、まして現地民に感謝せよと文句を言うのも、まったく筋違いです。

日本領となった朝鮮では、インフラの整備が進み、各種教育機関のほか京城(現ソウル)には帝國大学まで設置され、現実に人口が増えたことはデータとしては間違いないでしょう。しかしそれは朝鮮人のためを思ってのことではなく、あくまで日本の利益のためです。しかも現実には朝鮮は困窮しており、ゆえに日本本土へ出稼ぎ目的の渡航が増えることとなります。

それでも結果として善政だったんだから植民地ではなかった、韓国は日本に感謝せよ、などというのならば、結果として散々な悪政を敷いた上に9〜15万人とされる無辜の県民を死に至らしめた日本は沖縄に恨まれ批判されて当然でしょう。朝鮮は悪い意味での「植民地」ではなかったというのなら、沖縄は悪い意味での「植民地」です。百歩譲って植民地時代のインフラ整備を再評価するにしても、インフラも教育機関もまともに整備せず、サトウキビばかり作らせて飢餓は放置していた大日本帝国に沖縄が感謝するいわれはありません。何もかもアメリカがやってくれた。それで、なーにが「沖縄は日本のものだ」って話ですよ。

ネタ元のひとつである小林よしのり以外にも、朝鮮統治を例に出し、こんなに現地を思ったお人好しの植民地経営をしたのは日本だけだ!という人がよくいます。しかしそれはあまりにも世界史に無知だといわざるを得ません。果たしてタンザニア人はドイツに感謝しているのでしょうか。タンザニアは恩知らずだ、ドイツに感謝すべきなどというドイツ人がいるのでしょうか。

植民地は金も手間もかかる。ちょと思いつくほどには、なかなか儲かるものではない・・・私がそんなことを口走るのも、1979年、はじめてのアフリカ行きで、(タンザニア中央鉄道)の終点キゴマ駅で線路を見おろすと、ふと鉄の枕木に記された「クルップ、1908」という刻印に気づき、かつてドイツがこの鉄道にどのぐらいの投資したものか!と嘆息したのを思い出すからです。

帝国主義者カール・ペータースが先住民の首長らに「ドイツの保護を求める」契約を結んだのが1884年頃、ベルリン会議でタンガニイカ領有が認められたのが1885年、先住民による最後の大規模反乱であるマジマジ戦争が1905~1908年ですが、そのさなかの1905年に鉄道建設がスタートします。そして1252km(東北本線の2.3倍)の線路が終点のキゴマ駅までつながってようやく開業したのが第一次世界大戦勃発直前、これではドイツが投資に見合う利潤を引き出す暇もありません。

(植民地経営のための手段としての“植民地政策学”(続き)鉄の枕木から米糖相克まで

 ー 高畑由起夫)

果たして、これで「西欧の悪い植民地に比べて、良い植民地だった」などと言えるのでしょうか。私には、追い詰められた歴史改変主義者の苦しい言い訳にしか思えませんけども。

最近の韓国政府の対日政策は、確かに決して褒められたものではありません。政治的イデオロギーで歴史を書き換えようとしているという批判も、妥当する部分はあるでしょう。しかし朝鮮で善政を敷いたとか植民地ではなかったなんてのも、歴史の改竄です。まして日本語で日本人向けに「日本は正しい」と主張している限り、それは歴史の検証ではなくイデオロギーでありプロパガンダに過ぎません。

改竄された歴史を正し、人々を洗脳から解くのだというなら、日本語で日本人に向けてネット弁慶するのではなく、アメリカ・イギリス・韓国・中国・フィリピン・インドネシアに行き、現地語で彼らの「洗脳」とやらを解いてあげてください。

韓国や中国を過度に敵視し差別する人々は、ほぼ例外なく日本は朝鮮のために朝鮮を併合した、アジア解放のために戦ったなどと述べています。しかしそんな人々が反差別を掲げ、利他精神から持ち出しの開発をして、アジア解放のために立ち上がるわけねえよな、と思います。すでにお手本となるようなコメントがついていますが、日本を誇りたいならまず母語である日本語を適切に読み書きする能力を培いましょう。

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萩原 遼
 · 1年前
なぜ韓国人は日韓併合を「植民地」時代と呼ぶのでしょうか?
【いきなり回答】植民地だったからです。「悪い植民地じゃなかった」「欧米の植民地とは違った」などという言い訳めいた主張も含め、「植民地」を否定する論は後世のデマです。 【いきなりまとめ】朝鮮は植民地だったんだよ。「朝鮮は植民地ではなかった」と言う人は、ただ「日本は悪くなかった」って言いたいだけで、言ってることはデマとコピペだらけだよ。気をつけよう! まずはこの想定問答集を読んでみてね。 * 朝鮮は植民地じゃなかった * * あらゆる史料に「植民地」と書かれているから、植民地です。 * 「植民地」と書いてあるけど、植民地じゃなかった * * どっちなんだよ。 * 「植民地」という言葉は西洋型のcolonyの意味ではなかった * * 『植民地要覧』には、「植民地」は「colony」であると記されています。 * * 「植民地と人民に独立を付与する宣言」においては、「colony」には「植民地」が訳語として当てられている他、「colony」は「Trust and Non-Self-Governing Territories」(信託統治領および非自治地域)であると表現されています。 * * 「植民地」と「colony」が異なる意味であるとする史料は見あたりません。 * 善政を敷いたのだから植民地ではない * * そもそも植民地の定義を理解していません。植民地の定義に「悪の支配」という基準はありません。 * 西欧の植民地とは違って良い統治だった * * なにをもって「良い」「悪い」と判断するのか、歴史を良し悪しで判断する時点でプロパガンダです。そもそも朝鮮統治において朝鮮人民のために行われたとされる施策はほとんどなく、ゆえに「良かった」は結果論に過ぎません。 * * このような論が成り立つのならば、ハワイも沖縄もタンザニアもインドもインドネシアも素晴らしく良い統治であったことを認めるべきでしょう。「西欧」に日本の朝鮮統治を対置する理由は皆無であり、論者はまったくの無知です。 * 沖縄県はわが県も未開拓なのだから殖民地に撰定してくれと政府に願い出た * * そのような史料は見あたりません。出典を示せないならばデマです。 * * ていうか、「我が県も」なら朝鮮は植民地であったということであり、「植民地ではなかった」論か、「沖縄県が植民地にしてくれと願い出た」論のいずれかがデマだという帰結になりますが。 * 日本の朝鮮支配を非難するな * * 非難していません。「朝鮮は植民地だった」というだけでそれが非難であると感じてしまうのは、あなたが「植民地は悪いことだ」「日本は悪くない」という単純な善悪二分論だけで歴史を判断しているからです。 * * そもそも、なぜ非難してはならないのかその理由がわかりません。 * 史料によっては北海道が植民地と記されている * * 「植民地」の定義から、戦後まで自治のなかった北海道を「植民地」と呼称するに不自然はありません。 * ブラジルにも「植民地」がある * * 史料が適切に読めていません。「ブラジルの植民地」に日本人が移住したということです。 * 「内鮮一体」だから植民地ではない * * 朝鮮総督は日本軍人、その他官僚や検察に至るまで統治機構のほとんどを日本人が占めていました。どのようなスローガンを掲げようとも、朝鮮統治は異民族支配であり、現地民による自治が存在しなかった事実に変わりはなく、したがって植民地であったことに間違いはありません。 * 持ち出し超過のお人好しの「植民地」経営をしたのだから植民地ではない * * そもそも植民地の定義を理解していません。植民地の定義に「持ち出しの多寡」などという基準はありません。 * * 多額の投資でインフラと教育機関を整備することは、19世紀以降の植民地経営の定石であり、多くの欧米諸国が同様の持ち出し超過の経営を行っています。なぜ植民地に積極的な投資を行ったのかについては、次の回答をご覧ください。 以上から、日本領朝鮮が植民地であったことに疑いの余地はないんだよ!これを否定する主張は、「植民地」「colony」という言葉の定義も理解せず、ただ「日本は悪くない」という結論ありきで朝鮮支配を分析するイデオロギーに過ぎないってこと。つまり、 1. 日本は悪くない 2. 「植民地」は悪い 3. 日本は悪くないから、悪い「植民地」を作っていない という超展開なんだ。このため、第一段階として「植民地ではなかった」と言い、史料を示されれば第二段階として「悪い植民地ではなかった」「西欧の『colony』とは違う」などという苦しい言い訳に流れるみたいだね。 しかし以下に示したとおり「植民地」は「colony」であり、非自治地域を示す言葉であって、「悪い植民地」と「良い植民地」があったということを証す史料も存在しない。 こんなことになるのも、彼らの頭の中には、「『植民地』という言葉は悪の支配を意味する」、したがって「『朝鮮は植民地だった』という指摘は日本のネガキャン」であるという、幼稚園児なみの善悪二分論があるからだ。そして、このように「朝鮮は植民地だ」と史実を述べる意見を「日本を貶める陰謀」などと妄想し、あげく「日本の支配は良かった」などと、全く意味の通らないインネンをつけて絡んでくることになるんだ。だいたい善悪で歴史は学べないし、良いか悪いかなんて一切話題にしていない。結局、これらの言い訳は結論ありきのイデオロギーであり、まともな史料すら示されていいないのだから、議論においてまったく理がないものなんだ。 したがって、 朝鮮は植民地ではなかった論はデマ なんだよ!詳しく知りたい人は続けて読んでね。 えっ?「朝鮮は植民地ではなかった」だって? いやいやこれ見てください。戦前の『植民地要覧』 って本なんですけどね。 この中に「朝鮮」が植民地として出てくるんですよ。 ね。だから日本領朝鮮は植民地なんです。 えっ?「日本語の『植民地』は悪い意味ではなかった」「差別や収奪を行う西洋型の『colony』ではなかった」だって? あのね、植民地ではなかったと言ったり、悪い植民地ではなかったと言ったり、どっちなんですか。植民地だったのか植民地ではなかったのか。 それじゃ見てみましょう。上掲『殖民地要覧』の冒頭部です。 植民の語源はコロニー、即ちラテン語のコロニヤから転化したもので(中略)、意味が段々変わってきて、普通植民地を指すところの詞になった。 (『殖民地要覧』より) はっきり書いてますよ。語源は「コロニー」で、それが普通植民地をさす言葉になった、って。むしろ、どこに「植民地とコロニーは違う」と書いてあるのか。 「植民地」「colony」という言葉の意味をしっかり確認しましょう。これには一応国際的な定義があります。1960年、国連において採択された「植民地と人民に独立を付与する宣言」 には、次のように記されています。 Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples Recognizing the passionate yearning for freedom in all dependent peoples and the decisive role of such peoples in the attainment of their independence, Aware of the increasing conflicts resulting from the denial of or impediments in the way of the freedom of such peoples, which constitute a serious threat to world peace, Considering the important role of the United Nations in assisting the movement for independence in Trust and Non-Self-Governing Territories, Recognizing that the peoples of the world ardently desire the end of colonialism in all its manifestations, 植民地と人民に独立を付与する宣言 すべての従属民衆の自由への熱烈な希求と、これらの民衆が独立を達成する上で決定的な役割を果たすことを認識し このような人々の自由の否定または妨害に起因する紛争の増大が、世界平和に対する深刻な脅威となっていることを認識し 信託統治領および非自治領における独立のための運動を支援する上で、国際連合が重要な役割を果たすことを考慮し 世界の人々が、あらゆる形態の植民地主義の終焉を熱烈に望んでいることを認識し ご覧のとおり、「colony」は「植民地」と訳されており、その「colony」は「Trust and Non-Self-Governing Territories」(信託統治領および非自治地域)と表現されています。これだけで、植民地≒colonyであり、植民地とは信託統治領および非自治地域をさす、ということが明白ですね。この宣言は1960年のものですが、戦前においてこれと大きく異なる意味が存在したという史料は存在しません。 もしかして、「植民地」って言葉を、「悪いやつが征服してなんか悪いことをする土地」くらいの意味だと思ってませんか?後世の我々が善悪の色眼鏡を通して歴史を判断してはいけませんよ? えっ?内鮮一体で「併合」し教育を施したから植民地じゃないって? もう一度、『植民地要覧』を読みましょう。 殖民地に比較的教育の行き渡らない点と、遠く故国を離れた点から、あるいは内地に見ることの出来ぬ非常識者、あるいは内地の住むことの出来ぬ前科者は多少いるであろう。これはどこの殖民地でも致し方のないことで、いまだ秩序の十分復さない、政治を内地同様に敷くことの出来ん土地としては余儀ない次第だが (『植民地要覧』より) 朝鮮を植民地とする史料に、植民地は「比較的教育の行き渡らない」「政治を内地同様に敷くことの出来ん土地」って書いてありますよ。それにしても、内地にはいないような非常識者と内地に住めないような前科者が「多少いるであろう」、それが「どこの植民地でも致し方ない」って。教育が行き渡らないことも、内地と異なる政治体制であることも仕方ない、実に素晴らしい「内鮮一体」ですね。 だいたい、「日本が教育機関を充実させハングルを広めた」ってのが本当の話ならば、つまり朝鮮は母語が日本語じゃなかったってことですよね。異言語異文化の異民族による、自治のない支配体制。これ争いなく植民地ですよ。 日本統治下の朝鮮では、朝鮮総督が行政のみならず立法権、司法権も一手に握っていました。朝鮮総督は歴代全員、日本人の軍人です。更に官僚を見ると右グラフの通り、最上位の勅任官に朝鮮人は2割もおらず、しかも歳月を下るほど上級官僚から朝鮮人の姿が減っていました。ナンバー2の政務総監、各道の警察トップである警察部長は歴代全員日本人です。裁判所判事、検事も常に7割以上が日本人で、上級位の勅任官は全員日本人。そして、朝鮮人は朝鮮戸籍令により日本人と異なる戸籍で管理され、両者は明確に峻別されていました。どう見てもどっぷり異民族支配です。 もしかしたら、いやまさかとは思いますが、矢内原忠雄の述べた「形式的植民」ではなく、「実質的植民」であった、なんて話をしていますか?だったらそう言えよって話ですけども。 たしかに、植民政策学者の矢内原忠雄は、植民概念を「実質的植民」(植民地の特異性を認めその発展を促す植民政策)と「形式的植民」(政治的従属関係を伴う植民政策)に分類していますね 。最終的には植民地の独立をも否定せず協働関係とする「実質的植民」を掲げた矢内原ですが、朝鮮はそのような状態にはなかったことが明らかになっています。 矢内原の植民政策学の骨格は,植民の効果を肯定的に捉え,自主主義的政策によって,植民地の特異性を尊重し,その自主的発展を目的とすることを前提としていた。この点において,矢内原の植民政策学は,実際の日本の植民地統治とは異なり,まさに「理想主義的植民」であった。(中略) 朝鮮や台湾における日本の植民地統治が矢内原の「理想の植民」,つまり民族の形成発展を目指す政策が行われず,矢内原の理想が敗れていく中にも,南洋群島において矢内原が最後の「理想」を抱いていたと考えられる。 (湯浅拓也『矢内原忠雄の植民政策学における実質的植民と自主主義・同化主義の構図:留学中の着想から見えてくる民族への注目と結びつけて』 より) 創氏改名、日本語教育、しかも独立運動は弾圧されていたんですから、そりゃまあ民族の形成発展とか言うのは無理がありますね。だいたい、万が一億が一、朝鮮統治が「実質的植民」であったならば、それはすなわち朝鮮は植民地であったということです。 えっ? 沖縄県などは、殖民地を羨ましがって、わが県も未開拓なのだから殖民地に撰定してくれと政府に願い出た だって? なぜ韓国人は日韓併合を「植民地」時代と呼ぶのでしょうか?に対するFujisawa Yasumiさんの回答 「我が県も殖民地に撰定してくれ」って言ったと。誰が言ったのか知りませんが、「我が県」っていう以上は県民やその代表者が言ったんでしょうね。 で、誰が言ったの? 当時県知事は公選制ではなく、県令・知事は官選で中央から派遣されるものでした。県会も形式だけ。戦争が終わるまで、沖縄県出身者が県のトップにいたためしはない。中央から派遣された他県出身の県令・県知事が、「『我が県』を植民地にしてくれ」と言った?謝花昇の活動で名が知れた奈良原時代とか汚職にまみれていたようですが、そんな知事が県のためを思って?本当に? 私も素人なもので、そのような史料に当たったことがないんですよ。ちょっと調べてみても、出てくるのはこんな文献くらい。 更に行政分離による沖縄同胞の精神的苦痛もまた看過し得ないものがあります。即ち(中略)軍政当局の沖縄観は単に日本の領土権無視の嫌いがあるのみならず沖縄を植民地若しくは未開化地視するものとして非常な失望と屈辱観を住民に与えたのであります。 (『沖縄返還要請国民大会のダレス米国務長官あて陳情書』 より) 「沖縄を植民地化するな」って。そう言ってるんですよね。 だいたいですね、「沖縄も殖民地に撰定してくれ」っていう史料が本当にあるなら、それ「朝鮮も」殖民地であったってことですよね。 えっ?北海道も「殖民地」と書かれているって? ええ、史料によっては北海道も「殖民地」と書かれています。上掲宣言にあるとおり、植民地≒非自治地域ですから、当該史料の発行時点において自治制度が敷かれていなかった 北海道が「殖民地」と表現されていることに不自然な点はありません。 えっ?ブラジルの「植民地」はどうなんだ、だって? ちゃんと史料読んでます?日本人がブラジルで定住した先は、「耕地」「市」「官製植民地」だって書いてありますよね。つまりブラジル政府による植民地が「官製植民地」であって、「日本人の植民地」の意味で使われているわけじゃありませんよ?ブラジルの植民地に日本人が移住した、それだけのことです。 「植民地」は「開拓地」であり、「開拓のために移住した土地」という意味があるのだ、というにしても、なぜ史料が敢えて「開拓地」を避け「植民地」の名称を用いたのかという点説明できません。なにより、「実は開拓地でした」って、それじゃ朝鮮が植民地であったという歴史的事実を否定する根拠にはなり得ませんよ。「朝鮮の『植民地』は『開拓地』という意味だったのだ」というならば、ジャングルを切り拓いて「植民地」を作ったブラジルとは異なり、既に国家があり異民族が住んでいた朝鮮半島に日本人が開拓のために移住した、ということになり、侵略と収奪の意図もより明白になっちゃいますが、それでも大丈夫なんですか? えっ?日本は朝鮮で善政を敷いたって? 要するにそれが言いたいだけでしょ?「日本は悪くない」から悪いことをするわけがない、「植民地」は悪いことだ、したがって、日本は植民地なんか作るはずがない、って、小学生でももうちょっとマシな考え方するでしょう。少なくとも、歴史を学ぶ者の姿勢じゃありませんよ。これじゃイデオロギーの奴隷です。 そもそも、朝鮮での政治なんて問題にしていない。植民地支配が良いか悪いかもまったくの別論。日本が朝鮮にどれだけ尽くしたかを、まるで未練がましいDV彼氏みたいに延々と綴ったところで何の意味もありません。話題は「朝鮮は植民地であったか」この一点です。 すでに言ったとおり、善悪で歴史を眺める時点でアウトです。小学生向けのヒーローショー程度の価値観で歴史を見るから、「植民地=悪いこと」くらいの、これまた幼稚園児レベルの価値観で止まってるんです。 えっ?こんなに現地のことを思ったお人好しの「植民地」支配をしたのは日本人だけだって? 『ゴー宣』のコピペ、もう何十年前のネタですか。 19世紀以降、宗主国は植民地に積極投資をして長期的にリターンを得るという戦略に転換しています。日本の植民地支配は、その手法を忠実になぞったものに過ぎません。 今日、この日本における朝鮮半島 の植民地支配を巡る議論に関し、今度は日本側で新たな変化が生まれている。即ち、それは冒頭に引用した発言に典型的にみられる様な、「そもそも日本の朝鮮半島支配は植民地支配ではなかった」という言説の広まりである。とりわけこの様な言説は、所謂「嫌韓本」として知られる韓国に対する否定的な著作に おいて顕著であり近年、これに関わる一般書が多数出版される事となっている。(中略)この様な議論には致命的な問題が大きく二つある。一つは、その議論の論者達が日本の朝鮮半島や台湾に対する支配の実態を正確に理解していない事である。例えば、朝鮮半島や台湾等においては、帝国憲法は全面的には施行されず、故に現地の住民には国政参政権等は与えられなかった。義務教育は朝鮮では最後まで行われず、台湾でも統治末期に導入されたのみであり、日本軍への志願すら朝鮮人は 1938 年、台湾人は 1942 年まで、王公族や極めて少数の士官学校出身者といった例外的な人々を除けば不可能であった。これらの地域においては施行された法律も内地とは異なっており、内地と同様の支配が行われた、というのは明らかに無理がある。 もう一つの問題は、この様な議論をする人々が、比較の対象となるべき西洋列強による植民地支配の実情を正確に理解していない事である。15 世紀や 16 世紀、スペインやオランダがアジアやアメリカ大陸に進出を始めた時点とは異なり、19 世紀の西洋列強は自らの植民地への活発な投資を行い、結果として、植民地と宗主国の財政的関係は宗主国側が財政的に赤字になるのが常態になっていた。この様な宗主国による活発な投資の結果、19 世紀後半には多くの植民地で急速な人口増加と経済成長が見られる事となっている。冒頭に引用した文章で触れられている高等教育機関の設置もインドやインドネシア等多くの植民地で見られ、そこに日本による朝鮮半島や台湾等に対する支配との大きな違いは見られない。そしてそれは当然であった。後に詳しく論じる様に、日本の朝鮮半島や台湾等に対する支配は西洋列強による 19 世紀後半以降の植民地支配の実態を調査し、忠実に模倣した結果行われたものであり、だからこそそこには当然、相違点より遥かに多くの類似点が存在したのである。 (木村幹『第二次世界大戦前における「植民地」言説を 巡る一考察』 より) 「植民地」は「colony」の訳語であり、その手法を忠実に模したものであることは、ここでも明らかですね。にもかかわらず、「植民地とcolonyは違う」「西洋と違って日本の支配は良かった」って、「論者達が日本の朝鮮半島や台湾に対する支配の実態を正確に理解していない」「比較の対象となるべき西洋列強による植民地支配の実情を正確に理解していない」、まさしくここで言われている通りでしょう。 「お人好しの植民地経営」は、ドイツだってやってますよ。それで、タンザニア人はドイツに感謝していますか?タンザニア人は感謝が足りないとか言ってくだを巻くドイツ人がいますか? 植民地は金も手間もかかる。ちょと思いつくほどには、なかなか儲かるものではない・・・私がそんなことを口走るのも、1979年、はじめてのアフリカ行きで、(タンザニア中央鉄道)の終点キゴマ駅で線路を見おろすと、ふと鉄の枕木に記された「クルップ、1908」という刻印に気づき、かつてドイツがこの鉄道にどのぐらいの投資したものか!と嘆息したのを思い出すからです。 帝国主義者カール・ペータースが先住民の首長らに「ドイツの保護を求める」契約を結んだのが1884年頃、ベルリン会議でタンガニイカ領有が認められたのが1885年、先住民による最後の大規模反乱であるマジマジ戦争が1905~1908年ですが、そのさなかの1905年に鉄道建設がスタートします。そして1252km(東北本線の2.3倍)の線路が終点のキゴマ駅までつながってようやく開業したのが第一次世界大戦勃発直前、これではドイツが投資に見合う利潤を引き出す暇もありません。 (高畑由起夫『植民地経営のための手段としての“植民地政策学”(続き)鉄の枕木から米糖相克まで』 より) ここまで示したとおり、日本領朝鮮が植民地であったことに疑いの余地はありません。そして、今さらこれを否定する論者で、まともな史料を引きまともな論理を組み立てる人にはお目にかかったことがない。「日本はいいモン」「日本は悪モンじゃない」、「韓国は悪モン」「中国は悪モン」という幼稚園児レベルの世界観と結論ありきで、「植民地」という言葉を「なんとなく悪いこと」程度の意味にしか解さない無知すら省みず、差別意識に基づいて韓国・北朝鮮国民の動機を一方的に妄想し、しかも内容はデマとコピペばかりで論理は破綻している。それであなたは何を達成し何を得るというんでしょうか。 で、こういう意見に対しては、「日本のネガキャン」だとか「自虐史観」だとか「韓国から金もらってるんだ」とかいう反応がつくと。あのね、良し悪しの話なんてしてないんです。「朝鮮は植民地であったか」、これだけ。だいたい世界は善悪で二分できるもんじゃなし、アンパンマンでさえもうちょい複雑ですよ。まして韓国政府が私なんかに金くれるわけないじゃないですか。櫻井よしこじゃあるまいし。 えっ?「アジア解放のために立ち上がった、朝鮮人のためを思って善政を敷いた、だって? それ真実だとして、あなたの言動は先祖と真逆じゃないですか。あなた別にアジアのため朝鮮人のためなんて考えてないでしょ。そんな人が、過去の日本がどれだけ利他的にアジアに、朝鮮に尽くしたかなんて語ったところで何のリアリティもありません。まずあなたが今すぐ朝鮮人のために立ち上がってください。

植民地について語るには、重商主義との深い関連を知る必要があります。こちらの回答もぜひご一読ください。

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Rem Ogaki
 · 2年前
海外では日本が韓国を植民地化した(ことを前提に)と繰り返されていますが、日本は一度も韓国を植民地化したことがありません。自称日本人中学生までも肯定しています。どうすればプロパガンダを直せますか?
私は明確な植民地であったと思います。植民地では無いとする方は植民地とは何たるかを知らないと思います。 例えばですが、日露戦争の引き金となったのは、ロシアによる旅順港を中心とした地域の多額出費によるロシア資本・満州鉄道の建設と旅順港の施設の近代化への多額出費でした。それは、当時も現在もロシアによる「植民地化への第一歩」と見られていました。 何故その様な「開発行為」が植民地化の一歩であったと考えるべきかを理解するにはまず「植民地」と言う物がどの様な思想を持って作られていたかを理解する必要があります:植民地は「重商思想」(Mercantalism)と深く関連します。 植民地とは「搾取」として考えるのではなく、「自治権」と「国際貿易」を主軸に考えるべきです。自国以外の地域の自治権を奪い、自国の輸出先の強制的な確保が大きな目的でした。 その観点から、韓国は100%日本の植民地です。 えー主な「植民地では無かった」とする意見の内容はこの様に理解しています(萩原さんの回答よりコピペ) 1. 近代西欧型植民地(colony)の意味ではなく、単なる開拓地の意味で使われている 2. 「植民地」の意味は明治時代以降、単なる開拓地という意味の植民地と、差別的・搾取的支配地の意味の植民地に二分化した 3. 搾取を目的とした植民地であれば、インフラを整備し、教育を施し、持ち出し超過の経営をするはずがない 植民地の一般的な国際的な定義については萩原 遼 さんがすでに詳しく書いているので、あまりここに突っ込もうとは思いませんが、「インフラ等を開発したら植民地では無い」と言う事が完全に間違った考えである事をは明確に示しておきます。 例えば、シンガポール等は好例ですが、1819年~1942年のイギリス統治下でシンガポール市は目まぐるしく発展し、インフラも経済的重要性も上がりましたが、イギリス人も現シンガポール人も明確に「植民地であった」とする考えに異議を唱える人などほぼいません。 理由は「インフラの発達や経済成長」は「良い植民地の統治」か「悪質な植民地の統治」であったかの問題であり、植民地であるかどうかに関しては完全に無関係であります。 では、植民地とは何か?それは: 「自治権を奪い、自国の輸出先の市場と強制的になる事を確保した領土」 です。 ここに「強制的」と言う部分が重要であり、なお、 * その国の自治権は奪われ、その国は自分からは「統治国」以外の国とは自分で国際的な貿易を始めるとする外交を行う事はできない。 が重要なポイントです。 何故16世紀頃よりこの様な領土が欲せられて、20世紀中より急速に消滅して行ったかと言うと、経済理論の変化と言う背景があります。 「重商主義」(Mercantalism)と言う経済思想が「帝国主義」の時代には主流となり、それには大国の植民地が必要とすると言う考えが一部でした。その一方で「自由貿易思想」(Free Trade Capitalism) の思想が19世紀末より受け入れられて主流となっていくにつれて、重商主義の否定に繋がり、植民地の必要性の否定へと繋がって行きました。 重商主義とは? 重商主義は非常に複雑な経済思想であり、現在は完全に否定されていますが、16世紀の英国を中心に広まって行き、数百年間もの間ヨーロッパの外交政策に絶大の影響力を及ぼしました。 簡単に言うと、この様な考え方です: * 国力において最も重要なのは経済力 * 経済力とは国家における金銀の量で決まる * よって、金銀が放出される輸入は国力を弱め、金銀を得られる輸出は国力を強める。 * よって、最大限の利益を得て、国力を増加させるには、輸出の価値を最大限に吊り上げ、輸入を最低限に抑える。 何故この思想が植民地と繋がって行くかと言うと、一つの国だけがこの思想を持ったら、特に植民地の必要性とは繋がらないかも知れません。 しかし、全ての国が受け容れたらどうなりますか?どんな国も他国の輸出品を受け入れるのは国家を弱める事と理解しているので、貿易をストップさせるか、高い関税をかけて自国の産業発達を奨励しようとします。 全ての大国は輸出したいが、輸入はしたくないのでは貿易が成り立ちません。しかし、国家を強化するには「輸出先」の確保が重要になって来る。 なお、工業化を進めるには資源を得たい。しかし、ライバルの国から輸入したら、そのライバルを強化してしまい、自分で自分の首を絞める結果になる。 ならどうするか? 弱い国を乗っ取って、強制的に「輸出先」となる事を受け入れさせ、関税を廃しさせ、強制的に経済圏となる事を受け入れさせる。 つまり、植民地です。 これには、様々な思想や統治方法がありました。 1. 資源搾取モデル:その地の産業の発達や教育等は行わず、ひたすら資源を奪い続け、輸出品を少し売る地域:経済発達が起こらないので、あまり市場としては期待できない。アフリカやカリブ海、インドネシアやボルニオで行われた統治。 2. 経済発達・市場発展モデル:シンガポール、北米、オーストラリア、香港、マカオ、ロシアが日露戦争前に満州で行おうとした政策等。最終的に輸出先で多くの輸出品を受け入れる事を期待しているので、経済を発展させる事で、最終的に大きな輸出先となる事を期待する事。 (2)を行う場合、せっかく発展させた地域は自国の輸入品を買う為に発展されるので、他の国を締め出して、その貿易を独占する事が重要とされます。 その様な事に自ら合意する国はいないので、その国か領土を乗っ取り、自治権を奪い、自国へのメリットのある外交・貿易ポリシーを強制する必要があります。 それが「植民地」の実態です。 ロシアの旅順植民地化・発達計画 例えばですが、日露戦争の引き金となったのは、ロシアが植民地への第一歩として旅順港とその周りの地域を中国から事実上強制的に所有権を貸し受けて、満州鉄道の開発に多額の出費を行い、旅順港を大幅に近代化させる動きを開始した事です。 日本ではこれは「明確な植民地化への第一歩」と誰もが理解していました:経済発展を行わせているから植民地化では無い等と思う人は誰も居なかったと思います。 ロシアが旅順港の経済発展を望む理由は明確:ロシアが最終的その地域の自治権を奪い、商業的な属地としてロシアの製品を買わせ、商業的に独占する事を目的とした事です。そして、旅順港よりアジアへの「海路貿易による市場確保」が重要な課題でした。 これは20世紀初頭、誰にも明確に理解されている「常識」でした。 この様に「植民地の開発」は極一般的な植民地の統治の一つの形として存在し、「開発を行ったら植民地では無い」等と言う考えは当時の植民地に関する考え方を完全に誤解した物です。 自由経済思想と国際貿易 何故植民地の必要性が否定されていったかと言うと、重商思想とは全く違う経済の考え方が主流となっていったからです:アダム・スミスを始祖とする「自由経済思想」です。 スミスや後のリカルド等の重商思想に批判的な18~19世紀の経済学者は経済力を「金銀の量」と同じとする事は間違えであると批判しました。 例えばリカルド等は、「金銀がふんだんにあるが、食料の無い国は極貧」と指摘し、金銀通貨は「その買える価値」から来るだけであり、特別な意味は無いと主張し、数学的に貿易が輸出者・輸入者双方に利をもたらすと示した事で有名です(リカルド・比較優位の法則 ) つまり、スミスやリカルド等は重商思想の根本的な「貿易とは輸出者が強くなり、輸入者が弱くなる」を否定し、「双方が貿易を通して強くなる」と言う思想を発展させ、関税を引きさげ、自由に貿易を行う環境が万国の得となると説きました。 徐々にこの思想は「反帝国主義」と結び付き、広まって行き、特に米国の反帝国主義者に声高に主張されました。以前に何故アメリカは日本を第二次世界大戦後の植民地としなかったのですか?と言う質問に答えた時に「植民地を持つ事に関心が無かったから」と答えましたが、その無関心の理由が自由貿易思想にあります。 自由貿易思想では植民地を持つ必要性がありません。普通に多くの国と貿易条約を結び、その市場を独占する必要性を否定し、「皆が貿易で交友すれば、皆が利を得る」と言う考えなので、その自由に動く物流を妨げる事は逆効果と考えます。 20世紀に多くの国が独立していき、植民地システムが消滅していった背景には独立戦争や、太平洋戦争の影響もありますが、それ以前より植民地制度の廃止が進んでいました。 例えば、19世紀半ばには英国内でもスミスの自由経済思想の影響を受けた政治家が増えていて、1867年にはカナダの自治権を認め、事実上独立国として英国の直接的な政治コントロールを離れると言う事が行われたのは、「カナダを植民地として統治する必要性」が否定されつつあり、重商思想で必要とされる「市場の独占」が放棄されつつある事を示す一例と言えます。 つまり、20世紀後半の植民地制度の崩壊は、19世紀中の「自由経済思想の広がり」と「植民地の必要性の否定」の受け入れが広まって行った事も大きな要因と言えます。 結論 この観点から大日本帝国の韓国・満州・台湾等の領土は非常に明確な「植民地」他なりません。領土を軍事力で得て、自治権を奪い、日本の外交・貿易・経済の都合に合わせた政策を強制したシステムです。 その地で経済発展を援助し、鉄道の建設等を始めとするインフラ開発は「日本の利」の為に行われた事であり。植民地制度の中心的思想である重商思想の初歩的な政策の一つです。 それが「植民地でない証明」等と主張する事は根本的に植民地が何たるかを理解していないと思います。 もしこの様な歴史回答に興味のある方には私は自分の歴史回答だけを集めたスペースを運営しています。興味があったらフォローを検討していただけたらありがたいです!

脚注

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この種の歪んだ認識を、私は「左翼憎けりゃ袈裟まで憎い現象」と呼んでいます。憲法とか人権とか平和とか植民地とか慰安婦とか南京とか。最近だと民主主義や男女平等など、公平や正義も憎まれています。冷戦時代後半から、トンでも理屈で「左翼」に反論しているうちに、本気で信じる人が現れたのです。アカデミアも、政治に巻き込まれることを嫌ってパブリックには批判しない、あるいはメディアで取り上げないので、ますますおかしな認識が広まっていきます。

面白いのは、本音では韓国を馬鹿にする気持ちがあるので「朝鮮半島ごときに善政を敷いたのがそもそも間違いであり、今後朝鮮半島を再植民地する場合、むしろ過酷に搾取すべきではないか」というと、「その通り」と答えます。なんなんでしょうね。

祖母が南洋庁勤務(パラオ)だったので、その時代の話はとても面白いです。

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>>面白いのは、本音では韓国を馬鹿にする気持ちがあるので「朝鮮半島ごときに善政を敷いたのがそもそも間違いであり、今後朝鮮半島を再植民地する場合、むしろ過酷に搾取すべきではないか」というと、「その通り」と答えます。なんなんでしょうね。 H・N・アレン(申福龍訳)『朝鮮見聞記』集文堂,1999.[初出=1908年]「朝鮮は国土が狭い小国だが、悠久な文化を持っている。この点で朝鮮は日本の師匠である。(p. 53)」 H・B・ハルバート(岡田丈夫訳)『朝鮮滅亡-古き朝鮮の終幕』太平出版社,1973. [初出=1906年]「そして高句麗が百万の中国軍を撃退することはできたとしても、日本の神功皇后がはるかに先…
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日本領朝鮮が植民地だった、という「常識」を否定する人が急増していることを初めて知りました。(もっとも、私は中学の歴史の先生が真っ赤な共産党員だったので、一般的な日本人以上に、日本の帝国主義の悪影響を叩き込まれましたが)

いつもながら理路整然とした回答、ありがとうございます!

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Quoraにも飽きるほどいますよ笑

植民地といえば「植民地じゃなかった」と言い返し、史料を示せば「植民地の意味が違う」ときて、違ったことを立証する史料を求めると、善政を敷いたから植民地ではない、内鮮一体だ、などととくるのが定番コースです。そんな価値観の人々が、朝鮮人のために働くわけがないでしょうね笑

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