从历史角度看前线将领的现实处境
从历史角度看前线将领的现实处境
2021 年 9 月 9 日 S/JAPAN
中日战争始于 1937 年 7 月(昭和 12 年),1940 年(昭和 15 年)陷入僵局,一些士兵厌倦兵役,开始出现言行轻蔑、犯罪和绝望自杀等现象。在医疗方面(尤其是牙科),长期战争的不足很早就已经显现出来。
1941 年 12 月太平洋战争爆发后,按照笔者的分类,分为
第一阶段(战争爆发至 1942 年 5 月--战略进攻阶段)、
第二阶段(1942 年 6 月至 1943 年 2 月--对抗阶段)、
第三阶段(1943 年 3 月至 1944 年 7 月--战略防御阶段)和
第四阶段(1944 年 8 月至战争结束--拼命防御阶段)。前线将领在第四阶段(1944 年 8 月--战争结束,绝望的反战阶段)后命运悲惨。
日军与美军的兵力差距是一个陆军师火力的六到八倍,如果再加上机动性和弹药补给,差距将进一步拉大,而当时的情况已经对他们不利。特别是飞机和舰船的巨大损失将破坏军事和资源运输,导致日本战争经济的崩溃。
中国没有屈服,抗战到底,到 1945 年,120 万陆军将士被压制在大陆上,威胁着日军的后方。
截至中日战争战败(不包括满洲),军民伤亡总数为 465 700 人。
整个太平洋战争的总伤亡人数估计为 310 万人,其中包括 230 万士兵和平民,30 万日本人在异国他乡,50 万平民在日本国内,其中大部分集中在塞班岛沦陷后的第四阶段(占战死总人数的 91%)。
顺便提一下,美军在太平洋战争中的伤亡人数为 100 997 人,其中 53 349 人是在同一时期之后伤亡的,占 53%。
很大一部分战死者是死于疾病和饥饿。
不用说,原因是供应中断,运抵前线的弹药比例(安全抵达率)从1942年的96%、1943年的83%、1944年的67%和1945年的51%下降,其中大部分在海上丢失。
此外,下降的原因还在于运输的货物数量远远低于当地军方要求的数量。
因此,海上死亡人数达到 35.8 万人(海军 18.2 万人,陆军 17.6 万人)。在战场上,死于疾病和饥饿的比例远远高于战死的比例,还有许多无法自行行走的重伤士兵被 "治疗",强行解除了被俘的耻辱。
随着战争的加剧,伤亡人数众多,兵员短缺,大量成年男子被征召入伍(总兵力从 1941 年的 2 411 359 人增至 1945 年的 7 193 223 人),其中既有身体健康的甲级和一级乙等兵,也有身体较差的二级乙等兵和丙等兵,还有 30 岁以上的老兵,甚至智障男子也被征召入伍。替补士兵还患有营养不良和肺结核。由于营养不良、肺结核和其他疾病的传播、对战斗和制裁的恐惧以及极度疲劳,许多替补士兵还患上了精神疾病。补给短缺还导致服装和装备低劣,降低了他们的战斗力和士气。
现代军队所必需的机械化的缺乏反映在单个士兵身上,他们不得不携带超过体重 50%的装备徒步行军,浪费了战略时间,降低了士兵的体力和精力,加速了整体战斗力的下降。即使是完全依靠人力进行的具有重要战略意义的机场建设,也不可能在短时间内完成,多次在关键时刻被敌人掌握了主动权。此外,由于通信设备和无线电侦测设备的技术差距,难以掩盖劣势,给友军造成的损失迅速累积。
本书通过列举各种历史方面的具体数字,展示了前日本陆海军的前现代体制、意识形态和装备是如何迫使自己的士兵惨死无数,又是如何草率地对待世界大战的。我们决不能忘记无数没有光荣牺牲的死难者,我们决不能重复这种惨痛而巨大的生命损失。
史学的視点より見る最前線将兵の実態
2021年9月9日 在日本审核
昭和12(1937)年7月に始まる日中戦争も、昭和15(1940)年に入ると行き詰まりを見せ、軍務に倦み、厭戦的な言動をする者、犯罪を犯す者、絶望により自決する者が出始める。医療面(特に歯科)では早期より既に長期戦への不備が顕著に表れていた。昭和16(1941)年12月に太平洋戦争が開戦すると、著者の分類による第1期(開戦〜1942年5月・戦略的攻勢期)、第2期(1942年6月〜1943年2月・対峙期)、第3期(1943年3月〜1944年7月・戦略的守勢期)を経た第4期(1944年8月〜終戦・絶望的抗戦期)を経て、前線将兵は悲惨な運命に陥る。日米戦力差は陸軍一個師団単位で6〜8倍の火力差があり、機動力・弾薬補給力を加えればその差は更に拡がり、勝算は既に無かった。特に航空機・船舶の膨大な喪失は軍事輸送・資源輸送を途絶させ、日本の戦争経済を崩壊に導く。
中国は最後まで屈伏せず抗戦した為、45年には120万もの陸軍将兵が大陸に釘付けにされ、日本軍の背後を脅かし続けた。日中戦争での敗戦までの戦没軍人・民間人の合計は(満洲除く)46万5700人である。太平洋戦争全体では軍人・軍属230万、外地邦人30万、内地民間人50万の合計310万人とされるが、その殆どが、サイパン島陥落後の第4期に集中している(全戦没者に於ける割合91%)。因みに米軍の太平洋戦争での戦死者は10万997人、うち同期以降は5万3349人・53%である。
戦死者の内、膨大な戦病死・餓死者が大きな割合を占める。その原因は言うまでも無く補給の途絶で、軍需物資の前線到着割合(安着率)は1942年96%、1943年83%、1944年67%、1945年51%と低下し、その殆どが海没した。しかも積出量そのものが現地軍の要請量を遥かに下回る状況下での低下であった。そしてそれに伴い、海没死者も35万8千人(海軍18万2千、陸軍17万6千)に達している。戦場に於いても戦闘による戦死より圧倒的に病死・餓死の割合が高く、更には自力で歩行出来ない重傷患者は、「処置」して捕虜となる不名誉を強制的に排除した例も数多い。
戦争が激化し多くの戦死傷者が出て兵員が不足すると、大量の成人男子が徴兵される(総兵力1941年241万1.359名から1945年719万3.223名)その内容も体格壮健な甲種・第一乙種から、体格の劣る第ニ乙種・丙種、30歳以上の老兵、知的障害者までが入営させられた。補充兵も栄養不良・結核等疾病の蔓延、戦闘や制裁の恐怖や極度の疲労から精神疾患を患う兵士が多発し、航空兵の一部には覚醒剤(ヒロポン)を投与して戦場に向かわせる例もあった。物資の不足により被服・装備も劣悪化し、戦力の低下と同時に、士気をも衰えさせた。
近代軍隊に必須な機械化の立ち後れは兵士個人への皺寄せとなって現れ、体重の50%を越える装備を持って歩行行軍し、戦略的な時間を空費し、兵士の体力気力を削ぎ、総合戦力の低下に拍車をかけた。戦略的に極めて重要な飛行場設営に於いても、全て人力で臨んだ為に短期間での建設が出来ず、重要な局面で敵にイニシアチブを与えた場面が数多い。それ以上に通信機器・電波探信儀の技術的懸隔は劣勢を覆い難く、友軍の被害を急速に累積させた。
本書ではこうした旧日本陸海軍が内包した前近代的な体制・思想・装備が如何に無数の悲惨な死を自軍兵士に強制し、如何に場当たり的に世界大戦に臨んでいたかを、様々な史学的側面より具体的な数字を挙げつつ論証している。華やかな名誉の戦死ならざる無数の死者達の無念の声を、私達は決して忘れるべきでは無く、此の悲惨極まる膨大な犠牲をまた繰り返してはならないのである。
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