清算与天皇的关系
每次战后
2023 年 7 月 23 日,《财一本报》光良版
作者渡边清 1925 年出生于静冈县富士郡上野村,是佃农的次子。他的家庭并不富裕,1941 年小学毕业后,他加入了海军陆战队,从此一直在海上服役,直到战争结束复员。在莱特岛战役中,他在战列舰 "武藏 "号上担任 2 号炮手。武藏号在这次战斗中沉没,渡边是武藏号船员中为数不多的幸存者之一。战争结束两周后,他被遣散。本书中的日记是他住在静冈父母家期间的日记,当时他正在帮父母打理家里的农活。日记的日期为 1945 年 9 月 2 日至 1946 年 4 月 20 日。之后,他来到东京,成为农林专门学校的助教。之后,他参加工作,继续深造和就业,还担任过日本战争学生纪念会秘书长,但于 1981 年因病去世。 这本书值得关注的是,在战争前线 "为国家、为天皇 "而战的士兵们在复员后,在一个似乎否认他们所有战斗的社会中的所思所想。他们认为理所当然的价值观完全改变了。此外,我身边的人在生活中也在肯定这一重大转变,仿佛这是理所当然的。或许卡夫卡的《变形记》也描绘了同样的事情。 对渡边来说,最大的问题可能是天皇,天皇似乎是他价值观的主要支柱。在日记的前几个月和后几个月,这一点也发生了重大转变。我认为这一重大转变的原因是可信的。 这是我自己的想象,但与其说这与皇帝或对他的信仰有关,不如说这与当时的时代氛围有关,当时人们并不相信只能以这种方式生活。我 "只有在与他人发生关系时才可能存在,而 "他人 "不仅包括具体的人,还包括当时的社会氛围。这就是为什么渡边的 "我 "在具体的地方面对战争的形势和战场的不合理性时,可能会试图在与天皇这一绝对存在的关系中消化和接受这种不合理性。 人与人之间的关系每时每刻都在发生变化。另一方面,事物和思想也存在惯性。今天与昨天不同,明天也不可能与今天相同。我们都知道这一点,但在潜移默化中,我们相信有一个明天,它就像是今天的延伸。如果无法预见明天,那么当下的行动和想法就无法实现。如果不将事物置于趋势线上,依靠基于经验和阅历的期待和妄想,当下的 "我 "就不可能存在。 既然战争的日常生活已经结束,那么存在于特定战争日常生活中的 "我 "也随之消失。然而,在现实生活中,"我 "现在仍然存在,我不能不为自己的存在给出一些理由。昨天的 "恶魔 "取代了今天的皇帝,成为价值轴心的基础,似乎要肆无忌惮地忽略过去的 "我",我想这是人类社会的自然规律。然而,如果我们假装天皇本人从未存在过,就很难接受焦土和失去亲近之人的另一种现实。 个体'我'的存在在理论上并不令人信服,但如果我们把无数个'我'集合起来,把人类社会这个群体视为一个单位,我们就可以假设,即使个体'我'出生或死亡,这个群体也将继续存在。如果我们忽略组成个体的个性,将其视为统一的功能单元,那么就有可能以类似数学或逻辑模型的方式假定作为群体单元的个体的行动原则。如果可以假定行为原则,那么就有可能以各种方式取代给定的条件并预测行为。 换句话说,"我 "的概念无法用逻辑来理解,但没有个性的人或人类社会的概念却可以用科学来解释。美国没有废除天皇,很可能就是对日本社会和日本人作为一个整体进行科学分析和考察的结果。早在1944年中期,美国就决定在对日占领政策中允许天皇继续存在。 1945 年 9 月 2 日,渡边的 "天皇 "还是 "神",但一个多月后,他的地位就大为动摇,到 1946 年元旦,他已成为众矢之的。在此期间,渡边有意无意地重建了自己的 "我",到 1946 年 2 月初,他开始重新评估自己以前的价值观。然而,为了活出一个新的 "我",他无法回避对 "天皇 "的总结,而 "天皇 "在他之前的 "我 "中不可避免地扮演着核心角色。因此,他计算了一下自己在军队时的津贴和军事装备的租金,再加上一些礼物的钱,一共是 4282 日元。他向父亲借了 4000 日元,又用自己的钱在邮局用汇票付了 282 日元,连同一封说明金额的信寄给了天皇。信的结尾是这样写的: 我不欠您什么了"。(本书第 336 页)丸谷斋一有一部小说,名为《笹樱》。小说讲述了一个男人在战争期间逃避征兵而逃跑的故事。他不参军的决定使他得以幸存,但战后的生活却因他没有参军的事实被揭露而变得艰难。我读这本书大概是五年前的事了,我把读完的那本卖掉了,没带在身边,所以记忆有点模糊,但我想应该是这样的。这本是小说,但如果有类似的真实故事也不足为奇。 人们生活的地方都有自己的时代气息,如果你沉浸其中,做出用它捅电线杆之类的事就会很麻烦。就连我自己,在时间流逝之后,也对现在的 "我 "感到陌生。我觉得,"我 "的生活意味着调整与他人的关系。如果是这样的话,那么 "活着 "就是对 "我 "和 "他人 "这一关系主体的不断探索。 在这种探索的过程中,生活中经常会出现这样的情况:我们不得不明确地清算那些对当前的 "我 "不方便的关系。渡边在作为天皇的宝贝服兵役时,将自己所获得的一切报酬都用金钱来衡量,从而真正地清算了自己与天皇的关系。天皇也可以被看作是在坚持自己的生命,他把为了自己而失去数百万人的生命当作 "啊哈"。我认为,不同的人有不同的活法,这取决于他们的地位。
2023年7月23日在日本評論
著者の渡辺清は1925年に静岡県富士郡上野村に自作農の次男として生まれた。家計に余裕はなく、小学校を卒業しただけで1941年に海兵団に入団、以来終戦で復員するまで海上勤務だった。レイテ沖海戦では戦艦武蔵に乗り組み二番砲台の射手を務めた。武蔵はこの海戦で沈没、渡辺は武蔵乗員の中の数少ない生存者の一人だ。終戦から2週間ほどで復員。本書の日記は静岡の実家で家業の農業を手伝って暮らしていた時期のものである。日記の日付は1945年9月2日から1946年4月20日まで。この後、上京して農林専門学校の教授の助手となる。その後、働きながら進学、就職、日本戦没学生記念会の事務局長としても活動するが、病を得て1981年逝去。 本書で注目すべきは、「国のため、天皇のため」戦火の最前線で戦った兵士が復員後にその戦いを全否定するかのような社会で何を考えたか、ということに尽きると思う。自分というものが当然に持っていた価値観がその座標軸ごと大転換してしまう。しかも、自分の身近な人々がその大転換を当然の如くに肯定して生きている。ひょっとして、カフカの『変身』も同じことを描いているのかもしれない。 渡辺にとって、何よりも大きな問題は自分の価値観の大黒柱のような天皇のことだろう。日記の最初と最後の数ヶ月の間に、これもまた大転換するのである。その大転換の理由は実に尤もなことだと思うのである。 勝手な想像なのだが、天皇がどうこうとか、それを信じることがどうこうというよりも、そうすることでしか生きることに納得できなかった時代の空気のようなものがあったのではないだろうか。「私」とは、他者との関係性があってはじめて成り立つものであり、「他者」には特定の相手だけではなくその社会のその時々の空気のようなものも含む。だから、戦争という状況や戦場という具体的な場での理不尽に直面して存在の危機に立たされた渡辺の「私」は、その理不尽を天皇という絶対的な存在との関係の中で咀嚼し受容しようとしたのではないだろうか。 関係性というのは時事刻々変化する。一方で、物事や思考には慣性がある。昨日と同じ今日ではないし、今日と同じ明日があるはずがない。そんなことは誰もがわかっているはずだが、暗黙のうちに今日の延長のような明日があると確信しているものである。明日を想定できないなら今この瞬間の行為や思考が成り立たない。経験や体験に基づく予想や妄想に依って、物事をトレンド線上に位置付けないことには今この瞬間の「私」は存在し得ないのである。 戦争という日常が終焉したのだから、その戦争という特殊な日常の中に存在した「私」も消える。ところが、現実には私は今こうして存在しているので、そこに何かしら理由をつけないことには「私」は生きていくことができない。節操なく過去の「私」を無視するかのように、昨日の「鬼畜米英」が今日は天皇に代わって価値観の座標軸の根幹に据えられるのは人間社会の当然なのだと思う。かといって、天皇そのものを無かったことにしたのでは、焦土と化した国土と身近な人々を失ったという別の現実と折り合いをつけることは難しかったのではないか。 個々の「私」の存在は理屈では納得できないが、無数の「私」を集めて人間社会という集団を単位として考えれば、個々の「私」が生まれたり死んだりしても、集団は存在し続けるものと想定することができる。構成要素である個人の個性を無視して一律の機能単位とすれば、数理モデルや論理モデルのようなもので集団の単位としての個人の行動原理を想定することが可能になる。行動原理が想定できれば与件をさまざまに置き換えて行動予測をすることができるようになる。 つまり、「私」は理屈で理解できるものではないが、個性なき人間とか人間社会という概念は科学的な説明が可能になる。米国が天皇を廃さなかったのは、日本という社会や日本人という構成単位を科学的に分析し検討した結果なのだろう。米国は1944年半ば段階で、対日占領政策において天皇を存続させることを決めている。 渡辺の「天皇」は1945年9月2日はまだ「神」だったのだが、1ヶ月ほど後にはその位置付けが大いに揺らぎ、1946年正月には怒りの対象になった。この間、渡辺は意識するとしないとに関わらず「私」の再構築を行っており、1946年2月初めには、それまでの自分の価値観を見直すに至る。しかし、新たな「私」を生きるには、どうしてもそれまでの「私」の中核を担っていた「天皇」を総括しないわけにはいかなかった。そこで、軍隊にいた間に支給された俸給と軍装の借料を計算し、それに御下賜品の分としていくばくかの金額を加えると4,282円になった。このうち4,000円を父親から借り、自分の手元の金で282円を出して郵便局で為替を組み、金額の説明でもある手紙を添えて天皇宛に送ったのである。その手紙はこのように締め括られている。 「私は、これでアナタにはもうなんの借りもありません。」(本書336頁) 丸谷才一の小説に『笹まくら』というのがある。戦争中、徴兵を忌避して逃げ回った男の、逃走中と戦後の話である。兵隊にいかなかったことは結果としては生き残ることにつながったが、兵隊にいかなかったことがバレることで戦後は何かと生きづらい人生を歩む。読んだのが5年ほど前で、読み終わったものは売ってしまって手元にないので記憶があやふやなのだが、そんな話だったと思う。こちらは小説なのだが、似たような実話があったとしてもおかしくはない。 人が生きる場には、その時々の空気というものがあって、それにどっぷり浸かったら浸かったで、竿を刺すようなことしたらしたで、それぞれに厄介なことになる。自分でさえも時間が経てば今の「私」にとっては他人の一人だ。「私」が生きるということは他人・他者との関係を調整するということのような気がする。そうだとすれば、生きることは関係の主体である自分と他人・他者を探求し続けることということになる。 探求の結果、今の「私」に都合の悪い関係性を明確に清算しなければならないことも人生においては度々起こる。渡辺は天皇との関係を、天皇の赤子として軍務に就ていた時に支給されたものを全て金額に換算して文字通り清算を図った。天皇の方も、自分のために何百万もの人が命を失ったことを「あっ、そう」と流すことで自らの命を繋いだとも見ることができるのではないか。人により、立場により、生き方はそれぞれなのだと思う。
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