日軍は近代史上最も不従順な軍隊の一つであると言えます。日本軍将校は多数のクーデター、暴力的な反乱、政治的暗殺を引き起こした。これは政府暗殺が常態化している日本の「下剋上」伝統によるものなのでしょうか?
リクエストを頂きましたのでお答えします。当時の日本には文民統制など無く、日本軍は自分達は天皇の軍隊なのだから、政府なんかに従わなくて良いんだ❗という考えを持っていましたから。それどころか国政に対して強い影響力を持っていました。
日本軍が515事件で犬養毅を暗殺した以降の歴代首相を見て下さい。近衛文麿以外ほぼ全員が軍人です。(笑)
更に皇道派が226事件を起こした後、勢いを増した統制派は独断で軍部大臣現役武官制を復活させ、日本は軍部独裁に突き進んで行く事になります。度重なるクーデターにより政治家は暗殺に怯え、自由に政治を行えなくなった。
日本が軍部独裁を許した大きな要因の一つは、上記の軍部大臣武官制にあります。これにより内閣の組閣や運営には軍部の承認が必要となり、政治家はただの傀儡に成り下がります。そして軍部に不都合な内閣は総辞職させたり、逆に組閣阻止する事が自由にできました。
実際に宇垣内閣なんかは天皇から組閣の大命が下ってるにも関わらず、軍部は組閣を阻止しています。一体なにが天皇の軍隊なのやら。(笑)
日軍と書く所がなんとも中華人丸出しの滑稽さである!中華軍等日本軍には全く歯が立たず逃げ回っていた軍隊である。文句があったらアメリカ軍と戦ってみろ。核と焼夷弾で一般人を焼き殺す民族アメリカと中華は同じく卑怯者の集合体で有る
いえ、むしろ本人たちは従順な軍と思っていました。満州国を建国した石原莞爾氏は中国東北部における日本の利権を守るためには当時の関東軍の戦力では中華民国軍に対応できないので、満州国をでっち上げて、満州国軍という形で戦力の増強を図っただけです。5.15事件を引き起こした青年将校は貧困に喘ぐ東北地方の農民を救うためには満州国が必要なのにそれを承認しない犬養毅首相を奸賊として成敗しただけです。また、2.26事件の反乱軍は満州国を手に入れても、改善しない東北地方の農民を貧困から救うという目的で天皇陛下の「君側の奸」を取り除くために挙兵しています。これらの一連の行動は偏に日本軍の将校たちの政治センス・経済センスのなさからきています。満州国を建国した目的である中華民国軍への対応はその前に、日本政府と中華民国間の外交交渉を行うべきです。それもなく突然、満州国建国とやったのは勇足です。また、そういった経緯から言って時の首相である犬養氏が満州国を承認しないのは当然なんです。また、東北地方の農民が貧困だったのも、朝鮮半島から満州国まで、農地を広げた結果です。このため、農作物の相場が安値で安定したのです。結果的に東方地方の農民の農作物も安く抑えられ、凶作時の蓄えができていないだけなんです。彼らはそれを理解せず、政府が財閥等を優遇していると解釈したのです。実際には日本軍が勝手に占領地を増やした結果、農作物の収穫高が大きくなり、相場が安値で安定したことが原因とは思っていないのです。当時の新聞も責任があります。農作物の安値安定は良いこととし、政府が財閥寄りであると言った間違った世論を形成していましたから。個人的にはこの当時の日本のマスコミは経済に関して完全にボンクラであると言っていいと思います。実際には大陸からの農作物の輸入を禁じるのが最も手っ取り早い解決策なんです。日本軍人が経済を理解していないこと、外交的な手続きに基づいた行動を取らないことが全ての原因です。軍は実際には政府の下で外交政策に基づいて活動すべきですが、日本の軍は天皇陛下の下で活動するとしていたために生じる矛盾です(政府に従わなくてもいいと参謀本部も軍令部も考えていました)。これらはロンドン軍縮会議時にも問題視されていましたが、大日本帝国憲法を不磨の大典としていたために書き換えることができなかったことが全ての原因です。
旧日本政府が薩長の軍閥政府だからだよ…
軍(薩長)と政府が同格というトンデモナイ政治形態だった。シビリアンコントロールのシの字も無い。
226事件は皇道派によるクーデターだけど、天皇による治世を求めるクーデターなのに天皇自身が拒否したから空中分解した。
だからポツダム宣言には軍の解体はあっても政府の解体は無かった。
ちなみに戦後アメリカ軍と日本海軍(薩摩軍閥)はめっちゃ仲良くなって無事薩摩軍閥は生き残った。長州閥は政治的に生き残ってたくさんの総理を排出してる。
安倍元総理も長州閥出身者だよ。山口県=長州ね。
中国で言えば地方軍閥の連合政権だけが生き残って毛沢東本人だけがお飾りの首相として永年総理やってるみたいなもん。
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