以士兵的视角,从各个角度控诉亚太战争现实的力作。
以士兵的视角,从各个角度控诉亚太战争现实的力作。
2023 年 11 月 28 日南/日本
战后 78 年,由于战友会不断解散等原因,战争幸存者的人数越来越少,当时的战争教训也逐渐淡忘。有关亚太战争的书籍很多,但很少有从士兵的视角进行整理的。本书是对此提出的宝贵挑战。作者对每个主题的统计数据和其他数字进行了整理和解释,避免了对 "鲁莽而残酷的战争 "的简单评论,这是本书的优势所在。
虽然没有一个现代国家是在没有经历现代 "革命 "的情况下形成的,但当时的日本是一个从未经历过宗教改革、启蒙时代、资产阶级革命或民主的实施和培训的国家。在一定阶段内,军事独裁保证了日本资本主义对外政策的统一和国内秩序的稳定,但这些封建残余却严重阻碍了国家的发展。虽然有农民罢工和工农合作的尝试,但几乎单一的民族和种族同质性对日本来说是一个巨大的优势。
托洛茨基说:"满洲是日本的生命线",他预言,当日本的经济和军事转向依赖台湾、朝鲜和满洲的社会时,日本可能会出现类似俄国大俄罗斯主义的情况,即占总人口约 53% 的受压迫民族成为反旅游的推动力。托洛茨基认为,与 6 500 万日本人相比,包括满洲人在内的 5 000 万被压迫的朝鲜人和中国人变成了革命后备军,这在战争时期对政权尤其危险。
从这个角度来看,日本士兵不保留步枪是一种有效的反叛乱措施,因为日本士兵在 1943 年后招募台湾人和朝鲜人当兵时保留了步枪,而他们却不能保留步枪,这是不符合常理的。
需要更深入分析的一点是部队动员率低(第 175 页)。战争爆发后,"重工业化 "进程加快,获得这些领域的专家变得非常重要,因此合格人才库扩大,男孩也被派遣,但当时男性的平均预期寿命为 63.6 岁,因此似乎没有什么一致性。不过,除了女性没有参战之外,日本工业能力的落后和劳动生产率的低下可能也是一个因素,但遗憾的是,没有数字上的解释来支持这一点。
作为参考,日本当时的国民收入为 175 日元/人,是欧洲国家的几分之一,约为苏联的三分之二;日本的工业以轻工业为主,比较落后,纺织工人占全部工人的 51%以上。相比之下,金属和机械工人仅占 19%。考虑到当时的战争是一场 "金属战争",对钢铁消耗量的比较显示,美国的消耗量为 260 千克/人,西欧为 111 千克/人,苏联为 35 千克/人,而日本不到 29 千克/人。重工业化 "需要很长的时间和资金,而在这一切准备就绪之前战争就开始了,这本身就是日本战败的决定性因素。
兵士の立場でアジア・太平洋戦争の現実を色々な角度から告発した力作
2023年11月28日 在日本审核
戦後78年経過した現在、戦争体験者が少なくなった結果、戦友会の解散などが続き、当時の戦争の教訓が風化してきている。多くのアジア・太平洋戦争の書物はあるが、兵士の視点でこれを整理した書物は少ない。このことに挑戦した本書は貴重である。筆者は、テーマごとに統計等の数値を整理し説明しており、安易な「無謀な残虐な戦争」という解説を回避している点は、本書の長所である。
近代的な「革命」を経ることなしに形成された近代国家がない中で、当時の日本は、宗教改革も、啓蒙の時代も、ブルジョア革命も、民主主義の実施・訓練なども全く経験していない国であった。ある段階までは、軍事独裁体制は日本資本主義に対外政策の統一性を保証し、国内における安定的秩序を保証したが、これらの封建的な遺物は、日本の発展にとって大きなブレーキとなっていた。小作農のストライキ、農民と労働者との共闘の試みがある一方では、ほぼ単一民族で民族的同質性は日本にとって大きな利点であった。
「満蒙は日本の生命線」と言い、日本の経済と軍隊が台湾、朝鮮、満州に依存する社会にシフトしたとき、ロシアが大ロシア主義で、全人口の約53%を被抑圧民族が反ツアーリズムの原動力になったと同様のことが、日本でも起きるのではないかとトロッキーは予測していた。何故なら、日本人の6500万人に対し、満州を含めると5000万人の抑圧された朝鮮人と中国人が革命予備軍に転嫁すれば、戦時には体制にとって特別に危険になるだろうとトロッキーは思ったからだ。
この視点で観ると、日本兵が小銃を保持しなかったのは、反乱防止策としては効果があったということになる。43年以降に台湾・朝鮮人を兵士として徴用した際に、小銃を日本軍兵士が保持しているときに、彼らが保持できないというのは合理性に欠けるからである。
もう少し掘り下げて分析して欲しい点は、兵力動員率の低さ(175P)である。戦争が始まると、「重工業化」が加速され、その分野の専門家の確保が重要となり、適格者のすそ野の拡大や少年隊の派遣など行われるが、当時の男子の平均寿命は63.6歳であり、整合性が余りないように見える。但し、女性が戦争に行かなかったことに加え、日本の工業力の後進性と労働生産性が低かったことが原因になるかもしれないが、これを裏付ける数字による説明がないのは残念だ。
参考に、当時の日本の国民所得は175円/人で、欧州諸国の数分の一、ソ連と比較しても約2/3。日本の工業は軽工業中心の後進的で、繊維労働者が全労働者の51%以上を占めていた。それに対して金属・機械労働者は19%でしかなかった。当時の戦争が「金属の戦争」であったことを考慮して鉄鋼消費量を比較すると、米国が260Kg/人、西欧111Kg/人、ソ連35Kg/人に対し、日本は29Kg/人以下であった。「重工業化」には長い期間と資本が必要であり、それが整備される前に戦争が先に先に進んでいったこと自体が、日本の敗北を決定したと言えるだろう。
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