ブルネイ国王と国民から今でも慕われる一人の日本軍人

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ブルネイ国王と国民から今でも慕われる一人の日本軍人

この日本軍人 木村強氏のお陰で今のブルネイと日本の関係があるんでしょう。

 

1942年、大東亜戦争(第二次世界大戦)当時、日本はブルネイを3年間統治していた。

その間、ブルネイ県と呼ばれ、ブルネイ県知事には軍人の木村強が任命された。

任期は僅か1年ほどだった。

 

2014年10月21日放送 18:57 - 20:54 テレビ東京

ありえへん∞世界 東南アジアのお金持ち国家 ブルネイ・ダルサラーム国

(ブルネイ・ダルサラーム国、通称ブルネイ)

ブルネイにはかつて首狩り族が存在したが第二次世界大戦に習慣が途絶えた。1942年、日本は第二次世界大戦当時、ブルネイを3年間統治していた。その間、ブルネイはブルネイ圏と呼ばれ、ブルネイ人は日本語教育を課せられていた。

当時を知る男性が感謝している木村さんを取材するために元・首狩り族がいるイバン族の村を訪問。取材を行ったロングハウスは全部で8家族・約50人が生活している。

イバン族伝統のグルメ「鶏の竹蒸し」を紹介。煮干し・唐辛子・にんにくを鶏肉を混ぜジャングルで手に入れた竹に詰めていく。火で30分間じっくりと蒸し完成。その後、イバン族の長老を取材。御年91歳、体のタトゥーはイバン族の伝統的な習慣で特に首元のタトゥーは勇敢な者の証。首狩りやタトゥーの習慣はなくなり今は伝統的な踊りを子どもに伝えている。

 

首狩り族と日本人・木村さんの関係を再現VTRで紹介。第二次世界大戦中、日本はブルネイを占領下に置いた。それ以前、ブルネイはイギリスが占領していた。ジャングルに覆われたブルネイにイギリスは植民地としての魅力をあまり感じていなかった。

しかし、日本軍には埋蔵資源が豊富なブルネイを艦隊の拠点・軍港として利用する狙いがあった。しかし、1942年、県知事に就任した木村強はそんな日本軍とは別の考えを持っていた。

ブルネイ国王から、希望を聞かれた木村は現地のブルネイ人を1人自分につけるように言った。日本の国益だけを考えて占領するのではなくブルネイの発展に力を注ぎたいと考えた木村は、ブルネイ人を側に置き共に行動する事が最善と考えた。国王は20代のブルネイ人青年を紹介した。

 

木村は天然資源を採取する工場を造り雇用を生み出そうとしたり、交通・電気・通信などのインフラ整備を進めるなど当時ジャングルに覆われたブルネイの発展に尽力した。しかし、ブルネイを利用したい日本軍から見れば木村の政策は現地人に甘すぎるとされた。木村は日本人として他国の人間を奴隷のようにするのは恥ずかしいものと考え、日本人として品格を持って接する事が後の日本の国益につながると考えていた。

 

更に木村は首狩り族・イバン族の生活整備も進めようとしていた。当時、首狩りを行っていたイバン族はブルネイ人からも敬遠される存在だったがブルネイ人が一丸となり発展を目指す事こそが国益に繋がると考えた。しかし、イバン族にとって日本人は侵略者。

木村は信頼を得るためインフラ整備を行い貧しい村を変えた。すると、お礼に貴重な米の差し入れをしてくれた。木村は国王にもブルネイにおけるイバン族の地位向上を訴え続けた。木村が県知事に就任して1年、転勤が決まりブルネイを離れる事になった。

 

赴任から22年経った1964年、木村は地元の宮崎県に戻り検事の職に就いていた。ある1人の男が木村の元を訪れた。男は東南アジアを飛び回っている商社マンで、男は国王が木村を探していると伝えた。ブルネイに戻った木村が新国王と面会をすると、新国王はかつて秘書をしていたブルネイ人青年だった。

国王は木村の秘書に自分の弟を推薦していた。そして、現在の第29代国王の父親にあたる。国王は木村に再度ブルネイで働いてくれるように頼んだが年齢を理由に断った。

現在、ブルネイは9割の天然ガスを日本へ輸出している。木村がブルネイを離れる時、最後に永遠の友情の証としてイバン族の宝剣と日本の軍刀を交換していた。

スタジオでVTRを見た美輪明宏は「日本の行く道っていうのはこれなのよ!大和の国っていうのは大いなる和の国なのよ。みんなと誰とでも仲良くしちゃって和でもって世界に伍していく」とコメント。

ご・する【伍する】 他と同等の位置に並ぶ。肩を並べる。仲間に入る。「列強に―・する」

http://datazoo.jp/w/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%9B%BD/20521356

 

第29代「ハサナル・ボルキア国王」


 

出典shutterspeech.net

元秘書のオマル・アリ・サイフディン3世 国王

 

ブルネイ王に招かれて

元ブルネイ県知事  木村 強

私は、戦争に負けることは聊(いささ)かも想像したことはないが、仮に万が一期待に反するような結果になっても、日本人の行動、日本人の行為が後世に笑われ、批判されるようなことがないように、品位を維持し日本の国際的信用を高め、長く良い印象を残しておけばいつか海外に発展飛躍ができるから、好感と信頼感を保つようにしたいという信念で、異民族の統治に当たったのであった。

http://kansai.me/tdym/ww2nd/brn-hudoki05.htm

 

東日本大震災への支援

東日本大震災後,ブルネイからは,政府による100万米ドルの義援金のほか,民間からも義援金372,458ブルネイ・ドル(2012年1月時点,約2,384万円),寄せ書き等のメッセージが寄せられる。

 

「ブルネイの歴史」

 1888年:イギリスの保護領となる

 1941年:太平洋戦争の勃発に伴う日本軍の侵攻により1945年まで日本の統治下となる

 1959年:イギリスの自治領となる

 1962年:ブルネイ動乱(英語版)

 1984年:イギリスより独立する

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