自らを「傲岸不遜」と称した陸軍の権力者の生涯
自らを「傲岸不遜」と称した陸軍の権力者の生涯
2023年8月15日 在日本审核
武藤章。軍務局長として日本を戦争へと巻き込んでいった張本人。その武藤章の初の本格的な評伝となったのが本書である。
武藤章は熊本の人である。名門濟々黌中学から熊本幼年学校に進み、陸軍士官学校、更には陸軍大学校32期で恩賜の軍刀組である。まぎれもない超が付く秀才で、武藤は永田鉄山率いる一夕会に名を連ね、永田を師と仰ぎ、統制派の中心人物となって陸軍の中枢軍務局長として日本陸軍を率いていく。
なぜ日本は太平洋戦争へとなだれ込んでいったのか。それは満洲並びに北支へと戦線を拡大し、中国と果てしなき全面戦争へと突入していったからである。なぜ日本は満洲国を独立させ、北支へと戦線を拡大したかというと、資源を確保し、自給自足の経済圏を構築する為である。永田は、第二次世界大戦は必ず欧州で始まり、それに日本は必ず巻き込まれる。次の戦争は国家を挙げた総力戦となり、国家が資源をどれだけ動員できるかで勝敗が決まる。残念ながら日本国内の資源は乏しい。そこで「中国からいただくしかないではないか」となったのである。
中国に対しては、武藤章は一貫して強硬論者だった。満洲事変を引き起こした張本人石原莞爾には、陸軍の誰も賛同していない独特の長期計画があり、来たる対米戦争に備えて満洲の資源を活用しつつ重工業を育成して日本の経済力を育成する。この為には中国との戦争は控えるべしというものだった。石原の悲しさは、陸軍のほとんどが、この石原の長期計画に賛同していなかったことである。武藤らは、日本が長期持久戦を戦い抜くには満洲だけでは足りず、北支の資源が必要不可欠と判断しており、中国との戦線をどんどん拡大していく。武藤にとって華北分離工作は恩師永田鉄山の遺志であり、これを止めようとした石原の行動は理解不能だった。武藤は石原に対し「あんたが満洲でやったことを、私達は内蒙でやっているだけですよ」と言い放ち、せせら笑っている。
やがて永田が見通した通り、欧州で戦争が始まり、オランダ、フランスは、あっという間に
ドイツに蹂躙され、降伏。イギリスもドイツ空軍の空爆を受け、風前の灯状態となったように多くの日本軍関係者に映った。ここで出てくるのがドイツとの同盟論であり、南進論だ。東南アジアにはゴム、ボーキサイト、石炭、石油と豊富な資源があったが、すべて欧州列強の植民地だった。そのオランダ(インドネシア)とフランス(ベトナム、ラオス、カンボジア)がドイツに降伏し、イギリス(マレーシア、シンガポール、ミャンマー)もドイツに降伏するとなると、資源豊富な東南アジアは「空き家」になる。ここに誰よりも先に「空き巣に入って、資源を私しよう」というのが南進論である。
南進論で問題になったのが、欧州列強の植民地に空き巣に入ったとき、アメリカはどう出てくるかという話である。この時、イギリスはまだ降伏していなかったので、そのイギリスの植民地に日本が攻め込んでもアメリカは出てこないというのが英米可分論、イギリスの植民地に攻め込んだから、必ずアメリカは報復に出てくるというのが英米不可分論という。従来、海軍は一貫して英米不可分論だったと聞いていたが、本書によると海軍は揺れていて、当初は英米可分論で、後に英米不可分論に転じたとある。
ここでポイントとなるのは、武藤は「日本はアメリカと戦争になったら絶対に負ける」という冷静な判断をしていたことである。銑鉄の生産高ひとつとっても、アメリカの工業力は日本の12倍以上あり、「日本はアメリカに絶対に勝てない」と武藤は理解していた。日本が生き残るためには南方の資源は必要不可欠だが、その資源が欲しくて南方に空き巣に入り、その結果、アメリカと戦争になったら元も子もないと本気で考えていた。ところが、そうは考えなかった連中がいる。参謀本部第一部長(作戦部長)の田中新一である。田中がなぜ武藤と同じ対米観を持たなかったのかについて、本書には一切記述がない。謎である。
田中が頼りにしたのがドイツとの同盟である。これに加勢したのが外務大臣松岡洋右である。田中と松岡は、日本、ドイツ、イタリアの三国にソ連も加えた四国同盟を結成すれば、アングロサクソンに十分対抗できると思い込んでいた。アメリカと戦争になった場合、背後からソ連に攻め込まれたら日本はひとたまりもない。だからソ連とも不可侵条約を結び、同盟関係に入って、後顧の憂いなく、安心してアメリカと戦争できるようにしようと田中は考えたのである。その為には、まず三国同盟を結び、ソ連に圧力をかける必要があった。それを実行に移したのが松岡である。だからスターリンが不可侵条約の一歩手前の中立条約を日本と結ぶことに同意した時、松岡も田中も驚喜した。
田中と松岡が頼りにしたドイツが曲者だった。アーリア民族の絶対優位を信じるドイツにとって、有色人種の日本など、取るに足らない捨て駒だったということに、田中も松岡も気が付かず、ドイツを信じ切っていた。ドイツは既に独ソ不可侵条約を勝手に結んで日本を裏切っている。反共産主義で手を組んだはずの日本をドイツは裏切っている。それで気が付くべきなのに、気が付かない。今度は、毛嫌いしていたはずの共産主義国家ソ連と同盟関係に入ってアングロサクソンに対抗しようという豹変ぶりである。確かに数字上は日独伊ソを足すと米英に十分対抗できる数字にはなる。しかし、そんなもの、所詮は数字の遊びに過ぎない。そして、「その時」がやってくる。同盟関係に入るはずのソ連にドイツがバルバロッサ作戦を発動して攻め込むのである。独ソ開戦で松岡と田中の四国同盟論は空中分解する。もうアメリカと日本は戦争なんかできない。戦争したら絶対に負ける。この時も、武藤章は冷静な判断を下している。「ドイツはソ連に攻め込んでも、ソ連を短期で屈服させることは絶対に出来ない。ソ連に攻め込んだのはドイツが侵した重大な判断ミスだ」。
ところが田中も松岡も武藤のようには考えない。「それならドイツと組んで背後からソ連に攻め込み、まずソ連を崩壊させ、返す刀でアングロサクソンを血祭りにあげる」と北進論を真顔で言い出すのである。つい最近までソ連を巻き込んでの四国同盟論を主張していた連中がである。ここでさすがの近衛も松岡外相解任を断行する。
それでも田中はめげない。「ドイツとの戦争の為に、ソ連は極東ソ連軍の大半を西部戦線に振り向けるはず」と見込み、巨大な経費をかけて関東軍特種大演習なる対ソ戦準備を実行する。動員された兵力は70万人、軍馬14万頭である。ただし、対ソ開戦の前提条件は田中の見込み通り極東ソ連軍の3分の2が欧州に振り向けられ、極東ソ連軍がスカスカになることが前提だった。ところがそうはならない。結果、巨費をかけて満洲に集められた巨大部隊は何もすることなく、無聊をかこち、やがて南方へと散っていったあのである。それもそのはず、日本軍の手の内は、近衛文麿の側近尾崎秀実というソ連のスパイ経由リヒャルト・ゾルゲに筒抜けで、スターリンは極東ソ連軍を動かさなかったからである。尾崎がソ連のスパイなら、風間章もソ連のスパイだったのではないかと私は疑っているが、尾崎のみ射殺され、風間は戦後まで生き残り、日本社会党の議員になりおおせている。
日本には日本独特の組織原理がある。それは独裁者を作らないという美名の下、万物を総攬する絶対権力者を意図的に作らず、同じような権限しかもたない同輩からなる組織を作り「みんなで決める」方式を採用することだ。その結果、何が起きるか。組織に責任者がいないので、責任のなすりあいが起きるのである。誰も責任を取ろうとしない無責任状態が頻発するのである。石原莞爾を下っ端の武藤章がせせら笑ったのもこの結果だし、武藤章の対米戦争絶対不可避論と田中新一の対米強硬論が並立したのも、この結果だ。さらに言うと、対米戦争は海軍の守備範囲なので、海軍さえ「アメリカとの戦争に自信がない」とさえ言えば、対米戦争は回避できると東條英機が考えても「そんなこと言えません」と海軍が逃げたのも、この無責任組織がもたらした必然の結果だ。こういう時、戦前の総理は影が薄い。そもそも閣議の司会進行役程度の役割しかなく、何の権限もなかったからだが、その近衛総理も「自分だけが開戦回避の全責任を背負わされるのは嫌だ」と逃げ回っている。日本の組織は構成メンバー全員に拒否権が与えられており、一人でも反対する者がいれば、結論は先送りされる。それが「恨みを残さない最善の道」と日本人は信じているのだが、ここぞという時には、こういう「全員一致主義」ではよろしくない事態がありうる。それが太平洋戦争開戦の決断で起きた。武藤章、田中新一、松岡洋右は、まるで掛け合い漫才を演じるように、日本という国を崖から蹴落とし、破滅させていく。そこに東條英機や近衛文麿、及川古志郎という「ボケ」も加わって笑いをさそっている。
武藤は極東軍事裁判で最年少の57歳で絞首刑となった。一方の田中新一は私が高校に合格した1976年まで生き延び、83歳の生涯を閉じている。田中は一旦滅亡した日本という国をどういう心境で眺めていたことだろう。
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No
一个自称 "傲慢 "的军队强人的一生。
2023 年 8 月 15 日 S.N.C.在日本。
武藤明。作为军务局局长,他对将日本拖入战争负有责任。本书是关于武藤明的第一本全面的评论性传记。
武藤明生于熊本。他从著名的济作中学升入熊本少年学校,然后进入军事学院,最后进入军事学院第 32 期,并在那里获得了帝国军刀。不可否认,武藤是一个才华横溢的人,他是永田铁山领导的一青会成员,并视永田为恩师,成为控制派的核心人物,并作为陆军中央军务局长领导日本陆军。
日本为什么要参加太平洋战争?原因是日本将疆域扩展到满洲和华北,陷入了与中国无休止的全面战争。日本之所以将满洲独立,将疆域扩展到华北,是为了确保资源,建立一个自给自足的经济区。永田说,第二次世界大战一定会在欧洲爆发,日本也一定会被卷入其中。下一场战争将是一场全面的国家战争,胜负将取决于一个国家能够调动多少资源。遗憾的是,日本资源匮乏。因此,"我们别无选择,只能从中国获取"。
针对中国,武藤明一贯是强硬派。石原莞尔是 "满洲事变 "的罪魁祸首,他有一个独特的长期计划,即通过扶植重工业发展日本的经济实力,同时利用满洲的资源,为即将到来的抗美援朝战争做准备。为此,日本将避免与中国开战。遗憾的是,大部分军队并不同意石原的长期计划。武藤和他的部下认为,仅靠满洲不足以让日本打一场长期持久战,华北的资源至关重要,因此他们不断扩大与中国的战线。对武藤来说,华北分离作战是他的恩师永田铁山的遗产,石原试图阻止这一行动是不可理解的。武藤对石原说:"我们只是在内蒙古做了你在满洲做的事情",石原对他嗤之以鼻。
不久,正如永田所预料的那样,欧洲爆发了战争,荷兰和法国很快被德国攻占并投降。
荷兰和法国很快被德国占领并投降。英国也遭到了德国空军的轰炸,在许多日本军事人员看来,英国似乎陷入了无计可施的境地。与德国结盟的理论和向南扩张的理论由此产生。东南亚蕴藏着丰富的资源,如橡胶、铝土矿、煤炭和石油,但这些都是欧洲列强的殖民地。如果荷兰(印度尼西亚)和法国(越南、老挝和柬埔寨)向德国投降,英国(马来西亚、新加坡和缅甸)向德国投降,资源丰富的东南亚就会 "空出来"。南向扩张理论认为,我们应该抢先 "进入空缺地带,将资源据为己有"。
南进扩张理论的一个问题是,当美国进入一个欧洲大国的空缺殖民地时,它将以怎样的面目出现。英美的可分性理论认为,由于此时英国尚未投降,即使日本入侵英国殖民地,美国也不会出面;而英美的不可分性理论则认为,既然日本入侵英国殖民地,美国肯定会出面报复。我曾听说海军一贯坚持英美不可分割论,但根据这本书,海军是摇摆不定的,最初是英美不可分割论,后来是英美不可分割论。
这里的重点是,武藤冷静地判断,如果日本与美国开战,日本必败无疑。即使仅就生铁产量而言,美国的工业实力也是日本的 12 倍以上,武藤明白 "日本永远不可能打败美国"。南方的资源对日本的生存至关重要,但他严肃地认为,如果日本因为想要这些资源而进入南方盗窃,结果与美国开战,前者将没有胜算。然而,有些人却不这么认为。这就是总参谋部第一部部长(作战部长)田中伸一。书中没有提到田中为何不同意武藤对美国的看法。这是一个谜。
田中依靠的是与德国的联盟。外相松冈洋右(Yosuke Matsuoka)也加入了他的行列。田中和松冈坚信,由日本、德国、意大利和苏联组成的四国联盟足以对抗盎格鲁-撒克逊人。一旦与美国开战,如果苏联从背后发动进攻,日本将面临危险。因此,田中希望与苏联缔结互不侵犯条约,结成同盟,这样日本就可以与美国开战,而不必担心遭到报复。为此,首先必须缔结《三方条约》,并向苏联施加压力。松冈将此付诸实践。因此,当斯大林同意与日本缔结中立条约时,松冈和田中都很高兴,因为这比互不侵犯条约还差一步。
田中和松冈所依赖的德国是个骗子。田中和松冈都没有意识到,对于信奉雅利安人种绝对优势的德国来说,日本这个有色人种的国家只是一个可以抛弃的无足轻重的棋子,他们完全相信德国。德国已经背叛了日本,独自签署了《德苏互不侵犯条约》。德国背叛了日本,而日本本应在反共的基础上与德国联手。这本应使他们意识到这一点,但他们没有。现在它改变了主意,与苏联这个它本该不喜欢的共产主义国家结盟,共同反对盎格鲁-撒克逊人。诚然,从数量上看,日本、德国、意大利和苏联的数量加在一起足以与美国和英国抗衡。但这只是数字上的游戏。时机终将到来。德国对苏联发动了 "巴巴罗萨行动",而苏联本应是盟友。德苏战争爆发后,松冈和田中的四国同盟在半空中破裂。美国和日本再也不能开战了。如果开战,必败无疑。武藤再次冷静地做出了决定。德国即使入侵苏联,也不可能在短期内使苏联屈服。进攻苏联是德国入侵的严重判断失误"。
然而,田中和松冈的想法都不像武藤。他们会与德国联手,从背后攻击苏联,先瓦解苏联,然后堂而皇之地血洗盎格鲁-撒克逊人作为反击。正是这些人,直到最近还在主张与苏联结成四国同盟。在这一点上,近卫不出所料地决定解除松冈外相的职务。
即便如此,田中仍不气馁。他预计 "苏联将把远东的大部分苏军调往西线参加对德战争",并以关东军特别的大规模演习为对苏战争做准备,耗资巨大。动员的兵力为 70 万人和 14 万匹战马。然而,对苏战争爆发的先决条件是,远东三分之二的苏军将如田中所料调往欧洲,远东的苏军将化整为零。然而,这并没有发生。结果,耗费巨资在满洲集结的庞大部队无所作为,被闷死了,最终被分散到南方。究其原因,是理查德-索尔格通过近卫文麿的亲信、名叫尾崎秀美的苏联间谍知道了日军的行动,而斯大林并没有调动远东的苏军。如果尾崎是苏联间谍,我怀疑风间昭也是苏联间谍,但只有尾崎被枪杀,而风间昭一直活到战后,并成为日本社会党党员。
日本有一个独特的组织原则。它以 "不制造独裁者 "为幌子,刻意不制造一个拥有绝对权力包揽一切的人,而是制造一个由拥有类似权力的同僚组成的组织,并采用 "大家决定 "的方法。结果会怎样呢?由于组织中没有负责人,就会出现推卸责任的现象。没有人愿意承担责任的不负责任状态经常出现。这也是穆藤的 "对美战争绝对不可避免论 "和田中新一的 "对美战争强硬论 "并存的原因。此外,由于对美战争是海军的职权范围,即使东条英机认为只要海军表示对对美战争没有信心就可以避免对美战争,海军也会以 "不能说这种话 "为由逃避,这也是这种不负责任的组织的必然结果。在这种时候,战前的首相就像一个影子。首先,他的角色仅限于内阁会议的主持人和协调人,没有任何权力。日本组织的所有成员都被赋予否决权,哪怕只有一名成员不同意,结论也会被推迟。日本人认为,这是避免留下怨恨的最好办法,但到了关键时刻,这种意见一致的做法可能对局势不利。发动太平洋战争的决定就是如此。武藤明、田中新一和松冈洋右把日本踢下悬崖,毁了这个国家,就像在表演相声对白一样。东条英机、近卫文麿和大川甲四郎也加入了他们的行列,他们都是 "小伙子",也引发了笑声。
武藤在远东军事法庭被处以绞刑,时年 57 岁,是有史以来最年轻的绞刑犯。田中伸一则活到了 1976 年,也就是我高中毕业的那一年,享年 83 岁。我不知道田中对曾经被摧毁的日本国会有怎样的感受。
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第一次读到这篇文章时,我惊讶地发现它是用中文写的。
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