直到日俄战争前后,日本陆军的装备水平似乎一直是世界上最高的;为什么海军在第二次世界大战中并不逊色,而只有陆军变得明显逊色?

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いくつか原因があると考えられますが,実は陸軍内でも,第一次世界大戦に参加せず,かろうじて戦勝に終わった日露戦争の結果を過大評価し続けた点に大本の原因がありそうです。その後の要因をまとめてみると以下のとおりです。

①陸軍大学校における教育を含めた教育課程

陸軍大学校は,参謀将校といった軍部指導者を教育養成する組織でした。

教育内容は非常に多様であり,中には海軍戦術なども教程の中にはありました。

陸軍大学校がどのような教育を行っていたかを知るエッセンスとして,陸軍大学に入るための問題の一例を示しておきます。

歩兵科 戦術学(歩兵操典)

・隘路防御の種類及びその利害如何

・連隊の後衛大隊の任務如何

・孤立連隊の戦闘準備体系如何

騎兵科 戦術学(騎兵操典)

・乗馬において険き坂凹凸ある池澤地等を行き又は水を渡るに所要の注意如何

・歩兵戦闘を行うべき場合如何

砲兵科 戦術学(砲兵操典)

・独立中隊及び砲兵軍の取るべき集合隊形又その利害如何

・野砲兵凸起したる地を通過するの法如何

などなど

つまりは,陸軍において定めていた操典を暗記し,そのとおりに記載できた人が入学を許されたということです。

その後の教育には,時期によって大きな変化があっといわれていますが,一般的な方向性として,①工兵,輜重より作戦,砲兵が重視,②過去の欧米における戦場での経験を題材とした討論方式による教育の重視,③消極論は忌避され,常に攻撃されたら反撃包囲するといった積極策の重視等が言われていました。

この傾向は,陸軍が中国において戦うようになると,①観念的な精強感,②日本兵1に対して中国兵は10,ソ連兵は3などといった全く根拠のない兵力の過大評価,③火力より精神論の重視が強化されました。

ノモンハン事件後に作成された報告書においても,報告書は火力重視をいいながらも,最も重要なものは兵の精神力重視であるとし,火力の充実が行われることはありませんでした。

②永田鉄山の死

永田鉄山は,第一次世界大戦後のオーストリア,ドイツに留学し,その実情をくまなく見たと言われています。つまりは欧州前線における火力や新兵器による機動性の重視と,塹壕戦術による戦闘の長期化や戦車によるその打破等を勉強したのはもちろんのこと,敗戦国が置かれた過酷な状況(鉄山の歓迎会において,政府や軍の高官であっても,家族のために出された飲食物にほとんど手を付けることなく,家に持ち帰った等のできごと)を経験し,日本陸軍が近代的な火力重視,兵器重視の戦闘を戦う体制に全くないことを経験しました。永田の発想は,国力を涵養して遅れた陸軍戦略,火力軽視の傾向を改善することにありましたが,陸軍内では,皇道派と統制派という,ほとんと意味のない政治闘争が行われ,その結果暗殺されてしまいます。その後に統制派を引き付いたのは例の東條英機であり,東條氏には,永田や石原莞爾のような構想力はなく,憲兵,思想警察重視の治安維持重視の方向で成長しただけでした。東條の近視眼的発想を示す言葉として,部下が軍事物資生産力の向上を図るために,資本の充実の手段として株式会社方式を提案したところ,「株式会社は金をもうける方法であり,国のために行う軍事生産には合わない」などといって却下したとのエピソードが伝わっています。彼は子役人であって,経済の成長を図って軍事生産力をも伸ばすというルーズベルト式発想は全くなかったということでしょう。

その後石原も東條に軍部を追い出され,結局軍部の火力重視の発想は東條からは全くでませんでした。

③ 満州事変に始まる中国大陸での戦闘の影響

日本は昭和6年から昭和20年まで,断続的に中国大陸で戦闘を行っていました。この戦闘による影響は,国家経済の衰退と,陸軍の根拠のない精強感という2つの悪い影響を与えたといえます。

https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index05.html

上記はこの間の日本の軍事費と国家予算全体に対する割合となりますが,昭和6年まで4億6120万円,31,2%であったものが,昭和10年には10億3923円,47.1%,昭和15年には79億6349円,72.6%に及んでいます。

このような多額の軍事予算は,当然海軍側でも利用したのですが,その多くは実際に戦闘をやっている中国大陸で消費されました。

また,日本では昭和12年という比較的早い段階から,少ないときでも国家予算の70%近い額が使われており,当然この間,民間投資は削られます。また,満州事変後に国連を脱退したことやアメリカ等から経済制裁を受けたことにより,対外信用が低下した上,国内では中央銀行が国債を受け入れる形で通貨の大量印刷による国家経費の補てんが行われましたので,非常に悪質なインフレとなり,率直にいえば,1941年の段階で,日本の経済的運営能力は既に破綻状態で,それにアメリカの石油禁輸が加わりました。

仮にアメリカと戦争をする気であるならば,中国大陸において費消された国費や資源は,火力や兵器の充実につかうこともできた訳ですが,当然戦場において消えてしまったのでした(この間陸軍では謀略も行われておりましたので,そのために非常に非効率に使われ,闇の金として消えた金も非常に多額なものになると思います。)。

開戦前のジョン,ホプキンス大学の研究によれば,日本は既に日中戦争において国費の大半を費消した上,国際信用を失い,為替も暴落しているため,戦略的物資を大量に購入することはできない状態にある。このままいけば日本は放っておいても破綻するが,その前に,外交的賭博,つまり戦争に出るであろう。と予想されています。

さらには,中国は,日本との戦争においては,戦わずに逃げ,その兵站を襲うというゲリラ戦方針をとっていましたので,外形的に日本陸軍は連戦連勝であるかのような自覚をもっていました。そういう状況が続くと,「戦勝は麻薬」ですから,自らの欠点を改善するという動機が消滅していきます。

ノモンハン事件当時の陸軍大学校における戦闘教育は,非常に少数な兵力でも数倍する敵兵に勝利することを求められ,包囲された状況から攻撃移転し,逆包囲するといった戦術や,古来の桶狭間,ひよどり越えなどの戦術に習った神がかり的な指導が行われ,結局は神の加護により勝利するといった結論で終わることが多かったともいわれています。そういう軍隊が,とにかく火力を集中して敵軍を撃破する方針を持つ軍隊に勝利できることはありえないこととなります。

④陸軍戦術の変更の遅さ

日本陸軍は,アメリカとの戦闘,特に1942年8月に始まったガタルガナル戦においては,補給重視かつ敵軍の補給遮断に異常に固執するアメリカ軍の戦術に対抗できず,敗北を繰り返しました。その後も,ソロモン,ニューギニア,ニューブリテン,ギルバート,マーシャル等での敗北を繰り返しましたが,本質的な戦術変更を行いませんでした。

その結果,日本軍は在来戦法によってマリアナで徹底的敗戦を経験します。 この時,参謀本部で幹部をつとめていた服部卓四郎は「今までの日本の戦術が全く間違いであることが分かったが,今さらどうしょうもない。」と発言して日本の敗北を認識しました。

その後,その反省から,艦船等の火力を避ける戦闘方針を参謀本部情報部において作成し,その戦術方針に基づき,ペリリュー ルソン,硫黄島,沖縄などではそれなりに善戦し,圧倒的な兵力差にもかかわらずかなりの損害を与えますが,当然戦勝を収められるようなものではなく,本土決戦への遅滞を目指すだけの戦闘でした。

⑤ 日本の生産力の低さ

そもそも日本の生産力が低いことも,兵器の生産には影響を与えますし,その背景には,軍事生産に必要となるあらゆる物資が不足していたことや,ドイツのように人造石油生産工程の合理化なども完全に失敗していますので,それも影響しています。また,日本の徴兵制は,全く合理性のない,無駄,重複の象徴であり,日本陸軍が,技術を持つ工員や技術者,研究者にいたるまで根こそぎ動員し,時には懲罰動員といって,あえて戦線で死亡させることを目的とした動員さえ行われていたということですので,これ以上は語るまでもないことです。

⑥日本人の特性

日本人が好きな「武士道」も,補給線を狙うことや,レーダーなどにより戦況を有利をするという発想に消極的にしたという点があるともいわれています。漫画ではありませんが,当時の日本の戦争指導者は,日本刀をもって圧倒的な敵軍に躍り込んで弁慶のように死ぬことが理想的だと考えていたのだと思います。

その他にもたくさんありそうですが,書き切れないのでこの辺で。

まとめ

日本人は,戦勝に酔って自らを客観視する能力が本質的に欠けており,またアメリカ人のようなシステム面の整備が苦手で,かつ専門家は他の分野に対する興味関心に欠ける傾向があり,その点は何ら現在でもかわっていないようです。日本陸軍が火力軽視になった理由には,本当に長い歴史があり,ドイツが欧米各国を敵に回して善戦するまでの体制を,わずか10年程度で整備したのとは雲泥の差があるといえます。

結果的にいえば,日本のあらゆる欠点が,陸軍の火力,装備の軽視,精神力重視につながった,または今でもつながりやすい,といえるのではないでしょうか。運動部で水を飲まないとか,鉄拳制裁などがつい最近まで行われていたことからも,その点は考えておいた方がいいのはないかと思います。

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いちおう水を飲むな、には当時としてのスポーツ理論みたいなのでは科学的に正しい、みたいなところかは流行したみたいです。間違って伝わり一切飲まないほうがいい、と誤認されるようになったいですが。さすがに鉄拳制裁はなかったですね。平手でした

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そこにコメントをいただけるとは予想していませんでした。ありがとうございます。

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