戦後日本人の思考回路を作った? アメリカ「対日宣伝工作」の真実

安易な善玉・悪玉史観に陥らないために

「大日本帝国」の終着点にして、戦後日本の出発点でもある太平洋戦争末期〜米軍占領期には、「日本を二度と脅威にならない国にする」ため、アメリカによる様々な宣伝工作が行われた。だがその詳細や影響力については、いまだ不明な点も多い。

論文「ウォー・ギルト・プログラム──『戦争の有罪性』とは何か」が高く評価され、単行本化を控える名古屋大学博士研究員の賀茂道子氏が、ベールに包まれてきた「対日心理作戦」そして「ウォー・ギルト・プログラム」の真相を描き出す。

そのシステムは現代まで引き継がれている

敵機襲来……機銃掃射か、はたまた偵察かと息をひそめていると、突然空から大量のビラが落ちてくる。拾い上げてみると、それは米軍によって作成された、降伏を促すビラであった。

このような光景を、映画などで見たことがある人も多いのではないだろうか。

アジア・太平洋戦争も末期になると、米軍機はたびたび日本本土へ飛来し、空襲予告を伝えるビラや各地の戦闘状況を伝えるビラを投下した。こうしたビラの投下は、戦場で行われていた対日心理作戦の延長線上にあるものであった。

対日心理作戦と言っても、ピンとくる人はほとんどいないだろう。簡単に言えば、日本兵の士気を低下させ投降を促すことを目的とした、米軍の宣伝工作である。

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この作戦を実行した米陸軍心理作戦部長のボナー・フェラーズは、マッカーサーの秘書官として象徴天皇制の成立に尽力したことで知られている。また、2013年に日本で公開された映画『終戦のエンペラー』の主人公としても有名である。

米兵に日本兵捕虜の取り扱いなどを教育するとともに、対日心理作戦にも助言を与えていたケネス・ダイクは、GHQ民間情報教育局局長として、治安維持法の廃止、農地改革などに携わり、初期占領改革を支えた。

同様に、ビラ作成に携わっていたブラッドフォード・スミスは、占領開始当初、ダイク率いる民間情報教育局で、後ほど紹介する「ウォー・ギルト・プログラム」の企画立案に取り組んだ。つまり、現在にまで引き継がれている日本の様々なシステムの一端が、彼等対日心理作戦メンバーによって形作られたのである。

GHQマッカーサー元帥の部下として天皇制に関する調査を行ったボナー・フェラーズ(Photo by gettyimages)

モットーは「真実を伝える」

宣伝工作には、発信源を明らかにして行う工作、いわゆるホワイトプロパガンダと、発信源を隠匿して行うブラックプロパガンダの二種類がある。対日心理作戦は前者のホワイトプロパガンダであった。

ホワイトプロパガンダでは、虚偽の情報を流すことはご法度となる。なぜなら一度でも虚偽の情報を発信したならば、それ以降の宣伝工作はまったく信用されなくなってしまうからである。こうしたことから、対日心理作戦でのモットーは、真実を伝えることであった。

対日心理作戦で散布されたビラには、大きくわけて3通りの情報が掲載されていた。

一つめは、各地の戦闘状況や日本国内の政治状況、終戦時には日本の降伏を知らせるものなど、単純に日本兵及び国民が知らされていない情報を掲載したビラである。

特に「落下傘ニュース」、「マリアナ時報」と名付けられた新聞形式のビラは、兵士たちに人気があった。「落下傘ニュース」には当時の人気四コマ漫画「フクちゃん」が掲載されており(もちろん無断で)、それを見たさに、ビラをこっそり拾って読む日本兵が後を絶たなかったと言われている。2000年代に入り、アメリカ大使館が「フクちゃん」の著作権料を支払ったことでも話題になった。

二つめは、命を救うためのビラである。捕虜が出ていることなどを伝え、投降するように呼び掛けるビラ、投降の際にこのビラを掲げるよう指示したビラなどがこれに当たる。

三つめは、軍将校や軍国主義者を非難し、軍部による言論弾圧が戦争につながったことなどを示す、イデオロギー色の強いビラである。例えば、日本兵が食べる物もなく悲惨な状況にもかかわらず、政治家などが白米を食べていることを指摘したビラ、軍将校たちが兵を消耗品扱いしていることを指摘したビラなどがこれにあたる。

南方で実際に投下されたビラ(防衛省防衛研究所資料閲覧室所蔵)



2018.03.13

戦後日本人の思考回路を作った? アメリカ「対日宣伝工作」の真実

安易な善玉・悪玉史観に陥らないために
賀茂 道子 

協力した日本人捕虜たち

ビラは、日本人捕虜たちの協力を得ることで、より完成度を増していった。

そもそも日本兵は捕虜になることを禁じられていたため、捕虜となった場合の教育を受けていなかった。そのため、日本人捕虜は、一旦心を開くと、驚くほど簡単に部隊の情報などを話した。また、日本兵は、部隊が撤退する時に、日記を土の中に埋めていったため、それを見つけた米軍が、そこから日本兵の心理を探ることができた。

実際に、捕虜の聞き取りから得られた情報は、ビラに反映された。例えば、日本人捕虜の写真を掲載したビラに対し、捕虜たちから顔を隠してほしいとの意見が出されたことで、目に黒い目隠しをいれるようになった。

自分が捕虜になっていることが他の日本兵に知られると、故郷の家族の不名誉になると同時に、それを心配して日本兵が投降を渋るようになる可能性があったからである(ただし、その後、写真に写った捕虜が本当に日本人かどうかの判断が出来なくなるため、目隠しは中止となった)。

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当初は、投降する際に掲げるように指示したビラに「降伏(surrender)」の文字が使われていたが、これに日本兵は拒否反応を示すため、「抵抗をやめる(I cease resistance)」との言葉に変わった。さらに、時には捕虜がビラの作成に直接関わることもあった。

捕虜からの聞き取りで、兵士の士気を下げて投降を促すという点においては、軍国主義者を攻撃するようなイデオロギー色の強いビラは、ほとんど効果がないことが確認されていたが、こうしたビラの投下は終戦まで続いた。対日心理作戦は、軍国主義者と国民・天皇の間にくさびを打ち込むことを方針としていたため、戦争の責任は軍国主義者にあって、国民・天皇にはないことを明らかにする必要があったからである。

そのため、ビラでは天皇については一切触れられず、国民及び下級兵は軍国主義者の犠牲になった者として描かれていた。この方針は、真実を伝えることと並んで重要視されていた。

米軍ビラを通じて真実を知った

沖縄が陥落し、いよいよ米軍の本土上陸作戦が迫ってくると、対日心理作戦の対象は戦場の兵士から日本国民へと移っていった。さらに、日本国民に無条件降伏の受け入れと戦後を睨んで占領政策の受け入れを促すという、新たな目的が加わった。

日本政府は、投下されたビラを拾った場合には直ちに警察に届け出るよう指導していた。また国民に向けて、ビラに書かれていることは真実ではないとの声明を出していた。しかしながら、占領開始後の日本の国民や政府高官からの聞き取り調査では、ビラが対日占領に少なからず好影響を与えたと考える人が多かった。

米大使館駐在武官を勤めた原口初太郎は、次のように答えている。

「最初、国民は我々のプロパガンダを信じていたので米軍のビラを信じなかったが、空襲の被害が大きくなるにつれ、次第に政府のプロパガンダが嘘でビラに書いてあることが本当ではないかと疑い始めた。

天皇が終戦を決断し、米軍が上陸した後、その振る舞いの良さを目の当たりにし国民は、米軍の撒いたビラを思い出した。彼らは『米国の言っていたことはすべて本当であったのだ』と感じた。

私は、宣伝ビラは、占領を国民が受け入れる手助けという点において大きな影響を与えたと思う」

特に、空襲予告ビラの効果を上げる者は多かった。空襲予告の後、実際に空襲が行われたことで、米国の情報が真実であるという信頼感が増した。さらに、占領開始後、日本政府によって発表された真実の戦況を前に、ビラに書いてあったことは本当であったのだと実感したと言うのである。

もちろん、泣く子もだまると言えば大げさかもしれないが、時の権力者GHQの聞き取りである。権力者にすり寄るのはいずれの時代も同じ、そこにGHQに対して媚びへつらう気持ちがなかったとは言えない。

1946年7月、東京都心で行われた米独立記念日の祝賀パレード(Photo by gettyimages)

ただし、GHQが抜き打ちで行っていた手紙の検閲報告書では、占領開始直後の1945年12月には、GHQに関して触れた手紙の9割以上が好意的であったことが報告されている。また、この当時の個人の日記を読んでいると、しばしば占領軍に対する好意的な記述がみられる。

こうしたことから、少なくとも多くの国民にとって、軍部が台頭していた戦前の政治よりも、占領下のほうがマシであり、信頼感があったことは間違いないであろう。その信頼の背景に、ビラに真実が書かれていたことがあったのである。

もう一つ、ビラの影響として注目すべきは、内大臣として天皇に仕えた木戸幸一の発言である。木戸は、天皇が終戦を決意した理由の一つには、国民が米軍のビラによって真の戦闘状況を知っていることにより、終戦を容易に受け入れてくれると判断したことがあったと答えている。

それが終戦の決断の大きな理由ではないにせよ、米軍のビラ投下がなく、国民が真実を知る機会がなければ、終戦の決断が遅れていたかもしれない。




2018.03.13

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賀茂 道子 

そして「ウォー・ギルト・プログラム」へ

終戦後、対日心理作戦に就いていたメンバーは、GHQ民間情報教育局で、メディアを利用した情報教育政策に携わることになった。情報教育政策とは、具体的には、日本国民から軍国主義思想を排除し、民主主義への理解を深めるための情報発信を行う政策である。

占領開始当初、民間情報教育局が最も力を入れていた情報教育政策は「ウォー・ギルト・プログラム」であった。

「ウォー・ギルト・プログラム」と言っても、これまた大半の人には馴染みが薄いものであろう。「ウォー・ギルト」は、日本語に訳せば「戦争の有罪性」ということにでもなろうが、非常に日本語に訳しにくい言葉である。逆に言えば、日本では、こうした概念がないということにもなる。

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このプログラムは、占領開始当初、「無条件降伏」の解釈の違いから日本が占領管理体制をめぐって抵抗を試みたことに加え、日本軍が行った残虐行為が報道されていないことなどから開始されたものである。

平たく言えば、「日本は敗けたのに反省していない」と米側が捉えたことで開始された。近隣諸国との間に昨今起こっている歴史認識問題に関連して、「GHQによって歴史観を受け付けられた」と主張する人々が、その根拠としているプログラムでもある。

詳細についてはまた別の機会に譲ることにするが、このプログラムの企画立案は冒頭でも述べたように、対日心理作戦に従事していたブラッドフォード・スミスによって行われ、それを遂行したメンバーもすべて心理作戦メンバーであった。そのため、対日心理作戦で得られた様々な経験が反映されていた。

たとえば、プログラムでは日本軍が犯した残虐行為の暴露に力を入れていたが、その残虐行為とは、敵や占領地住民に対して行われただけでなく、傷ついた兵士を見捨てたことや下級兵士に自決を強要したこと、さらには残虐行為を行ったことで、国際社会での日本の評価を落としたことなども含め、日本人に対する罪でもあるとされていた。これは、対日心理作戦で議論されていたことを、そのまま引き継いだものである。

東京裁判(Photo by gettyimages)

占領政策は「押しつけ」だったか?

対日占領政策の最重要課題は、米国の安全保障上の目的、すなわち日本を二度と米国および世界の脅威とならない国に作り替えるという政治目的を達成することであった。

しかしながら、その目的に反しない限り、政策には、GHQメンバーの理想の民主主義国家を作るという理念や思想、さらにはそれまでの個人の経験などが反映された。

それは「ウォー・ギルト・プログラム」に反映された「日本人に対する罪」だけではない。憲法第24条の「結婚は両性の合意のみに基づいて行われる」との条項は、弱冠22歳であったGHQ民政局員ベアテ・シロタの強い希望で入れられた。

少女時代を日本で過ごしたシロタは、子供のころに見聞きした日本女性の境遇に心を痛めており、憲法にこの条項を入れることを強く望んでいた。なお、ベアテ・シロタも、戦時中には、対日心理作戦に関わっており、ラジオでのプロパガンダ放送の台本を作成していた。

米国の日本占領は、最も成功した占領と言われる一方で、憲法に見られるように、しばしば「押し付け」との評価が付きまとう。しかしながら、占領に対する評価は別として、少なくとも国民の多くにとっては、占領政策は歓迎すべきものであった。

なぜなら、占領改革は権力者ではなく、国民の大半を占める、農民、女性、労働者に向けられていたからである。そして、それを支えたのが、対日心理作戦で培われた日本人研究であり、対日心理作戦から続く、軍国主義者と国民・天皇を分断する方針であった。

戦後70年以上が経過し、憲法に代表される占領期に確立された戦後レジームの見直しが行われようとしている現在、占領を善玉・悪玉史観のような一元的な捉え方ではなく、対日心理作戦からの連続性との視点も取り入れて再検討することが、求められているのではないだろうか。

参考文献:土屋礼子『対日宣伝ビラが語る太平洋戦争』吉川弘文館、2011年

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