為什麼中國在漫長的歷史中沒有吞併朝鮮半島?
地政学的には、この問題は簡単に解ける。一言で言うと、古代の中原王朝の支配力が朝鮮半島に届かなかったからです。
(論証過程を見たくなければ、一番下の結論を直接見てください。下手な日本語をお許しください)
実は、中原王朝、特に清王朝は朝鮮半島を中央政権の直接管轄下に入れる能力があった。17世紀の初め、清王朝が中原を占領する前に、2回軍隊を派遣して朝鮮を占領したことがある。
しかし、最後は撤退を選んだ。
さて、清王朝はなぜ最終的に朝鮮に対する直轄統治を放棄し、藩属国のような間接統治を取ったのでしょうか?
やはり地理的要因で、古代中原王朝の根本的利益は華北一帯にあり、中華文化の影響も華北を中心に周囲に広がっていたものだ。だから、中原から遠い地域ほど中央政府に支配されにくくなる。
例えば、漢王朝は領土が非常に広かったが、実効支配の領土は多くなかった。漢王朝はかつて新疆地区に都護府という管理機構を設置した。しかし実際には、漢軍が撤退すると、新疆地区は再び独立したり占領されたりした。距離が遠すぎて行軍補給が困難なため、遠くの地域をコントロールすることも困難である。
千年以上後、明朝になっても、周辺の少数民族地区に対して間接的な支配しか行わなかった。例えば、西南地区の少数民族の首領は名目上明王朝に臣従しただけである。
本当に多くの周辺地域への直接統治を実現した政権は、元朝と清朝だけだった。
その理由は、農耕政権が平野部にしか興味がなかった。何故なら、辺境地区を支配するには大量の兵力と財力が必要だが、相応の税収を得ることができないから。
一方、周辺の非中原地域は農業生産の条件が整っておらなかった。通常、農耕政権は彼らに対して、トラブルを起こさず、反乱を起こさず、お土産を持って定時に会いに来ればよかった。中央政府は直接管轄する機関さえ設置せず、税金さえ徴収しないという態度をとっていた。
しかし、遊牧民政権である元朝と清朝は非農業の土地にも興味があるので、拡張が好きだった。
中国の辺境地区に対する支配は元朝から始まったことである。それまで、朝鮮半島はおろか、中国は東北(満州)まで直接コントロールできなかった。東北(満州)を初めて深く支配した政権は東北地方で生まれた清王朝である。
東北(満州)を支配できなければ、朝鮮半島を真に支配することもできない。
中原王朝が東北を統一しなかったのは、古代の生産力の下で、東北が中原から離れて、農業発展にも適さなかったから。中原王朝にとって、大量の軍事費をかけて無駄な領土を支配するのは愚かなことであろう。
隋王朝の皇帝はかつて東北を支配しようとし、三度出兵して高句麗を攻撃した。しかし、戦略目標を達成しなかっただけでなく、経済崩壊と王朝の破滅を招いた。
だから、長い歴史がある中でも、中原王朝は朝鮮半島はおろか、東北(満州)さえも併合できなかった。
朝鮮半島を支配する能力のある明王朝と清王朝は朝鮮半島を支配したくなかった。何故なら、大量の兵力と財力を使って農業生産に適さない地域を支配するのは割に合わないから。
近現代になると、中国は朝鮮半島を支配しようとしても不可能になる。遅れていた中国は日本に勝って、朝鮮半島の支配権を得ることができなかった。
現在、韓国はアメリカの勢力範囲になっている。
H・N・アレン(申福龍訳)『朝鮮見聞記』集文堂,1999.[初出=1908年]「朝鮮は国土が狭い小国だが、悠久な文化を持っている。この点で朝鮮は日本の師匠である。(p. 53)」
H・B・ハルバート(岡田丈夫訳)『朝鮮滅亡-古き朝鮮の終幕』太平出版社,1973. [初出=1906年]「そして高句麗が百万の中国軍を撃退することはできたとしても、日本の神功皇后がはるかに先進文明をもつ朝鮮半島の全部を征服したなどとは、到底思えない。新羅は比較的高度の文明の中心であって、朝鮮側の史料は、日本におよぼした朝鮮からの影響をほとんど伝えていないけれども、逆に日本側の文献は、進んだ思想や文明の影響が、海峡を越えて日本列島に絶えず流れこんできたことを示している。(上巻, p. 105)西暦五世紀当時、朝鮮は高度の文明に達しており、半ば未開の日本の諸種族に、文化への最初の刺戟を与えた文明の宝庫であった。(上巻, p. 17)」
G・W・ギルモア(申福龍訳)『ソウル風物誌』集文堂,1999.「陶磁器を作る方法を日本に教えた人々が日本に強制で拉致されて行き、もはや朝鮮では陶器が失われた芸術となっている事実を記憶することは、朝鮮人としてはきわめて憤痛が爆発することである。(p. 166)グリフィス (E. Griffis) 博士がその著書『隠者の国・朝鮮』で指摘したところによると、朝鮮半島に対する日本の最後の侵略は、朝鮮の産業と芸術を死滅させ、この地に日本の芸術を復活させたという。日本人たちは撤収するとき、彼らが学ぶことができるすべての技術者たちを連れて行ったため、日本では産業と芸術の生産が復興した反面、朝鮮ではそれらすべてが消え去った。(p. 164)」
岡百合子『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』平凡社ライブラリー「金属活字のつくりかたは、まず木枠をつくり、その中に鋳造用の砂をかため、これに木の活字をおしつけて鋳型をつくる。そこにとかした金属をそそぎ、かたまったのをひきだして形をととのえた。このような金属活字の製造は、少なくとも13世紀には始まったようで、ヨーロッパの金属活字発明より200年も先立つものであった。金属活字の発明は、中国、日本など周辺諸国にも大きな影響を与えた。日本は室町時代、朝鮮に使いを送るたび、大蔵経や書物をねだっていたが、16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、多くの活字と本、それに印刷の技術者を略奪してつれ帰っている。悲しいことだが、それによりはじめて、日本でも多くの本を印刷することができるようになったのである。(p.116) 」
鉱物資源の豊富な「北朝鮮」の価値を見出だしたのは日本だが、朝鮮そのものの価値は、再三に渡って朝鮮は日本に文明を教えてやったのに、倭・高句麗戦争の頃から侵略ばかりでとうとう朝鮮出兵で陶工から金属活字まで根こそぎ文明・文化を奪い尽くしたと、第三者の欧米人から、当の日本人までもが指摘しちゃうほどの文明強盗をし尽くした時に無くなりましたよwww
なんせ欧米人から「産業と芸術の全てが消え去った」と言わしめるほどのことをやらかしたんだから、そら釈迦やイエス・キリストですらも、真面目に「国を富ませよう」なんて考えられなくなるよ…だって国が富んじゃうと隣人の血をお騒がせしちゃうんだもんwww
H・N・アレン(申福龍訳)『朝鮮見聞記』集文堂,1999.[初出=1908年]「朝鮮は国土が狭い小国だが、悠久な文化を持っている。この点で朝鮮は日本の師匠である。(p. 53)」
H・B・ハルバート(岡田丈夫訳)『朝鮮滅亡-古き朝鮮の終幕』太平出版社,1973. [初出=1906年]「そして高句麗が百万の中国軍を撃退することはできたとしても、日本の神功皇后がはるかに先進文明をもつ朝鮮半島の全部を征服したなどとは、到底思えない。新羅は比較的高度の文明の中心であって、朝鮮側の史料は、日本におよぼした朝鮮からの影響をほとんど伝えていないけれども、逆に日本側の文献は、進んだ思想や文明の影響が、海峡を越えて日本列島に絶えず流れこんできたことを示している。(上巻, p. 105)西暦五世紀当時、朝鮮は高度の文明に達しており、半ば未開の日本の諸種族に、文化への最初の刺戟を与えた文明の宝庫であった。(上巻, p. 17)」
G・W・ギルモア(申福龍訳)『ソウル風物誌』集文堂,1999.「陶磁器を作る方法を日本に教えた人々が日本に強制で拉致されて行き、もはや朝鮮では陶器が失われた芸術となっている事実を記憶することは、朝鮮人としてはきわめて憤痛が爆発することである。(p. 166)グリフィス (E. Griffis) 博士がその著書『隠者の国・朝鮮』で指摘したところによると、朝鮮半島に対する日本の最後の侵略は、朝鮮の産業と芸術を死滅させ、この地に日本の芸術を復活させたという。日本人たちは撤収するとき、彼らが学ぶことができるすべての技術者たちを連れて行ったため、日本では産業と芸術の生産が復興した反面、朝鮮ではそれらすべてが消え去った。(p. 164)」
岡百合子『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』平凡社ライブラリー「金属活字のつくりかたは、まず木枠をつくり、その中に鋳造用の砂をかため、これに木の活字をおしつけて鋳型をつくる。そこにとかした金属をそそぎ、かたまったのをひきだして形をととのえた。このような金属活字の製造は、少なくとも13世紀には始まったようで、ヨーロッパの金属活字発明より200年も先立つものであった。金属活字の発明は、中国、日本など周辺諸国にも大きな影響を与えた。日本は室町時代、朝鮮に使いを送るたび、大蔵経や書物をねだっていたが、16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、多くの活字と本、それに印刷の技術者を略奪してつれ帰っている。悲しいことだが、それによりはじめて、日本でも多くの本を印刷することができるようになったのである。(p.116) 」
倭れ倭れの先祖はそんな未開なトコから、再三に渡って朝鮮は日本に文明を教えてやったのに、倭・高句麗戦争の頃から侵略ばかりでとうとう朝鮮出兵で陶工から金属活字まで根こそぎ文明・文化を奪い尽くしたと、第三者の欧米人から、当の日本人までもが指摘しちゃうほどの文明強盗常習犯だったのか…

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