1925年后,日本为何倾向于军国主义?这可能吗?
因素有很多,但“民主化”是不常被谈论的因素之一。
例如,由于日俄战争之前的战争是在“民主化”还没有那么进展的时期进行的,所以当时的政府能够在适当的时候克服公众对日俄战争的反对,实现和平。(虽然舆论引发骚乱,最终导致桂内阁下台。)
但满洲事变、抗日战争、太平洋战争之后,“民主化”取得了一定进展,政府再也无法无视反对中美英的强硬民意,也无法确定何时退出。
军方也开始掩盖可能受到舆论批评的战略和战术失败。
另一个因素是,第一次世界大战期间,日本拒绝了英国以英日同盟为基础向欧洲前线派遣军队的要求,最大限度地减少了士兵的伤亡。
此外,由于以最小的牺牲获得了德国山东省和南海诸岛的租界,以及战争的“渔民利润”的“大正泡沫”,许多日本人开始认为战争很美味(有利可图)。
有很多方面,但我想重点讨论我不记得“讨论”的方面。
日本的议会民主有很强的模仿西方“假装”的一面。在欧洲国家,公民请愿争取权利,有时涉及暴力,作为回应,议会民主得到了扩大。
此外,由于人民没有主权,他们没有形成对国家未来负责的意愿。
因此:
- 利用杂志等手段吸引公众注意力的戏剧政治变得猖獗。普选扩大的选民不是主权者,没有最终决策权,也没有受过政治教育。我对政策辩论不太感兴趣,但我喜欢丑闻。第一个戏剧案件是“牧列事件”。“叫做。据说,叛国罪事件牵涉到一名韩国无政府主义者和同居妻子之间的悲惨爱情。
- 当一个政党陷入困境时,外部就会做出调整。这才是宪政的常态叫做。看似原本是指两党制下的政府更迭,但在日本却被简化为“一党失败,另一党接替”。然后,“那就找对方失败也没关系”的理解就诞生了,彼此的拖累加速。如果骚乱加剧,就到外面
1925年,所有25岁以上的男性都获得了选举权。
有这样一幅漫画。
政治上,明治维新后,皇室、贵族、萨摩、长州的政治造成制度疲劳,政党政治得到加强。但这只是众议院,而贵族院仍然由贵族组成。
军事人员有陆军部和海军部,他们有可能成为总理。宰相的更换是依据圣旨(皇帝的命令),但皇帝实际上并没有做出决定,而是由贵族中有影响力的成员提出提案,皇帝签署了提案,圣旨就生效了。
各种各样的人通过普选当选为众议院议员。不过,军人的比例却在逐渐上升。
在这种情况下,陆军大臣和海军大臣的权力变得更强,本来可以起到威慑作用的贵族院却失去了常任任期的政治利益。
由于关东大地震和大萧条造成的经济持续衰退,失业率超过15%,许多人生活在远远超出今天的贫困之中。
其中,入侵中国是由国会决定、天皇签署的,作为解决国内资源短缺和高失业率的手段。
随着时间的推移,随着军队力量的增强,最初的目标(减少资源短缺和失业率)被遗忘,人们相信军队通过媒体带来公众情绪,对大国的不公平干涉发动战争。
- 産業革命果たしてないのに列強なので、他の列強と肩並べるのに実に軍事費GNP40%
- 日露戦争後でも無理させているので、民衆は軍に期待する。世界に立ち位置わからずにタカ派な民衆、ハト派な軍という構図が長く続いた
- 報道が根付かず、江戸時代の意識で国民にされた読者は民主度低いまままともな記事は売れず、忠勇無双という阿呆な記事のほうが売れた
- 知識層が中途半端。民権運動も「政府は敵」という無政府主義が基本で現実と乖離しすぎ
- 維新の英雄が死んじゃって、薩長閥が力を失う。その後は薩長閥であろうがなかろうが政治家二流。おらが町に駅作る議員が当選する世界
そんな国際情勢と軍と民衆が乖離した世界で、満洲に野望溢れる連中が、鉄道警備隊という微妙なシビリアンコントロールが効かない場所に集まって、まともな軍や政府を罵倒し、惰弱と罵る野望溢れる自称エリートと左翼が集まり、それがまともな軍を駆逐し始めて226や515、その後ハト派だった軍は民衆に迎合してタカ派に。
結構まともだった陸軍が三流と評されたのは、海軍が早々と民衆に迎合したから。(ある意味、シビリアンコントロールが効いているとも言える)残った陸軍が悪役になる。普通にアメリカ資本入れたら満洲発展したろうに、そんなこと言うと国民と海軍と関東軍から罵倒の嵐。下手すりゃ暗殺。罵倒されても信念貫く陸軍大臣と、突っ張った欲の皮を愛国心にすり替えて「国を憂う〜」どこぞの現代の政治
軍国主義の定義によりますが、仮に軍人が首相になることを指すのであれば、軍人ではない人が首相になると殺されるというのが頻発したので、軍人のテロが軍国主義を招いたのであると言えるでしょう。
また、国力の軍事力への集中が軍国主義であると定義する場合、近衛文麿の国家総動員体制によって全体主義的政策を推進できるようになりましたから、ファシズムによって軍国主義になったと説明することもできるでしょう。
そして予算の配分が軍事費に大きく傾いている状態を軍国主義であると定義するのであれば、終戦前の日本では戦争のための予算は基本的に日本銀行が国債を引き受けて捻出しており、太平洋戦争末期になると一般予算の何倍もの日銀が引き受ける軍事特別会計が議会で要求されており、これは明らかな軍国主義的予算でしたから、予算システムが軍国主義を可能したと言えるでしょう。
日本が世界レベルで軍国主義になったのは、 古くは鉄砲伝来(すぐに世界一の鉄砲保有国になったと言われています) 国家全体でというと、明治維新以降です。
何故?は、名目上、アジアで植民地化される国がほとんどだった時代に、日本は主権を守れると判断し、そのためにはエネルギー+資源を確保+アジア全体を列強から守り別の経済圏を作る、という使命みたいなものをあげていました。 これは日本には筋が通ってますが、当然列強には許せませんし、イギリスにはへいこら頭を下げていた近隣諸国は、日本は鬼だ、みたいに徹底抗戦しました。どうせ負けるなら、アジアで団結しろよ、ってのが日本の立場みたいに理解していただくと良いかと思います。
これは建前であり、素晴らしい日本的な説明です。
しかし現実は、 日本も踊らされていた=結果論ですが、陰謀論というノーテンキさんもいます。=部分が大きいのです。
戦後の復興が早かったのも、高度経済成長でJAPAN AS NO1とまで呼ばれるようになったのも、やはり 列強とその背後の資金で動かされていた部分がおおきいです。
<<<ご質問の 何故可能だったか? のお答えがまさに、この金融的な流れと構造です。 わかりにくいですが、超簡単に言うと 所詮 戦争は戦ってる人たちは儲かりません。 どっちが勝っても儲ける人は限られてて、戦争の外にいるのです。
近衛文麿にも* 内閣にも コミンテルン*を通して投資がさ
今の日本は軍国主義ではないし、少なくともこれからも軍国主義になることはないです。
軍国主義ってすっごくわかりやすい例で言えば今の北朝鮮のような先軍政治のことです。北朝鮮は、特に金正日時代は先軍政治と称して、最高指導者が大元帥であり、国防委員長が国政を差配し、閣僚は軍人ばかりと軍ありきの政治をしていました。これは紛れもなく軍国主義です。
ちょっと右派的な政権が出ればすぐ軍国主義だって言い出す人が多いのでもう少し詳しく説明しましょう。
上の写真は1937年に成立した第1次近衛内閣です。みんなスーツを着てますが中段に軍服の人が2人いますね。あの人は陸軍大臣で軍人です。当時は陸海軍の大臣は現役の軍人でなければいけなかった(軍部大臣現役武官制)ので彼らが入閣しています。その他のスーツの人たちは特に規定はないので国会議員、官僚などの文民です。
そしてこちらが1940年の第3次近衛内閣です。軍服が5人に増えましたね。スーツを着ている人もそのうち3人が予備役軍人です。17人中8人が軍人なのです。
そしてこれが1941年の東條内閣です。20ある大臣ポストの内10個のポストが軍人です。首相が軍人で陸軍大臣、外務大臣、内務大臣などの重要ポストも兼任していました。
なんでこうなってしまったのかというと、先程申し上げましたが陸海軍の大臣は現役の軍人でなければならないという決まりがあったからです。理由はちょっとかなり長く
アメリカはアメリカ人のために国でしょう?メキシコ人やカナダ人のための国ですか?
韓国は韓国人のための国でしょう?中国人や日本人のための国ですか?
中国は中国人のための国でしょう?韓国人や日本人のための国ですか?
私は日本は日本人のための国であるべきと思っています。
中国人や韓国人のための国ではありません。
アメリカ人のための国でもありません。
それが普通だと思いますが。
E・トッドが「帝国以後」で述べているアメリカの劇場型軍国主義は、三つの本質的要素を含んでいます。以下、斜体部は「帝国以後」より引用。
①問題を決して最終的に解決しないこと。これは地球規模の「唯一の超大国」の際限ない軍事行動を正当化するためである。
②イラン、イラク、北朝鮮、キューバ等の小国を目標に定めること。政治的に世界の中心に留まる唯一の方法とは、二流の行為者と「対決」し、アメリカの国力を誇示することである。それはアメリカ合衆国とともに世界の統制を分担するよう求められている主要大国、つまりヨーロッパ、日本、そして中期的にはロシア、長期的には中国が、自覚に至るのを妨げる、とまでは無理としても、せめて遅らせるために他ならない。
③決して終わるはずのない軍備拡張競争の中でアメリカ合衆国を「ダントツ」にすると想定される新兵器を開発すること。
なるほど、未だに世界各地の紛争が解決しないのは、故意にそうしているから。ウクライナ紛争でも、本来は随分前に開発されたFGM-148対戦車ミサイルやM777榴弾砲、M2ブラッドレー歩兵戦闘車、M142高機動ロケット砲、F-16戦闘機をやたら革新的兵器としてアピールしたがるのは③の流れだったんですね。
「軍部が暴走した」ということになっていますが、これは正確では有りません。
「軍部」が「軍上層部」を指すなら、上層部は常に戦争を止めたがっていました。彼我の実力差は国内の誰より把握していましたし、死ぬのはもっぱら部下や同僚や自分、しばしば息子や親族・姻族なのです。
暴走したのは、まず
1・国民とマスメディア(日露戦争以来の負担と貧困への不満)
次に
2・政治家(国民の人気狙い)
最後に
3・青年将校や中級幕僚(政治家への不満と国民感情の代弁)
です。
そして、軍の最高責任者たる人物は、戦争中期以降の第三帝国総統と同じく、軍上層部を飛び越してかなり細かいところまで軍の行動に口を出して管理・監督しており、軍上層部にはこれを止める権限は与えられておりませんでした(もちろん、戦争を始める権限も、やめる権限も有りません)。
軍上層部は、ドイツにおけるナチス党と同じく、国民全体と上司の責任を背負い込まされたと言うべきでしょう。

思いつく限りで一番長いのは、白村江の戦いと元寇の間の約600年間でしょうか。
日本ほど国家間戦争を行った経験が極端に少ない国は、世界史を色々調べてもちょっと見当たりません。何しろ、白村江の戦いから近代までの約1300年強の間で、元寇と朝鮮出兵のわずか2回ですからね。自国が侵攻された経験だけで見れば、歴史上わずか1回という世界でも類を見ない異様な国です。
また、内戦含めて戦争がなかったということであれば、島原の乱から戊辰戦争までの約230年間ですね。

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