二戦の終結前夜、日本はソ連を選んで休戦交渉を行い、ソ連が中立であることを期待した。なぜ、日本はソ連に対してそのような馬鹿な見方をしたのだろうか?


Japonymousさんのプロフィール写真
 · 
フォロー

左がスウェーデン大使・岡本季正、右がスウェーデン駐在武官・小野寺信

小野寺の妻は那須与一の末裔で、更に辿ると藤原道長に繋がり王室に近い事から、スウェーデン王室からは大使よりも親近感を持たれていた。

小野寺は早くからソ連参戦の情報を掴んでおり、スウェーデン王室を通じて英王室に働きかけ、和平工作に協力してもらおうとしていたが、勝手な動きを上司の岡本が気に食わず、外務省や軍部に何度も愚痴の電報を送って邪魔させることに。

また、元駐日スウェーデン大使と近衛文麿の間でもイギリス仲介が画策されていたが、停戦自体が気に食わなかった東條と対立。

東條は226事件の時、満州に在り、反ソの皇道派を逮捕して昇進してるが親ソでなく継戦派であり、全てに於いて見通しが甘い人間だった。

これを首相に就けた木戸幸一も似たタイプで、継戦かソ連があるぐらいに思って機を逃す。

1942年のミッドウェー海戦の段階で英大使の吉田茂からも近衛文麿にイギリスによる停戦の打診があった件も東條や木戸が潰していた。

後を継いだ小磯の時に冒頭の画策があったが、直ぐに退陣。昭和天皇のお気に入りという事だけで首相に就任した鈴木貫太郎は政治に疎く、国際情勢も良く分かってなかった上に、引き継げておらず、打ち合わせのためにわざわざ来日した元大使を追い返す事に。

海軍大臣・米内光政は日独伊三国同盟よりロシアと組めと言った程の親ソ派だったし、政府や大本営が停戦を渋ってイギリス仲介のチャンスを逃した結果、ソ連があるさ…がソ連しかないになり、日ソ中立条約更新を拒否されながらも未だ有効という甘い見通しと、ソ連がポツダム宣言に署名していなかった事を良い方に誤解してしまった。

スターリンはポツダム会談で打診があった事を一応トルーマンに伝えているが、
脈があるフリをして日本に大人しくさせておくよう返事している。

鈴木貫太郎はポツダム宣言に対しノーコメントとわざわざ発表したのを拒絶と取られる罠にはめられ、原爆投下の口実に。

【東京の失態が酷すぎるのでまとめ】

1. 1623~1854、江戸幕府の鎖国のせいで、ロシアのシベリア征服に何もできなかった。

2. 1891年、東京人が大津事件を起こしてロシアを反日化した。

3. 1936年、東京で226事件がなければ反ソの皇道派が陸軍を牛耳り、中国でなくソ連の横槍を突き、1941年の独ソ戦を優位にできてたのに、無謀な反乱を起こして反ソ派は消え、中国との無意味な泥沼に。この事を甘い東京政府は「ソ連は恩義に感じている筈」と誤算してたのもソ連打診に繋がるわけです。今、ウクライナの件で恩義に感じる筈ってのと同じ甘さです。

4. 1944~5年、冒頭で述べた様に、スウェーデン経由でイギリスに仲介してもらうチャンスを凡庸な東京政府や省庁の指示で何度も潰した。

5. 1945年8月、占守島(赤い点)の戦いで勝ってる第91師団に武装解除して降伏しろと東京政府が指示して北方領土を全部プレゼント。

東京は一体いくつ失態をやらかしてるんでしょうかね…。

一極集中に都合が悪い切り口の番組をキー局は絶対作らないから、誰も知らないまま無かったことにする気でしょうが、正に獅子身中の虫。


在两场战争结束的前夕,日本选择苏联进行停战谈判,并希望苏联保持中立。为什么日本会对苏联采取如此愚蠢的看法?

左边的是瑞典大使冈本正,右边的是瑞典常驻军事官员小野寺诚。



小野寺的妻子是那须洋一的后裔,而那须洋一又被进一步追溯到藤原道长,与皇室关系更密切,所以瑞典皇室觉得他比大使更亲近。


小野寺很早就掌握了苏联参战的信息,并试图通过瑞典皇室接近英国皇室,让他们在和平行动中合作,但他的上司冈本对他的武断举动很不满意,多次发电报向外务省和军方抱怨,迫使他们进行干预。


前瑞典驻日本大使和近卫文麿之间也计划进行英国调停,但他与东条不和,不喜欢停火本身。


226事件发生时,东条在满洲里,在逮捕了反苏帝国主义分子后得到了晋升,但他不是亲苏的,而是亲继承的,是一个对所有事情都抱有天真看法的人。


把他送进首相办公室的木户幸一也是类似的类型,认为要么继续战争,要么就是苏联,结果错过了机会。


东条和木户还压下了英国大使吉田茂向近卫文麿提出的在1942年中途岛战役中英国停火的建议。


小矶继任时,在战争初期有一个计划,但他立即辞职了。铃木康太郎仅仅因为是昭和天皇的宠臣而成为首相,他不熟悉政治,对国际事务不甚了解,无法接过政府的大权。


海军大臣米内三政亲苏,以至于他建议日本与俄国联手而不是三方条约,由于政府和皇室不愿意停火,错过了与英国调停的机会,苏联成了唯一的选择......而苏日中立条约尽管被拒绝续签,但仍然有效,这是一种天真的展望,苏联拒绝接受《波茨坦公告》。和苏联没有签署《波茨坦公告》被误解为好的。


斯大林确实顺便告诉杜鲁门,有人在波茨坦会谈中与他接触、

斯大林的回应是假装有脉络,让日本保持沉默。



铃木康太郎故意宣布不对《波茨坦公告》发表评论,被认为是对公告的拒绝,并被用作原子弹爆炸的借口。



东京的失误太多,所以我们总结了一下。


1. 1623-1854年,由于江户幕府的孤立无援,对俄国征服西伯利亚的行为无能为力。


2. 1891年,东京人制造了大津事件,使俄国反攻日本。



3. 1936年,如果不是东京的226事件,反苏帝国主义会控制军队,以苏联而不是中国为先锋,并在1941年的对德对苏战争中占据上风,但反苏派在一次鲁莽的叛乱后消失了,留下一个毫无意义的与中国的僵局。天真的东京政府误判了这一点,说苏联人一定觉得对他们有亏欠,这也导致了苏联的罢工。现在说他们应该为乌克兰感到亏欠苏联的也是这种天真。



4.在1944~5年,正如本文开头提到的,让英国人通过瑞典进行调停的机会一再被平庸的东京政府和部委的指示破坏。


5. 1945年8月,东京政府指示在乌石岛(红点)战役中获胜的第91师团解除武装并投降,并将所有北方领土作为礼物送给他们。



东京犯了多少个错误......?


关键的电视台永远不会制作出对单极化不方便的切入点的节目,所以他们可能会在没有人知道的情况下假装它从未发生,但他们确实是问题的大头。

留言

這個網誌中的熱門文章

北越故事:童年、從軍、戰場、戰後、晚年【平民眼中的戰爭:從香蕉湯到尿袋人生】

投稿:戰爭不是劇本:從香蕉湯到尿袋人生