《战败在1941年的夏天》猪濑直树

【人事部部长100本教育书籍】
井濑直树

人事经理教育100标志
1941年夏战败(封面)

《战败在1941年的夏天》猪濑直树

基本信息

第一版1983年
出版商中央公论新社
难度★★☆☆☆
推荐★★★★★
页数283页
所需时间 3 小时 00 分钟

什么样的书?

首相直属的“全面战争研究所”在模拟对英、对美战争中得出日本必败的结论,为何日本还要开战?一部主要描述战争开始前六个月的纪实作品。

这是一本薄薄的平装书,所以你可以一口气读完。它生动地描绘了年轻精英官僚之间的激烈冲突以及日本做出错误决策的过程,暴露了日本组织的结构性缺陷。作者是前东京都知事猪濑直树。一本简单有趣的书。

作者想说什么

在日本政府做出开战决定的同时,政府得出了日本必败的结论。并不是说日本人都是军国主义疯子,也不是只有军队在孤军奋战,更不是能力低下。

虽然该研究所的结论是准确的,因为它们是由没有任何关系的年轻研究人员得出的,但收到报告的内阁都是该组织的代表,没有人承担责任。

作者

肌糖肌糖直树直树 1946-

井濑直树
井濑直树

日本作家、前政治家。2002年,他成为四家与道路相关的公共公司私有化推进委员会的成员。他从 2012 年起担任东京都知事,但次年因医疗公司德洲会的资金问题而辞职。自 2022 年起成为参议院议员 (Nihon Ishin no Kai)。

推荐给这样的人

任何对组织的“决策制定”感兴趣的人。想深化思考体制机制对决策影响的。

书评

这是一本薄薄的平装书,所以您可以在咖啡馆里一次阅读。生动地描绘了年轻精英之间的激烈冲突和日本做出错误决定的过程,越来越吸引你。学习了不少。简单推荐。

井濑直树
(中华文库)

*受到各界名人的好评。一本非常有趣的书!

摘要/概要

■ 1940年10月,“全面战争研究所”成立,成为首相直属研究所。次年4月,35名青年官僚、军人、文职人员进入第一班。在首相久保田角一的带领下,研究生们组成了“模拟内阁”。

■模拟柜模拟“对英美战争”。1941 年 8 月,他向当时的第三次近卫内阁报告了以下结果。

1941年12月中旬进行奇袭,即使成功也有望首战告捷,但数量上处于劣势的日本并无胜机。战争是长期的,最后苏联参战,日本被打败。

因此,必须不惜一切代价避免日美爆发战争。

然而,近卫内阁并没有考虑到这一点。

■支持开战的陆军大臣东条英机于1941年10月就任首相。这据说是内政大臣木户浩一的一个逆转想法,基于对战争爆发不乐观的天皇的意图,他试图通过让东条英机避免战争爆发,对皇帝、丞相有绝对的看法。

果然,东条英机竭尽全力避免了战争的爆发,却在强硬派军队的逼迫下,于11月收到了美国的赫尔照会(全面撤出中国和法属印度支那等)。结果,日本与美国开战。

■ 可能发生战争的理由之一是“荷属印度尼西亚被武力夺取时的预期石油产量”。直到现在才被考虑在内。

■战争爆发后,荷属印度夺取的油田产量超预期,但运往日本的油轮却全部被美军击沉。这是“全面战争研究所”绘制的情景。

大东亚战争将按照全面战争研究所的预期进行,除了投下原子弹。

学习点

“沉没成本”的概念

大东亚战争前,美国以支持蒋介石政权的立场,要求日本“从中国撤军”。但是,军队并没有想到清算进满洲以来的“战利品”。

(目的概要)

时至今日回过头来看,日本政府当时的判断是死守满洲,与美国开战,导致祖国灭亡,这是错误的。然而,这只是结果。考虑到日本在满洲上花费了十多年的资源,这是显而易见的。

东条陆军大臣在一次内阁会议上发表声明,大意是“我为在中国大陆献出生命的宝贵灵魂感到遗憾。”

但是,中日日俄时代以来的二十万英灵,不管撤不撤满洲,都没有回来。我不得不冷静地想一想如果日本与美国开战会怎样。日本因此被美国打败,造成包括平民在内的310万人伤亡。这里应该是“理>情”。

在管理中可以找到类似的例子。比如超音速客机协和飞机的研制,就以“之前的投资会白费”为由继续研制,说250架就可以盈利,结果只制造了16架,惨不忍睹。

协和飞机
协和飞机

从经济上讲,这次“不撤满”是考虑了未来决策中本应排除的“沉没成本”。

“至上主义”明治宪法的制度缺失

从满洲事变到大东亚战争,皇军失控的原因之一被指出是“与最高统帅有关的体制缺陷”。

根据大日本帝国宪法,天皇拥有最高统帅权(=supreme command),陆海军大臣(预算、部队规模决定、部队编制等军事行政)以及陆海军总司令(军事行动等军事命令)都归其指挥。

简而言之,

(1) 内阁(陆军和海军大臣)没有陆军和海军的指挥权。

(2)由于天皇处于“在位而不为治”的地位,他从未行使过陆军和海军的统帅权。

因此,可以说是出现了让军方独行的结构缺陷。

(目的概要)

无论人力资源多么有才华,一个有特定目的的群体天生就会只针对那个特定目的(=部分优化),所以任何组织都可以看到大局。一个很好的例子就是必须创造一个有职能的职位( = 整体优化)

那为什么在甲午、日俄战争中军队没有单干呢?

当然,他在军事上缺乏经验,但明治政府拥有看大局的“元老”职位。此外,长辈是江户时代武士阶级的后裔,政治和军事没有区别,能够以全面优化为目标。

人们认为天皇的最高指挥权被认为是违背天皇意志和军方意志被滥用的。

关于元老制度是否最好存在一些争论,但这显然是一个制度缺陷,在大东亚战争之前(至少在政府内部)少数强硬的开战论点是允许不被注意。

不过,即便如此,大日本帝国宪法能否修改也很难问当时的日本民众,因为这是触及天皇权威的事情。既然如此,就应该“从大局着手”,但昭和军却没有这个能力。

教训是不要高估人的能力,可能的缺陷应该尽可能的被系统覆盖。

顺带一提,根据日本宪法,防卫省和自卫队是同一个组织,自然防卫大臣有权指挥自卫队。

部分和整体优化

如果今天要评价全面战争研究所,那就是它公开了从各部、各军、各连收集到的所有客观数据,并且看得一清二楚。

可以说是纵向分工的突破。

这也是一个局部优化和整体优化的故事。当时,陆军和海军都没有透露彼此的石油储备。我是否应该将其视为“旧日本人不好”?不,即使在今天的公司中,关于部分优化与整体优化的争论也没有穷尽。

即使大公司进军新企业,它们也常常失败。这可能是因为,比如给某个业务分配什么样的人力资源等决策是在全局背景下做出的,而业务本身必须基于局部优化来判断

例如,一家人寿保险公司进入了护理业务。护理业务需要适合护理业务的人力资源(=部分优化)。然而,按照世界惯例,据说不适合寿险行业的员工以降级(=整体优化)的形式从事护理业务。

在这种情况下,被降级的一方将没有动力。这个系统会工作吗?

另一方面,一个人的公司在新业务上取得成功是因为它追求的是纯粹从业务角度出发的局部优化。而之所以势头到了一定规模就停止了,是因为组织已经壮大了,需要做整体优化,但宪法依旧是一人之事。当然也有很多例外。

用“情”都解决不了,还靠“理”吗?

战争爆发的直接原因是石油供应的中断,而石油是如此重要的资源,他们不得不南下获取。

然而,在石油禁运之前的几个月,计划了荷属印度尼西亚的油田被武力夺取的情况下的预期石油生产和后续消费。根本没有风险管理

那些避免战争爆发的人基于日本的石油供应将在两年内耗尽的假设得出了结论。

亲战派与和平派之间一直持续到此的“主观”争论以仅仅四个人创造的“客观”数字告一段落,内阁一致决定开战。

每个人都因为它是一个“数字”而死守着它,而没有充分验证这个数字本身是否正确。

(目的概要)

这就是为什么说日本军事一流,战略三流的原因。地盘再怎么努力,如果所谓的企划部都这样,那整体的威力就体现不出来了。日本在军事战、外交战、信息战、经济战等方面都处于劣势。很难相信他们和甲午、日俄战争中的那些人是同一个种族。

很容易说明治人谦卑,而昭和人傲慢自卑。。

还有,在这种情况下,我应该称之为“数字”的神奇力量吗?当感性和定性理论不能得出结论时,人们倾向于依赖理性和定量理论。什么是“技能(才能)”和“人的力量(美德)”?如前所述,理性和定量理论是任何人都清楚的,并且作为判断标准极其容易理解。

但是,我们必须冷静判断原因本身是否正确。这一次,我计算的数字很草率,我做出了错误的决定。这些事情发生在工作和日常生活中。说起来容易,做起来真的很难。

如果你背着组织,你将无法做出冷静的决定

据说当时陆军大臣东条英机听到全面战争研究所“日本必败无疑”的评论如下。转载)。

前首相东条英机
前首相东条英机

我很欣赏你的研究努力,但这只是案头练习,真正的战争并不是你想的那样。

没想到日本帝国能打赢日俄战争。但是我们赢了。当时三大势力插手,帝国被迫翻身。

战争不会按计划进行。出乎意料的事情导致胜利。所以,即使你想的不是案头理论,也没有考虑到意外因素。

首先,这已经是一个合乎逻辑的失败,因为不知道“意外因素”是对日本有利还是对美国有利。如果美国发挥自己的优势,日本就会输。

另一件需要考虑的事情是东条机动大臣的职位。军队是反对从中国撤军的公开战争的支持者。不管他个人的看法如何,身为首领的东城只要表现出一丝和平积极分子的样子,就会遭到军队的攻击。

如果你背着一个组织,人们往往会坚持该组织得出的结论。这在商业中也很常见。

例如,A 分公司想斥资 1000 万日元改造一间旧办公室。为此,分行经理必须与总行会计部门负责人交谈。全体分行员工对分行经理寄予厚望。

但在考虑整体支出重点时,总会计师不能摇头。是A支部局部优化与会计经理整体优化的较量。分公司经理虽然了解全公司的情况,但肩负着分公司的期望,不能轻易退缩。还有面的问题。

最终,分行经理会给出强烈的意见。抵制分部经理会议……如果那样的话,那和陆军没什么区别。一个组织可能会说,“如果你背着组织,你将无法做出冷静的决定。”

来自人力资源经理的推文

知他知己,百战不殆吧?

大约 2500 年前,孙子说:

战前地图演习中胜算大的,在实战中也必胜,胜算低的不能胜。

对于那些完全没有获胜机会的人来说更是如此。因为我这样分析,胜负已经提前不言而喻了。

知道敌人的实际情况,也知道自己军队的实际情况。那么你就是打一百次也不会有危险。

尽管当时的日本已经意识到日美两国在工业、军事和资源实力上的差异,但还是陷入了一场无法取胜的战争。

即便是孙子,即使知道敌我军队的实际情况,也没有认为自己被打败了。当然,孙子的“开战五思(政、天、地、人、法)”并不包括“奇事”(东条英机所说)。

此外,孙子说:

如果按照兵法有一定的胜算,即使君主不让,你也可以打。

当根据战争原则没有胜利的希望时,即使您的君主坚持要您这样做,也不要战斗。

太平洋战争前,“领主”和“将军”有以下态度。

皇帝……我要避免战争。

海军……我想避免战争。短期决战。

军队……没有美国要求的从中国撤军。迄今为止,在中国大陆已经死去了许多灵体。为了战争!(不过,海军是对英美战争的主力,所以我们几乎没有转机。)

也就是说,虽然领主和幕府将军(海军,对英美战争的主力军)都不愿意开战,但还是一直开战到原子弹落下,尽管有短期决战是无望的。

孙子不以为然,“君将不欲战,战已始”。日本连2500年前提出的普世原则也没有付诸实践。

我认为这是一个让我们重新思考什么是学习以及学习历史意味着什么的事件。

责怪个人很容易。组织或制度是否存在问题?

责怪个人很容易。每当我读到有关大东亚战争的书时,总会让我想到“责任” 。

战争爆发时,首相东条英机明白天皇的意图,但站在陆军代言人的立场上却无法避免战争。

军方说:“美国要求从中国撤军,但考虑到我们前辈的牺牲,我们不能这样做。所以,我们别无选择,只能与美国作战。”换句话说,它只是想到了中国。

但真正与美国作战的是海军。而且海军不会说它可以“赢”或“输”与美国的战争。联合舰队司令官山本五十六只是含糊地说:“我会尽情地横冲直撞一年到一年半。”

山本五十六
山本五十六

这不能不归咎于个人,也不能不把重点放在组织和机制上。最大的问题是军方的强硬意见通过了。这根源于上文提到的至上主义问题。

虽然众说纷纭,但就我个人而言,如果思考大东亚战争爆发的原因,我认为大日本帝国宪法,特别是第11条,“天皇为陆军和海军。”我认为有必要回到

顺便说一句,山本五十六因以下两句话而闻名。

试试看,让他们听到,说出来,让他们听到
男人的训练

就连联合舰队总司令,也很难调动人心。感觉很熟悉。

此外,在政治正确的时代,“man's training”需要改为“human training”。. .

不被风卷走的艰难

每次读到描写日本如何参战的书,我都敏锐地意识到客观看待时代“氛围”(=根据自己的价值轴做出判断)的难度。。

在大东亚战争中,舆论和军队普遍赞成战争。政府也被它拖了后腿,冲进了一场日本“最聪明的人”(=最聪明的人)断定是“必败”的战争。

年轻人可能不知道,回头看泡沫经济,很不正常。大家都知道,土地和股票的价格不能不顾盈利而继续上涨

还有,在泡沫时代,能量饮料的广告用了一句流行的话,“你能战斗24小时吗?” 泡沫时代还没有“工作方式改革”这个词,周末加班加班并不是什么稀奇事(至少在白领中是这样)。这也是“Air”能做到的一招。

年轻人不知道 恢复。我们这一代(40 多岁)的每个人都知道这一点。

那么现在流行的是一种什么样的“氛围”呢?你怎么认为?

我个人认为目前的气氛是“少子化问题很危险,但没人真正关心”、“整个日本都落后于AI时代”、“大家太依赖SNS了” . 是。

井濑直树
(中华文库)

*受到各界名人的好评。一本非常有趣的书!

【人事部長の教養100冊】
「昭和16年夏の敗戦」猪瀬直樹

人事部長の教養100冊ロゴ
昭和16年夏の敗戦(表紙)

「昭和16年夏の敗戦」猪瀬直樹

基本情報

初版   1983年
出版社  中央公論新社
難易度  ★★☆☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 283ページ

どんな本?

首相直轄の「総力戦研究所」は対英米戦のシミュレーションで日本必敗を結論付けていたにもかかわらず、なぜ日本は戦争への道を進んでいったのか。主に開戦直前の半年を描き出すノンフィクション作品。

薄い文庫本なので、一気に読んでしまえる。若手エリート官僚同士の熱いぶつかり合いや、日本という国が誤った判断を下していく過程を生々しく描き出し、日本的組織の構造的欠陥を暴く。作者は元東京都知事の猪瀬直樹氏。シンプルに、面白い本。

著者が伝えたいこと

日本政府が開戦決定へと至ったプロセスと並行して、政府は日本必敗の結論を得ていた。日本人全員が軍国主義で頭がおかしかったわけでも、軍部だけが独走したわけでも、能力的に劣っていたわけでもない。

研究所の結論は若手がしがらみのない中で得たもので正確だった一方、報告を受けた内閣は全員が組織の代弁者であり、誰も責任を取ろうとしなかったのだ。

著者

猪瀬いのせ直樹なおき 1946-

猪瀬直樹
猪瀬直樹

日本の作家、元政治家。2002年に道路関係四公団民営化推進委員会委員に就任。2012年からは東京都知事を務めるが、医療法人徳洲会からの資金提供問題で翌年辞任。2022年より参議院議員(日本維新の会)。

こんな人におすすめ

組織の「意思決定」に関心のある人。制度や仕組みが意思決定に与える影響について考察を深めたい人。

書評

薄い文庫本なので、カフェあたりで一気に読んでしまえる。若手エリート同士の熱いぶつかり合いや、日本という国が誤った判断を下していく過程を生々しく描き出しており、どんどん引き込まれていく。学びも多い。シンプルに、オススメ。

猪瀬直樹
(中公文庫)

※各界著名人も絶賛。本当に面白い本!

要約・あらすじ

昭和15年(1940年)10月、内閣総理大臣直轄の研究所として「総力戦研究所」が発足。翌4月には若手官僚・軍人・民間人1期生35名が入所。窪田角一総理大臣を筆頭に研究生で「模擬内閣」を組織。

■模擬内閣は「対英米戦」をシミュレーション。昭和16年(1941年)8月、当時の第三次近衛内閣に次のような結果を報告。

昭和16年12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、結局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。

だから、日米開戦は何としても避けねばならない。

しかし、近衛内閣はこれを考慮に入れることはなかった。

■開戦派だった東條英機陸軍大臣は、1941年10月に首相になる。これは、内務大臣木戸幸一の逆転発想と言われており、開戦に積極的ではない天皇陛下の意向を踏まえ、陛下を絶対視する東條を首相にしてしまうことで、開戦を回避しようとした。

■東條は思惑通り開戦回避のために力を尽くすが、強硬派の陸軍に押されるとともに、11月にアメリカから通告されたハル・ノート(中国・仏領インドシナからの完全撤退等)もあり、結果的に日本はアメリカとの戦争に入っていく。

■開戦可能の根拠の一つとなった「オランダ領インドネシアを武力で奪った場合の期待石油産出量」は精緻なものではなく、例えば、総量は計算していたものの、内訳(ガソリン・重油等)までは考慮に入っていなかった。

■開戦後、蘭印で奪った油田は想定以上の産出量を記録するが、日本に石油を運搬するタンカーは軒並みアメリカ軍に沈没させられた。これは「総力戦研究所」の描いたシナリオ通りだった。

大東亜戦争は、原爆投下を除き、総力戦研究所の想定どおりに進んでいくことになる。

学びのポイント

「サンクコスト(埋没費用)」という考え方

大東亜戦争前、アメリカは蒋介石政権をバックアップする立場から、日本に「支邦撤兵」を要求していた。しかし陸軍は、満州進出以来の「戦果」を清算するなど考えられなかった。

(趣旨要約)

現代から振り返れば、満州に固執してアメリカと戦争に入り、本国を滅亡に導いた当時の日本政府の判断は誤っていたということになる。しかし、それはあくまで結果論。日本が10年以上、満州に費やした資源を考えると、引くに引けなかった。

東條陸軍大臣は「支那大陸で生命を捧げた尊い英霊に対し、申し訳が立たない」という趣旨の内容を閣議で発言している。

しかし、日清・日露以来の英霊20万人は、満州から撤退しようがしまいが、返ってこない。日本がアメリカと戦争した場合にどうなるか、を冷静に考えなければならなかった。結果、日本はアメリカに敗れ、民間人を含む310万人の犠牲者を出してしまった。ここは、「理性>感情」であるべきだった。

同じような例は経営の場面でも見られる。例えば超音速旅客機コンコルドは「これまでの投資が無駄になる」と言う理由で開発が続けられ、250機で採算ラインと言われていたところ、16機しか製造されない大失敗作だった。

コンコルド
コンコルド

この「満州からの不撤退」は、経済学的に言えば、本来除外しなければいけない「サンクコスト(埋没費用)」を未来に向けた意思決定において考慮してしまった事例、ということになる。

「統帥権」という明治憲法の制度欠陥

帝国陸軍が満州事変から大東亜戦争へと暴走した一つの理由として「統帥権にかかわる制度欠陥」が指摘される。

大日本帝国憲法では、軍隊を指揮監督する最大の権限(=統帥権)は天皇にあり、陸海大臣(予算・兵力量策定・部隊編成などの軍政)と陸海軍の長(作戦行動等の軍令)がその統帥下に含まれる。

つまり、

①内閣(陸海大臣)には陸海軍の指揮権がない

②天皇は「君臨すれども統治せず」という立場にあったため、陸海軍の指揮権を行使することはない

ことから、軍部の独走を許してしまう欠陥的構造があったと言える。

(趣旨要約)

どれだけ優秀な人材が揃っていたとしても、特定目的を持った集団は、生来的にその特定目的のみを志向する(=部分最適)ので、どのような組織であっても、大局を見るという機能を持ったポジション(=全体最適)を作らなければならない、という好例。

ではなぜ、日清・日露戦争期には軍部が独走しなかったのか。

もちろん軍事的に未熟だったということもあろうが、明治政府には、大局を見る「元老」というポジションがあった。加えて、その元老たちは政治と軍事が未分化だった江戸時代の武士階級の流れを汲んでおり、全体最適を志向することができた。

天皇の統帥権が、陛下の意向に反し、軍部の意向で乱用されるようなことも想定していたと思われる。

元老という制度がベストか否かには議論があるが、大東亜戦争前、(少なくとも政府内では)少数であった開戦強硬論がまかり通ってしまったことは、明らかに制度的欠陥である。

しかし、だからと言って、当時の日本人に大日本帝国憲法を改憲できたかと言えば、天皇の権限に触れる事柄であり、難しかったであろう。であれば、「大局に立った運用」をすべきであるが、昭和軍人にその能力はなかった。

「人の能力を過信してはいけない」「可能な限り、起こり得る不具合は制度で担保しておくべき」という教訓だろう。

ちなみに日本国憲法下においては、防衛省と自衛隊は同一組織で、当然ながら防衛大臣が自衛隊の指揮権を持っている。

部分最適と全体最適

総力戦研究所が今日評価されるとしたら、各省・各軍・各社から取り集められた客観的なデータを全てさらけ出して、事態を曇りない目で見抜いた点である。

それは縦割り行政の打破と言ってもよい。

これも部分最適と全体最適の話。当時は陸軍・海軍の間でも、お互いの石油備蓄量を明らかにしなかったという。これを「昔の日本人はダメだった」で片付けていいだろうか。いや、現代の企業においてすら、このような部分最適vs全体最適の議論は尽きていない。

大手企業が新規ベンチャーに進出しても失敗することが多い。これはどんな人材を当該事業に振り向けるかといった判断は全体の中でなされることに対し、事業そのものは部分最適で判断していかなければならないからだろう。

例えば、ある生命保険会社が介護事業に進出したという。介護事業には介護事業に向いた人材が必要だ(=部分最適)。しかし、世の中の常で、生命保険業で適性なしと言われた社員が左遷のような形で介護事業に従事する(=全体最適)。

この場合、左遷された側もモチベーションが上がらない。この仕組みは機能するだろうか。

一方、ワンマン企業が新規事業に成功するのは、純粋に当該事業のみを見た部分最適を追っているから。そして、ある程度の規模になると勢いが止まるのは、組織が大きくなり、全体最適を見なければならないのに、体質がワンマンベンチャーのままだからと言えるのではないか。もちろん例外は多数あるが。

「感情」で決着がつかなければ「理性」に頼る?

石油の供給を止められたことが直接の開戦の原因であり、その石油を獲得するために南進するくらい、石油は大切な資源だった。

しかし、武力でオランダ領インドネシアの油田を奪った場合の期待産油量や、その後の予想消費量なとが計画されたのは、石油が禁輸される数ヶ月前だった。つまり、リスク管理が全くできていなかった。

そして、開戦回避派は日本の石油が2年で底を尽きることを論拠としていたが、陸軍省と民間人のたった4名で作った「蘭印期待産油量」を加味すると、石油は足りるという結論になった。

それまで主戦派と和平派の間で続いていた「主観的」論争は、このたった4名で作った「客観的」数字を以て終焉し、内閣は全会一致で開戦を決める。

数字自体が正しいかどうかの検証が不十分なまま、「数字」という理由だけで全員がそれにすがった。

(趣旨要約)

日本が兵隊一流、戦略三流と言われる所以。いくら現場が頑張っても、いわゆる計画部門がこれでは、全体として力が発揮できない。日本は武力戦・外交戦・情報戦・経済戦のいずれも劣勢だった。日清・日露戦争を戦った民族と同一とは、とても思えない。

明治人は謙虚かつ優れていて、昭和人は驕り劣っていたと片付けることは簡単だが、やはり上記「統帥権」のような、構造的・制度的欠陥が人の行動を規定していった側面も、大きいと思える。

また、今回の場合は「数字」の魔力とも言うべきか。感性・定性論で結論が出ない時、人は理性・定量論に頼りたくなる。「スキル(才)」と「人間力(徳)」とはで述べた通り、理性・定量論は、誰の目から見ても明らかで、判断基準としては極めて分かりやすいからだ。

しかし、その理性自体が正しいかどうか、冷静に判断しなければならない。今回は算出した数字がいい加減で、誤った判断をしてしまった。仕事でも日常でも、こういったことは起きる。言うは易いが、行うは本当に難い。

組織を背負うと冷静な判断ができなくなる

総力戦研究所の「日本必敗」を聞いた当時の東條陸軍大臣のコメントは、以下のようなものだったという(記録として残っておらず、その場にいた人間の記憶をもとに筆者が再現した)。

東條英機元首相
東條英機元首相

諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習であって、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではない。

日露戦争でわが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。しかし、勝った。あの当時も列強による三国干渉で、止むにやまれず帝国は立ち上がったのであって、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。

戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利に繋がっていく。従って、君たちの考えていることは、机上の空論とは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものを考慮していない。

まず、「意外裡の要素」が日本有利に働くのか、アメリカ有利に働くのか分からないという点で、既に論理破綻している。アメリカ有利に働けば、日本は負けるわけである。

もう一つ考えるべきは東條陸軍大臣の立場。陸軍は支邦撤兵反対の開戦論者である。そのトップの東條は、個人的な考えはどうであれ、少しでも和平派に近い発言をすれば、陸軍から猛攻撃を受けることになる。

組織を背負うと、人は組織の出した結論に固執してしまう傾向があるのではないか。これもビジネスでよく経験することである。

例えば、A支店は古くなったオフィスを1,000万円かけてリニューアルしたいと思っている。そのために支店長は本社の経理部長に話を通さなければならない。支店の社員は皆、支店長に期待している。

しかし、資金支出全体の優先順位を考慮すると、経理部長は首を縦に振れない。A支店の部分最適と、経理部長の全体最適の戦いである。支店長は、全社的な事情は理解するものの、支店の期待を一身に背負い、簡単には引き下がれない。メンツの問題もある。

いずれ支店長は強硬な意見を言うようになる。支店長会議をボイコットしたりする・・・となれば、陸軍とあまり変わらない。「組織を背負うと冷静な判断ができなくなる」というのは、組織にもあり得ることだ。

人事部長のつぶやき

彼を知り己を知れば百戦殆うからず?

約2500年前、孫子はこう言っている。

事前の図上演習の段階で勝算が多い者は実際の戦闘においても勝利し、勝算が少ない者は勝つことができない。

ましてや勝算がまったくない者においてはなおさらである。私はこの方法で分析するので、勝敗は事前に自ずから明らかになる。

敵の実情を知り、また自軍の実態を知る。そうすれば、百たび戦っても危ういことはない。

当時の日本は、日米の工業力・軍事力・資源力の差などを認識していたにも関わらず、勝てない戦争に突入していったわけです。

「敵の実情と自軍の実情を知っていたのに、敗れた」というのは、孫子も想定していません。そして、孫子が「戦争を始める際に考慮すべき5つのこと(政治・自然条件・地理条件・人・法)」には当然ながら(東條の言う)「意外裡なこと」は入っていません。

他にも、孫子はこんなことを言っています。

戦争の原則に照らして必ず勝てる見込みがあれば、たとえ主君が戦ってはならないと言っても、戦ってよろしい。

戦争の原則に照らして勝てる見込みがないときには、たとえ主君が必ず戦えと言っても、戦ってはならない。

太平洋戦争前、「主君」と「将軍」は以下のような態度でした。

天皇・・・戦争は回避したい。

海軍・・・戦争は回避したい。やっても短期決戦。

陸軍・・・アメリカの求める中国からの撤兵などあり得ない。これまで中国大陸で多数の英霊が亡くなった。戦争賛成!(ただし対英米戦の主力は海軍なので、自分たちはほぼ出番なし)

つまり、主君も将軍(対英米戦の主力である海軍)も、開戦には消極的であったのに、開戦どころか、短期決戦の望みが消えても、原爆投下まで戦争を続けてしまったわけです。

「主君も将軍も戦争を望んでいないのに、開戦した」というのも、孫子は想定していません。日本は、2500年前に指摘されていた普遍的な原則すら、実践できなかったということです。

学問とは何か、歴史を学ぶとは何かを改めて考えさせられる出来事だと思います。

個人を責めるのは簡単。組織や仕組みに問題はないのか

個人を責めるのは簡単。組織や仕組みに問題はないのか、大東亜戦争関係の本を読むと、いつも「責任」について考えさせられます

開戦当時の首相東條英機は、天皇陛下のご意向は理解しつつも、陸軍の代弁者としての立場から、戦争を回避できませんでした。

その陸軍は「アメリカは中国からの撤兵を要求しているが、これまでの先人たちの犠牲を考えるとそれはできない。だからアメリカと戦うしかない」、つまり中国のことしか考えていません。

しかし実際にアメリカと戦うのは海軍です。そしてその海軍は、アメリカとの戦争に「勝てる」とも「負ける」とも言いません。山本五十六連合艦隊司令長官は「1年から1年半は存分に暴れてみせる」と曖昧なことしか言いませんでした。

山本五十六
山本五十六

これは個人を責めても仕方なく、組織や仕組みに焦点を当てるしかないのではないでしょうか。最大の問題点は、陸軍の強硬意見が通ってしまったことです。これは、上記の統帥権問題が根本にあります。

様々な意見はあるものの、私は個人的に、大東亜戦争を始めてしまった理由を考えるのであれば、大日本帝国憲法の立て付け、具体的には第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」まで遡る必要があると考えています。

ちなみに、山本五十六は次の2つの名言で有名ですね。

やってみせ言って聞かせてさせてみて誉めてやらねば人は動かじ
男の修行

天下の連合艦隊司令長官でも、人を動かすのに苦労していたんですね。何だか身近に感じられます。

なお、ポリティカルコレクトネスの時代、「男の修行」は「人間の修行」に要変更でしょうね。。。

空気に流されないことの難しさ

こういった、日本が戦争に入っていく様を描く本を読むたびに、時代の「空気感」を客観的に見る(=自分なりの価値軸で判断する)ことの難しさを痛感します。

大東亜戦争では、世論と陸軍は概ね開戦派でした。政府もそれに引きずられ、日本の「ベストアンドブライテスト(=最も賢い人々)」が「必敗」と結論を出していた戦争に突き進むわけです。

若い皆さんはご存知ないでしょうが、バブル景気も今振り返れば異常でした。土地や株の値段が収益力を無視して上昇し続けるなどあり得ないことは誰でも分かるはずなのに、当時の日本人たちはその「空気」に見事に踊っていました。

また、バブル期のエナジードリンクのCMでは「24時間戦えますか」というフレーズが流行りました。バブルの頃、「働き方改革」などという言葉はなく、土日や深夜を含めて働くことは(少なくともホワイトカラーの間では)不思議な現象ではなかったのです。これも「空気」の為せるワザでしょう。

若い人は知らないかなあ。リゲイン。僕ら世代(40代)はみんな知ってるのですけどね。

では今は、どんな「空気感」が蔓延しているのか。皆さんはどう思われますか?

現代の空気感として個人的に思うのは「少子化問題は本当はヤバいのに誰も本気では気にしてない」「日本全体がAI時代に乗り遅れている」「みんなSNSに依存しすぎ」あたりです。

猪瀬直樹
(中公文庫)

※各界著名人も絶賛。本当に面白い本!

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