1974年、マラリ事件がなければ、その後の福田主義はなかった。
マラリ事件(マラリじけん)は、1974年1月、日本の田中角栄首相がインドネシアを訪問した際に、首都ジャカルタで発生した暴動である。この「マラリ」とは、インドネシア語の「Malapetaka Limabelas Januari(1月15日の災難)」の略称である。
第二次世界大戦中、日本がいかに東南アジアの人々から嫌われていたか、いかに東南アジアの人々から侵略者とみなされていたかを知ったのは、このとき初めてだった。
福田ドクトリン(ふくだドクトリン)とは、1977年8月に当時の日本国内閣総理大臣である福田赳夫が東南アジア歴訪の際に、フィリピン・マニラで表明した東南アジア外交3原則の事。
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