汪倫に贈る




 読み方
李白舟に乗って 将に行かんと欲す
忽ち聞く 岸上 踏歌の声
桃花潭水 深さ千尺
及ばず汪倫が 我を送るの情に

 おうりんにおくる  <りはく>
りはくふねにのって まさにゆかんとほっす
たちまちきく がんじょう とうかのこえ
とうかたんすい ふかさせんじゃく
およばずおうりんが われをおくるのじょうに

詩の意味
 私李白は今、小舟に乗っていよいよ桃花潭を出発しようとしている。突如、岸の上で足を踏み鳴らしながら歌う声が聞こえてきた。

 この桃花潭の水は深さが千尺もあるという。それでもその深さは、汪倫が私を送ってくれる情の深さには及ばない。

語句の意味
汪 倫
安徽(あんき)省涇(けい)県にある桃花潭という村の名士 酒造家でしばしば李白をもてなした人
踏 歌
手をつなぎ足を踏み鳴らして歌う歌
桃花潭
安徽省涇県にある涇川(けいせん=長江の支流)の上流の清澄な深い淵の名 「潭」は淵
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私、李白は今、小舟に乗り、いよいよ桃花潭を出発しようとしている。
すると突然、岸の上で足を踏み鳴らしながら歌う声が聞こえてきた。
桃花潭の水は、深さ千尺もあるという。
それでもその深さは、汪倫が私を送ってくれるこの情の深さには、到底及ばない。

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現代語訳(自然な日本語)
私は李白、今、小舟に乗って、いよいよ桃花潭を出発しようとしている。
すると突然、岸の上で足を踏みならしながら歌う声が聞こえてきた。
桃花潭の水は、千尺も深いという。
それでも、その深さは汪倫が私を送ってくれる情の深さには、とても及ばない。
より口語的・自然なバージョン
李白の私、今、小舟に乗って桃花潭を旅立とうとしているところだ。
すると岸の方から、足を踏み鳴らして歌う声が突然聞こえてきた。
桃花潭の水は千尺も深いらしいけど、
それでも汪倫が僕を送ってくれるこの気持ちの深さには、到底かなわないよ。
この詩は、友情の深さを美しく表現した李白らしい率直で温かい作品です。
「千尺の深い水」よりも「汪倫の友情」の方が深い、という大胆な比喩が印象的ですね。
他に気になる部分や、もっと丁寧な訳・詩的な訳が欲しい場合は教えてください!

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**より詩的な現代語訳**

私は李白、小舟に身をゆだね  
いよいよ桃花潭を旅立とうとする  

すると岸辺に、  
足踏み鳴らして歌う声が響き渡る  

桃花潭の水は、千尺の深さと聞く  
けれどその深ささえも  

汪倫が私を送る、  
この想いの深さには及ばない  

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### もう少し文学的な味わい深いバージョン

小舟に乗り、いざ桃花潭を去らんとする李白  
ふと岸の上より、踏歌の声が響き来たる  

桃花潭の水よ、たとえ千尺の深さを誇ろうとも  
汪倫が我を送る情の深さには、遙かに及ばぬ  

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この訳は、現代語でありながらリズムと情感を大切にし、詩の余韻を残すよう心がけました。  
特に最後の「及ばない」という対比を、静かで力強い響きに仕上げています。

どちらのバージョンがよりお好みですか?  
さらに雅やかに、またはもう少し柔らかく調整することもできますよ。

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鑑賞
  汪倫のもてなしに心から感謝する李白

 李白55歳の時の作と言われているので、玄宗に都から追放されて約10年後のことである。安禄山の乱がおこった年でもある。このころ李白は安徽省涇県の桃花潭に遊び、そこで酒造家を営む村の名士・汪倫に歓待され、しばしば美酒をふるまってもらった。このころの李白は生活にそれほど余裕があったとは思えない。だから汪倫のもてなしは、すこぶる嬉しかったに違いない。何日か当地に逗留(とうりゅう)している。旅立つ日、李白はお礼として汪倫に贈ったのがこの詩である。当時李白の名は文人仲間ではすでに大詩人として有名であった。汪倫の子孫はこの詩を家宝として大切にしたという記録もある。

 本来測りようもない心の深さ。それを眼前の水の「深さ千尺」との計量的比較を通して、生き生きと実感させる巧みな着想である。「桃の花さく潭(ふち)」という地名もまたゆかしく美しい。詩の冒頭に自分の名前を詠み込む大胆さは、旅に生きる作者の旺盛なサービス精神からか。

参考
  留別(りゅうべつ)の詩

 送られる李白が見送る汪倫に詩を贈っている。このように送られる人が後に残る人に告げる別れの詩を「留別の詩」という。その反対は「送別の詩」。

 この詩は従来、旅の詩人李白と無名の民間人との純真な友情を物語る好詩として長く愛誦され、潭のほとりには、本詩にちなむ「踏歌岸閣(とうかがんかく)」が建てられた。現在、桃花潭のほとりには汪倫の墓がある。

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