何故その様な「開発行為」が植民地化の一歩であったと考えるべきかを理解するにはまず「植民地」と言う物がどの様な思想を持って作られていたかを理解する必要があります:植民地は「重商思想」(Mercantalism)と深く関連します。
植民地とは「搾取」として考えるのではなく、「自治権」と「国際貿易」を主軸に考えるべきです。自国以外の地域の自治権を奪い、自国の輸出先の強制的な確保が大きな目的でした。
その観点から、韓国は100%日本の植民地です。
2年前の回答のコメント欄で議論・・・(-_-;)
私は明確な植民地であったと思います。植民地では無いとする方は植民地とは何たるかを知らないと思います。
例えばですが、日露戦争の引き金となったのは、ロシアによる旅順港を中心とした地域の多額出費によるロシア資本・満州鉄道の建設と旅順港の施設の近代化への多額出費でした。それは、当時も現在もロシアによる「植民地化への第一歩」と見られていました。
何故その様な「開発行為」が植民地化の一歩であったと考えるべきかを理解するにはまず「植民地」と言う物がどの様な思想を持って作られていたかを理解する必要があります:植民地は「重商思想」(Mercantalism)と深く関連します。
植民地とは「搾取」として考えるのではなく、「自治権」と「国際貿易」を主軸に考えるべきです。自国以外の地域の自治権を奪い、自国の輸出先の強制的な確保が大きな目的でした。
その観点から、韓国は100%日本の植民地です。
えー主な「植民地では無かった」とする意見の内容はこの様に理解しています(萩原さんの回答よりコピペ)
- 近代西欧型植民地(colony)の意味ではなく、単なる開拓地の意味で使われている
- 「植民地」の意味は明治時代以降、単なる開拓地という意味の植民地と、差別的・搾取的支配地の意味の植民地に二分化した
- 搾取を目的とした植民地であれば、インフラを整備し、教育を施し、持ち出し超過の経営をするはずがない
植民地の一般的な国際的な定義については萩原 遼 さんがすでに詳しく書いているので、あまりここに突っ込もうとは思いませんが、「インフラ等を開発したら植民地では無い」と言う事が完全に間違った考えである事をは明確に示しておきます。
例えば、シンガポール等は好例ですが、1819年~1942年のイギリス統治下でシンガポール市は目まぐるしく発展し、インフラも経済的重要性も上がりましたが、イギリス人も現シンガポール人も明確に「植民地であった」とする考えに異議を唱える人などほぼいません。
理由は「インフラの発達や経済成長」は「良い植民地の統治」か「悪質な植民地の統治」であったかの問題であり、植民地であるかどうかに関しては完全に無関係であります。
では、植民地とは何か?それは:
「自治権を奪い、自国の輸出先の市場と強制的になる事を確保した領土」
です。
ここに「強制的」と言う部分が重要であり、なお、
- その国の自治権は奪われ、その国は自分からは「統治国」以外の国とは自分で国際的な貿易を始めるとする外交を行う事はできない。
が重要なポイントです。
何故16世紀頃よりこの様な領土が欲せられて、20世紀中より急速に消滅して行ったかと言うと、経済理論の変化と言う背景があります。
「重商主義」(Mercantalism)と言う経済思想が「帝国主義」の時代には主流となり、それには大国の植民地が必要とすると言う考えが一部でした。その一方で「自由貿易思想」(Free Trade Capitalism) の思想が19世紀末より受け入れられて主流となっていくにつれて、重商主義の否定に繋がり、植民地の必要性の否定へと繋がって行きました。
重商主義とは?
重商主義は非常に複雑な経済思想であり、現在は完全に否定されていますが、16世紀の英国を中心に広まって行き、数百年間もの間ヨーロッパの外交政策に絶大の影響力を及ぼしました。
簡単に言うと、この様な考え方です:
- 国力において最も重要なのは経済力
- 経済力とは国家における金銀の量で決まる
- よって、金銀が放出される輸入は国力を弱め、金銀を得られる輸出は国力を強める。
- よって、最大限の利益を得て、国力を増加させるには、輸出の価値を最大限に吊り上げ、輸入を最低限に抑える。
何故この思想が植民地と繋がって行くかと言うと、一つの国だけがこの思想を持ったら、特に植民地の必要性とは繋がらないかも知れません。
しかし、全ての国が受け容れたらどうなりますか?どんな国も他国の輸出品を受け入れるのは国家を弱める事と理解しているので、貿易をストップさせるか、高い関税をかけて自国の産業発達を奨励しようとします。
全ての大国は輸出したいが、輸入はしたくないのでは貿易が成り立ちません。しかし、国家を強化するには「輸出先」の確保が重要になって来る。
なお、工業化を進めるには資源を得たい。しかし、ライバルの国から輸入したら、そのライバルを強化してしまい、自分で自分の首を絞める結果になる。
ならどうするか?
弱い国を乗っ取って、強制的に「輸出先」となる事を受け入れさせ、関税を廃しさせ、強制的に経済圏となる事を受け入れさせる。
つまり、植民地です。
これには、様々な思想や統治方法がありました。
- 資源搾取モデル:その地の産業の発達や教育等は行わず、ひたすら資源を奪い続け、輸出品を少し売る地域:経済発達が起こらないので、あまり市場としては期待できない。アフリカやカリブ海、インドネシアやボルニオで行われた統治。
- 経済発達・市場発展モデル:シンガポール、北米、オーストラリア、香港、マカオ、ロシアが日露戦争前に満州で行おうとした政策等。最終的に輸出先で多くの輸出品を受け入れる事を期待しているので、経済を発展させる事で、最終的に大きな輸出先となる事を期待する事。
(2)を行う場合、せっかく発展させた地域は自国の輸入品を買う為に発展されるので、他の国を締め出して、その貿易を独占する事が重要とされます。
その様な事に自ら合意する国はいないので、その国か領土を乗っ取り、自治権を奪い、自国へのメリットのある外交・貿易ポリシーを強制する必要があります。
それが「植民地」の実態です。
ロシアの旅順植民地化・発達計画
例えばですが、日露戦争の引き金となったのは、ロシアが植民地への第一歩として旅順港とその周りの地域を中国から事実上強制的に所有権を貸し受けて、満州鉄道の開発に多額の出費を行い、旅順港を大幅に近代化させる動きを開始した事です。
日本ではこれは「明確な植民地化への第一歩」と誰もが理解していました:経済発展を行わせているから植民地化では無い等と思う人は誰も居なかったと思います。
ロシアが旅順港の経済発展を望む理由は明確:ロシアが最終的その地域の自治権を奪い、商業的な属地としてロシアの製品を買わせ、商業的に独占する事を目的とした事です。そして、旅順港よりアジアへの「海路貿易による市場確保」が重要な課題でした。
これは20世紀初頭、誰にも明確に理解されている「常識」でした。
この様に「植民地の開発」は極一般的な植民地の統治の一つの形として存在し、「開発を行ったら植民地では無い」等と言う考えは当時の植民地に関する考え方を完全に誤解した物です。
自由経済思想と国際貿易
何故植民地の必要性が否定されていったかと言うと、重商思想とは全く違う経済の考え方が主流となっていったからです:アダム・スミスを始祖とする「自由経済思想」です。
スミスや後のリカルド等の重商思想に批判的な18~19世紀の経済学者は経済力を「金銀の量」と同じとする事は間違えであると批判しました。
例えばリカルド等は、「金銀がふんだんにあるが、食料の無い国は極貧」と指摘し、金銀通貨は「その買える価値」から来るだけであり、特別な意味は無いと主張し、数学的に貿易が輸出者・輸入者双方に利をもたらすと示した事で有名です(リカルド・比較優位の法則
)つまり、スミスやリカルド等は重商思想の根本的な「貿易とは輸出者が強くなり、輸入者が弱くなる」を否定し、「双方が貿易を通して強くなる」と言う思想を発展させ、関税を引きさげ、自由に貿易を行う環境が万国の得となると説きました。
徐々にこの思想は「反帝国主義」と結び付き、広まって行き、特に米国の反帝国主義者に声高に主張されました。以前に何故アメリカは日本を第二次世界大戦後の植民地としなかったのですか?と言う質問に答えた時に「植民地を持つ事に関心が無かったから」と答えましたが、その無関心の理由が自由貿易思想にあります。
自由貿易思想では植民地を持つ必要性がありません。普通に多くの国と貿易条約を結び、その市場を独占する必要性を否定し、「皆が貿易で交友すれば、皆が利を得る」と言う考えなので、その自由に動く物流を妨げる事は逆効果と考えます。
20世紀に多くの国が独立していき、植民地システムが消滅していった背景には独立戦争や、太平洋戦争の影響もありますが、それ以前より植民地制度の廃止が進んでいました。
例えば、19世紀半ばには英国内でもスミスの自由経済思想の影響を受けた政治家が増えていて、1867年にはカナダの自治権を認め、事実上独立国として英国の直接的な政治コントロールを離れると言う事が行われたのは、「カナダを植民地として統治する必要性」が否定されつつあり、重商思想で必要とされる「市場の独占」が放棄されつつある事を示す一例と言えます。
つまり、20世紀後半の植民地制度の崩壊は、19世紀中の「自由経済思想の広がり」と「植民地の必要性の否定」の受け入れが広まって行った事も大きな要因と言えます。
結論
この観点から大日本帝国の韓国・満州・台湾等の領土は非常に明確な「植民地」他なりません。領土を軍事力で得て、自治権を奪い、日本の外交・貿易・経済の都合に合わせた政策を強制したシステムです。
その地で経済発展を援助し、鉄道の建設等を始めとするインフラ開発は「日本の利」の為に行われた事であり。植民地制度の中心的思想である重商思想の初歩的な政策の一つです。
それが「植民地でない証明」等と主張する事は根本的に植民地が何たるかを理解していないと思います。
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