辺見 庸:1937
清水潔さんの『「南京事件」
堀田善衛の『時間』
武田泰淳の著作など南京事件を扱った文学作品や、
丸山眞男の評論、
石川達三の『生きている兵隊』
そう、本書を一読すると、日本人であることが恐ろしく、何より恥ずかしくなります。そういう意味で読者にとってはかなり読むのに苦痛を伴う本であると思います。個人的にはここまで鈍い嘔吐感を読書中たえず催す本はドストエフスキーの『地下生活者の手記』以来でした。
本書は清水潔さんの『「南京事件」を調査せよ』のように現地での取材や一次資料にあたる内容ではないのですが、辺見さんのお父様は太平洋戦争に出征され中国人に対する暴行や虐殺に関与した人物で、そのお父様の罪を息子である辺見さんが率直に容赦なく、ひりつくほど丹念にあばいてゆかれるので、お父様の証言や行動そのものが本書における事件の一次資料といえるかと思います。そのほかの部分は、主として堀田善衛の『時間』武田泰淳の著作など南京事件を扱った文学作品や、丸山眞男の評論、石川達三の『生きている兵隊』などを引用しながら批評・分析を行う形で叙述されていきます。
目次
過去の中の未来ー角川文庫の「序」にかえて
序章 いま記憶の「墓をあばく」ことについて
第一章 よみがえる亡霊
第二章 屍体のスペクタクル
第三章 非道徳的道徳国家の所業
第四章 かき消えた「なぜ?」
第五章 静謐と癇症
第六章 毛沢東と三島由紀夫と父とわたし
とにかく、日本帝国軍人の中国人に対する扱いは、非人間的であり、野蛮であり、獣的であり、ただただ、むごいものです。圧倒的な弱者を相手に、彼らは恥も憐憫も感じずに、鬼と呼ばれても当然の所業を犯しています。すべての日本人はこの事実を知らなくてはならない、それも辺見さんの書くような一種の「詩」の形で、と思いました。詩人の感性、詩の表現ならば、名前も人生もあるひとりひとりの中国人犠牲者の痛哭がより血肉の感触を伴って伝わるからです。
薄い本にも拘らず読み通すのが本当にしんどい本だとは思いますが、向き合わなくてはならない歴史です。義務として、ご一読を。
2017年1月23日に日本でレビュー済み
辺見さんのご高名は存じ上げていたもののご著作は初めて拝読しました。ちなみに表紙を飾るやたら上手い貼り絵は誰が・・?と思ったら山下清画伯の作品とのことです。今、南京事件が物議をかもしています。自民党の歴史修正主義者やアパホテルの社長らがどう喚こうとも、デマ本をホテルに備え付けようとも、事件が事実であることは間違いのないことです。名古屋市長も事実についてよくご存じないようで、我が国の為政者の歴史認識の浅さは恥ずかしいほどです。そう、本書を一読すると、日本人であることが恐ろしく、何より恥ずかしくなります。そういう意味で読者にとってはかなり読むのに苦痛を伴う本であると思います。個人的にはここまで鈍い嘔吐感を読書中たえず催す本はドストエフスキーの『地下生活者の手記』以来でした。
本書は清水潔さんの『「南京事件」を調査せよ』のように現地での取材や一次資料にあたる内容ではないのですが、辺見さんのお父様は太平洋戦争に出征され中国人に対する暴行や虐殺に関与した人物で、そのお父様の罪を息子である辺見さんが率直に容赦なく、ひりつくほど丹念にあばいてゆかれるので、お父様の証言や行動そのものが本書における事件の一次資料といえるかと思います。そのほかの部分は、主として堀田善衛の『時間』武田泰淳の著作など南京事件を扱った文学作品や、丸山眞男の評論、石川達三の『生きている兵隊』などを引用しながら批評・分析を行う形で叙述されていきます。
目次
過去の中の未来ー角川文庫の「序」にかえて
序章 いま記憶の「墓をあばく」ことについて
第一章 よみがえる亡霊
第二章 屍体のスペクタクル
第三章 非道徳的道徳国家の所業
第四章 かき消えた「なぜ?」
第五章 静謐と癇症
第六章 毛沢東と三島由紀夫と父とわたし
とにかく、日本帝国軍人の中国人に対する扱いは、非人間的であり、野蛮であり、獣的であり、ただただ、むごいものです。圧倒的な弱者を相手に、彼らは恥も憐憫も感じずに、鬼と呼ばれても当然の所業を犯しています。すべての日本人はこの事実を知らなくてはならない、それも辺見さんの書くような一種の「詩」の形で、と思いました。詩人の感性、詩の表現ならば、名前も人生もあるひとりひとりの中国人犠牲者の痛哭がより血肉の感触を伴って伝わるからです。
薄い本にも拘らず読み通すのが本当にしんどい本だとは思いますが、向き合わなくてはならない歴史です。義務として、ご一読を。
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