1945 年 9 月中旬,《朝日新闻》等报纸收集了日本自己的战犯名单,并主张战犯应由日本自己审判,这是为什么呢?

1945 年 9 月中旬,《朝日新闻》等报纸收集了日本自己的战犯名单,并主张战犯应由日本自己审判,这是为什么呢?

11 月,出现了略微不同的基调:1 日和 4 日的《读卖新闻》描述了追究战争责任人对于建设和平国家的意义。 (什么是战争责任人?",《读卖新闻》,1945 年 11 月 1 日,晨报,第 2 页)。

11 月 5 日的《朝日新闻》和 11 月 9 日的《读卖新闻》也指出:"追究战争责任人不是美国应该做的事情。 11 月 5 日的《朝日新闻》和 11 月 9 日的《读卖新闻》都刊登了敦促日本人民追 究战争责任人的文章,如《应该如何审判战犯?

山川仁 11 月 29 日在《读卖新闻》上发表的社论也认为,应该由人民自己来处理对战争责任的控诉("调查战争责任,由人民自己来处理",《读卖新闻》,1945 年 11 月 29 日上午版,第 2 页)。

追究战争责任的决议没有提交国会全体会议。

烟雾弥漫的战争责任追究决议推迟到周五"(《每日新闻》,1945 年 12 月 1 日,晨报,第 1 页)。

战争责任决议已被延期,一般问题已被穷尽"(《读卖新闻》,1945 年 12 月 1 日,晨报,第 1 页)。

这些文章受到东京审判和其他审判战犯的即将开始的影响,但也可以说,它们表明了日本公众当时对追究战争责任人的不情愿或缺乏兴趣。 然而,随着人们的注意力转移到在横滨对乙级和丙级战犯的审判,这种基调消失了。



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11月に入ると、従前とはやや異なる論調が現れるようになる。1 日や 4 日の『読売』は、平和国家建設のため戦争責任者を追及することの意義を述べている。(「戦争責任者とは何か」(『読売』昭和20年11月 1 日朝刊 2 面)

5 日『朝日』や 9 日『読売』にも、「戦争責任者の追及はアメリカがやるべきことではない。日本国民自らが糾明にあたることで民主主義的日本に繫がる」など、日本国民に戦争責任者の追及を促す記事が登場する(「戦争犯罪者はどう裁くか」(『朝日』昭和20年11月 5 日朝刊 2 面)

また、29日『読売』の山川均の論説も、戦争責任の糾明は人民自らで処断するべきと主張している(「戦争責任の究明、人民自らで処断」(『読売』昭和20年11月29日朝刊 2 面)

「本会議上程纏らず 戦争責任追及決議案」(『朝日』昭和20年12月 1 日朝刊 1面)

「燻る戦争責任追究 決議案上程けふに延期」(『毎日』昭和20年12月 1 日朝刊 1 面)

「戦争責任決議持越し 一般質問出尽す」(『読売』昭和20年12月 1 日朝刊 1 面)

こうした記事は、東京裁判を始め戦犯を裁く裁判の開始を目前に控え、その影響を受けてのものであるが、当時の日本国民が戦争責任者の追及に対して消極的であった、あるいは関心が低かったことを逆に示していたともいえよう。しかしながら、こうした論調は、横浜で開かれる B、C 級戦犯の裁判に注目が移るにつれて見られなくなる。


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