第二次世界大戦時、大本帝国海軍のダメ将官といえば、誰のことでしょうか?


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この人なんかどうです?

海軍中将 福留 繁

帝国海軍きっての責任転嫁の権化ですね。この人が一番勇名を馳せたのは、なんといっても海軍乙事件でしょう。

最重要機密文書を持参しながら、移動する為の二式大艇の機長に、燃料補給を途中で止めさせて、悪天候の中、無理矢理飛ばさせて案の定海上に墜落。フィリピンゲリラに捕らえられ機密文書を奪われると言う信じ難い事件を起こしました。

しかし、もっと最悪なのは、責任逃れの為に、機密文書を奪われたと言う事実を隠蔽して報告した為に、以後の連合艦隊の動きがさらに筒抜けになってしまいました。

海軍乙事件 - Wikipedia
海軍乙事件 (かいぐんおつじけん)とは、 太平洋戦争 中の 1944年 ( 昭和 19年) 3月31日 、 連合艦隊司令長官 古賀峯一 海軍大将 が 搭乗 機の遭難により行方不明となりその後 殉職 扱いとなった事件および、古賀大将に随伴した 参謀長 福留繁 中将 が搭乗機(古賀大将搭乗機とは別機体)の不時着によりフィリピンゲリラの捕虜となった事件。この事件の際に福留中将が保持していた 日本軍 の最重要 軍事機密 文書が アメリカ軍 に渡った。行方不明となった古賀大将搭乗機の残骸など手がかりは未だに発見されていない。 1944年2月の トラック島空襲 の後、 連合艦隊 は新たな内 南洋 の拠点として パラオ を利用していたが、3月に 連合軍の大空襲 を受けた。そのため、 連合艦隊司令長官 古賀峯一 海軍大将ら 司令部 要員はパラオから ミンダナオ島 の ダバオ への退避を検討した。これは連合艦隊が陸上に司令部を置き、作戦にあわせて漸次各方面陸上基地を司令部が移動する事案の予行演習を兼ねたもので、連合艦隊司令部は戦艦「 武蔵 」と第十七駆逐隊を 遊撃部隊 に編入させた上で、31日乃至4月1日黎明にパラオ発、ダバオ経由 サイパン 進出の予定と電報で通知していた [ 1 ] 。ところが、4月1日昼間の出発を予定していたが、31日に 七六一航空隊 の 偵察 機( 陸攻 )から「1730、 ヤップ の200度、163 マイル に 空母 2隻を基幹とする大部隊、進行方向西18 ノット 」の報告があり、加えて アラカベサン 飛行艇基地が 空襲警報 の 誤報 を発した [ 2 ] 。これらの情報により、連合艦隊司令部は米軍がパラオに上陸すると判断した [ 3 ] 。 そのため、司令部要員は3月31日夕刻に ミンダナオ島 の ダバオ へ飛行艇( 二式大艇 )3機での移動を急いだが、 八五一航空隊 の1機はエンジン不調により スラバヤ で修理したため遅れ、2機のみがパラオに到着し司令部要員を搭乗させ離水した。しかし途中で 低気圧 に遭遇し、古賀搭乗の一番機( 八五一航空隊 所属、 機長 :同隊分隊長、難波正忠 大尉 )が 行方不明 となったほか、二番機( 八〇二航空隊 所属、機長:岡村松太郎 中尉 )も後述のように不時着した。 これは一番機と二番機が異なる航空隊に所属していたため、天候不順の場合に海面を這うか(一番機)、雲上に出るか(二番機)という違う教育を受けていたためだとされる [ 4 ] 。 なお、遅れた三番機( 八五一航空隊 所属、機長:安藤敏包中尉)はダバオで待機し、空襲が途絶えていることを確認して同地を離水、パラオ着水後、司令部の暗号士、暗号員を乗せて4月1日早朝にパラオを離水し、ダバオに無事着水した。 [ 5 ] 一番機(そして遅れた三番機)は、 ラバウル 残留のパイロットを救出するために、シンガポール→パラオ→サイパン→パラオ→シンガポールの飛行予定を、シンガポール→パラオ→サイパン→パラオ→遭難となった経緯であった [ 6 ] 。 行方不明となった一番機は残骸等発見されないまま古賀以下の司令部要員7人を含む全搭乗員は「戦死」でなく「殉職」とされたが、これは 嶋田繁太郎 海軍大臣 が、古賀の行動を 前線 からの 逃走 と批判し、 戦死 ではなく「殉職」扱いにさせたためである [ 7 ] 。古賀の殉職はすぐに 国民 には知らされず、同年の5月5日に発表され、古賀は 元帥府 に列せられ 元帥 の称号が与えられた。なお、嶋田は 戦後 になって「(古賀の殉職を)戦死に直せないか」と 復員 局に問い合わせたが、認められなかった [ 7 ] 。 一方、二番機は セブ島 沖に不時着し、搭乗していた連合艦隊 参謀長 福留繁 中将 以下の連合艦隊司令部要員3人(ほか、作戦参謀の 山本祐二 大佐 、通信長の山形掌)を含む9人は泳いで上陸したが、 ゲリラ の 捕虜 となり、1944年(昭和19年)3月8日に作成されたばかりの 新Z号作戦 計画書、司令部用信号書、 暗号 書といった数々の最重要 軍事機密 を奪われた。ゲリラに対して警戒心を抱かなかった福留らは拘束時に抵抗や自決、機密書類の破棄もしなかった(鞄を川に投げ込んだが、すぐに回収されたという)。 元々 フィリピン は アメリカ の 植民地 であったが、戦前は独自の憲法・議会・裁判所を含めた大幅な自治が認められており( フィリピン・コモンウェルス を参照)、日本軍の 軍政 が上手く行かなかったこともあって、住民の感情は 親米反日 的であった。そのため アメリカ軍 は日本の支配が続いていた間、 潜水艦 で連絡員を送り込むなどして現地のゲリラと連携し、その組織化に手を貸していた。日本側のセブ島守備隊長はゲリラのリーダーに対して「解放しなければ報復を加える」と、取引に応じるようにゲリラ側を脅したとされる [ 要出典 ] が、 春名幹男 は米軍の指揮官(クッシング陸軍中佐)の指示を受けたゲリラが乗組員の一人(岡村松太郎中尉)を伝令として守備隊(独立混成31旅団)に「ゲリラへの攻撃中止を条件に海軍軍人を引き渡す」と守備隊の大隊長(大西精一中佐)に伝えたと記している [ 8 ] 。このことにより福留等は解放されたもののカバンはゲリラに没収され、作戦計画書等の機密文書はのちにゲリラからアメリカ軍の手に渡り、 ブリスベーン 郊外の 連合国翻訳通訳課 ( Allied Translator and Interpreter Section : 略称ATIS)で、 アメリカ陸軍情報部 (Military Intelligence Service, MIS)の要員によって 翻訳 された [ 9 ] 。 先の 山本五十六 長官搭乗機が撃墜された事件( 1943年 (昭和18年)4月18日)を「 海軍甲事件 」と呼ぶことから、本件は「海軍乙事件」と呼ばれた。 『太平洋暗号戦史』や『太平洋戦争暗号作戦(下)』のように、文書の入手や暗号解読に関わった関係者の回顧では、この計画書類は太平洋で日本軍と対峙する 米太平洋艦隊 やその 指揮 下の 第3艦隊 にも転送されて活用されたという。より詳しく述べると、 マッカーサー の司令部の日本語専門家は海軍用語に十分通じておらず、要旨を訳した段階で、真珠湾の太平洋方面統合情報センター(JICPOA)に回送された。 ミッドウェー海戦 で 情報戦 にも勝利した後、太平洋方面ではアメリカ海軍を中心として情報組織の再編が行われた。このとき、太平洋艦隊情報参謀として数々の重要 暗号解読 に当たってきた エドウィン・T・レートン は太平洋艦隊司令長官 チェスター・ニミッツ に対して提案を行い、太平洋方面情報センター(ICPOA)が誕生した。JICPOAはその後、ICPOAを母体として既存の暗号解読組織などを統合して生まれ、太平洋方面司令官の任にもついたニミッツの指揮下にあった。これらの組織は、1943年2月に日本語翻訳の速成教育を受けた 予備 士官 20人を受け入れてから、日々その規模を拡大し続けていた。 第5艦隊 および両用作戦部隊は マリアナ諸島 を目標として エ

終戦時まで航空兵力による戦術より、大艦巨砲主義を主張し続けた、時代錯誤も甚だしい御仁です。この様な人が海軍大学校を首席で卒業されたとは、やはり成績評価では何の役にも立たない事を身をもって示してくれました。

福留中将のピンのずれ方は、それ以後も大いに発揮されて、見事、日本を敗戦に導いてくれました。しかし、もっと凄いのは戦後になってからも、自分がやらかして(特攻作戦推進論者)日本国民に多大な犠牲者を出しながら臆面も無く、海軍再建を目論見、旧海軍人で構成される水交会の理事などを務めている辺り、もはや呆れるを通り越して、尊敬の域であります。

さすが、海軍大学校首席、戦略戦術の神様です。

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Hēichuān zhìhàoさんのプロフィール写真

同じ行動指針の日本人は現代の企業に結構見られます

Yuyama Kentaroさんのプロフィール写真
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はい。身内に甘く、不適切な人事。手柄は召し上げ、不祥事は部下になすり付け。学歴優先で目に見えない差別と階級社会。いまでも帝国海軍株式会社は多数見受けますね。

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Shibuya Tomohiroさんのプロフィール写真

おぉ…弊社の機密内情を何故ご存知で…

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なんと、御社にもやはり福留参謀がおりましたか。その様な上司の下で働く部下はたまったものではありませんね。道連れで殉職などされぬ様、呉々ご留意のほど。

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はい、そんなわけもありまして転職が決定致しました。

まったく、そんな人間が上に行ってしまう組織も組織ですが、なにぶんそれが常(ムグッ …にまでなってしまうと、もう手の付けようがありません。

イエスマンで周りを固め、目上にはニコニコ、目下には理不尽な指示を行い、面倒くさいことは下任せ、その癖全てに首を突っ込まないと気が済まないという、典型的なダメ将官です。

会社もろとも道連れになる前に抜け出せて安心です😅

Yuyama Kentaroさんのプロフィール写真
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はい、福留参謀も下手をすれば免職か本来なら軍法会議モノですが、なんと不祥事の後に第二航空艦隊司令長官に栄転です。で、何をやったかと言うとさしたる戦術も編み出せないまま特攻作戦の推進です。その後の第二航艦のパイロット達の悲劇的な最期を考えると気の毒でなりません。貴殿も彼らの後を追う事無きよう、早くその様な組織から離脱される事をお勧め致します。行く末の、御武運をお祈り申し上げます。

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Rioyaさんのプロフィール写真

ここまで来ると清々しいですね。

Yuyama Kentaroさんのプロフィール写真
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そうなんですよ、どれ位ピンずれかというと、戦後、GHQの依頼で、戦争資料の編集(日米双方の記録の照合等)を行っていた大井(元)大佐を訪ねて、「あんな事実(機密文書紛失)はなかったんだよ、取り消せ」と言い放ったところ、大井大佐に「閣下、貴方が奪われた文書のコピーがここにありますよ、お帰りください」と言われたり。 また、福留の道ずれで遭難して行方不明になった古賀長官の未亡人を訪ねて「先日、長官の墓前に参ってきたが、東郷元帥や山本五十六大将の墓石と比べて粗末であるから、もっと立派な奴にかえましょう」と言ったところ「いいえ、古賀はあの様な最期を遂げて、なんらお国のお役にも立てておりません。そのままで結構…
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近藤 修司
戦犯として処刑されるに際して、一緒に絞首刑に処せられる人が天皇陛下にバンザイ三唱をと言われて、マンザーイマンザーイと言ってた元首相のことを思い出しました。
近藤 修司さんのプロフィール写真

しかしこのお写真、お人柄が偲ばれる名カメラマンの手によるものに間違いないと思われますね。いやぁ、ハンモックナンバーの1番ともなると、ピントのずれっぷりも桁違いなんですねぇ。

Yuyama Kentaroさんのプロフィール写真
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確かにそうですね!何故かどこか憎めない風貌からすると、戦後、映画やテレビでお茶の間を賑わしたコメディアンのようにも見えなく無いです。

こんな感じで、相変わらずピンぼけのトンチを聴かせていたんでしょう。

亡くなった大勢の部下の人達はたまったモンじゃありませんけれど。

近藤 修司
勉強が出来ても、それだけじゃダメなのに、成績がいいと出世してしまった帝国海軍の悲劇と喜劇の体現者ですよね。むべなるかなって感じです。
少弐雪丸(リクエスト即ブロック)さんのプロフィール写真

リアルフォーク…

Yuyama Kentaroさんのプロフィール写真
興梠 智一さんのプロフィール写真

どうしてこういう人が人の上に立てたのですか?

Yuyama Kentaroさんのプロフィール写真

単純です。兵学校の成績が良かったからです。

興梠 智一
いや、そういうことじゃなくて、例え成績が良くても、取り立てなければいい話です。

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