主唱:包美聖作曲:程滄亮
寒蟬凄切,對長亭晚,驟雨初歇。
都門帳飲無緒,方留戀處,蘭舟摧發。
執手相看淚眼,竟無語凝噎。
念去去千里煙波,暮霭沉沉楚天闊。
多情自古傷離別,更那堪冷落清秋節。
今宵酒醒何處,楊柳岸、曉風殘月。
此去經年,應是良辰好景虛設。
雨霖鈴
https://blog.goo.ne.jp/tiandaoxy/0?_=1718420705576
北宋20ー柳永 雨霖鈴
北宋19ー柳永
雨林鈴 雨林鈴 (上片八句)
寒蝉淒切
寒蝉(かんせん) 淒切(せいせつ)たり
対長亭晩驟雨初歇
長亭(ちょうてい)の晩(くれ) 驟雨(しゅうう) 初めて歇(や)むに対す
都門帳飲無緒
都門(ともん)に帳飲(ちょういん)して 緒(こころ)無く
留恋処蘭舟催発
留恋(りゅうれん)する処 蘭舟(らんしゅう) 発するを催(うなが)す
執手相看涙眼
手を執(と)り 相看(あいみ)て眼(まなこ)に涙し
竟無語凝噎
竟(つい)に語ること無く 凝噎(ぎょうえつ)す
念去去千里煙波
念(おも)う 去(ゆ)き去く 千里の煙波(えんぱ)
暮靄沈沈楚天闊
暮靄(ぼあい)沈沈(ちんちん)として 楚天(そてん)の闊(ひろ)きを
⊂訳⊃
秋の蝉 蜩の声はもの悲しい
日暮れの宿駅で やんだばかりの雨にむかいあう
城門に近い所で 酒を飲むが気分はのらず
なごりを惜しんでいると 船出の合図がある
手を取って見詰め合えば 涙はあふれ
なにもいえずに むせび泣く
思えばこれから 靄に包まれた千里の波の上をゆく
楚地の広い空に 夕靄は重く立ちこめているだろう
⊂ものがたり⊃ 乾興元年(1022)二月、真宗が五十五歳で崩じると、太子の趙禎(ちょうてい)が即位して第四代仁宗の世になります。仁宗の在位は四十一年に及び、宋は空前の繁栄期を迎えます。都汴京の街は活気にあふれ、さまざまな市民文化がめばえ、娯楽が栄えます。そんななか地方から出てきたひとりの若者が都会の文化に魅了され、詞の分野できわだった才能を発揮します。それが柳永(りゅうえい)です。
柳永(987?ー1053?)は崇安(福建省崇安県)の人。地方役人の家に生まれ、十代の末に科挙を受験するために上京しますが、都で市民文化に触れると歌や踊りに熱中するようになります。科挙に及第できず、楽人や歌妓のために詞をつくって流行作家になります。活躍は汴京にとどまらず、平江(蘇州)や杭州などに流寓し詩人としてもてはやされます。「詩は杜詩に学ぶべし、詞は柳詞を学ぶべし」といわれるほどでした。
仁宗の景裕元年(1034)、四十八歳のころ改めて進士に挑戦し、及第して工部屯田司員外郎になりますが、辞して野にもどりました。仁宗の皇裕五年(1053)ころに亡くなり、享年六十七歳くらいです。その墓は二三か所あり、評判の高さを物語っています。
詩題の「雨霖鈴」(うりんれい)は唐代からある曲の名で、詞は市民の好みを反映して長篇になり、慢詞と称されます。宴会などの場で音楽の伴奏つきで詠われるようになり、演劇的な要素をおびてきます。
「雨霖鈴」はある役人が転勤することになり、馴染みの妓女と別れて旅立つ場面を設定し、同じ曲で二節を歌う双調です。上片八句は前後二段にわかれ、それぞれの場面と思い入れを構成します。
「寒蝉」は秋の蝉、ひぐらしでしょう。「長亭」は十里ごとに置かれている官用の宿駅で、この語が出ると別れのイメージを誘うことになります。蝉の鳴く晩秋の宿舎、「驟雨」(にわか雨)が過ぎたばかりです。そこは「都門」(街の入口)に近い場末で、酒を飲んでも気勢があがりません。なごりを惜しんでいると出船の合図が聞こえてきたというのが前段です。後段はいよいよ別れのときが来たと手を取り合って「凝噎」(むせび泣く)します。そして行く先の楚地を思って溜め息をもらすのです。
雨霖鈴 (下片八句)
多情自古傷離別
多情(たじょう) 古(いにしえ)より離別(りべつ)を傷(いた)む
更那堪冷落清秋節
更に那(なん)ぞ堪えん 冷落(れいらく)たる清秋(せいしゅう)の節(せつ)なるに
今宵酒醒何処
今宵(こんしょう) 酒(さけ)醒(さ)むるは何(いず)れの処ぞ
楊柳岸暁風残月
楊柳(ようりゅう)の岸 暁風(ぎょうふう) 残月(ざんげつ)
此去経年
此(これ)より去りて 年(とし)を経(ふ)れば
応是良辰好景虚設
応(まさ)に是(こ)れ 良辰(りょうしん)好景(こうけい)も空しく設(もう)くべし
便縦有千種風情
便(すなわ)ち縦(たと)い 千種(せんしゅ)の風情(ふじょう)有りとも
更与何人説
更(さら)に何人(なんびと)と説(かた)らんや
⊂訳⊃
古来感性豊かな者は 別れに胸を痛めてきた
まして今は 寂しい秋の季節 どうして堪えることができよう
今宵酒が醒めるのは どんなところか
楊柳の岸辺 夜明けの風 沈みゆく月
時は流れて 歳月が過ぎれば
よい季節 よい眺めも 虚しいものになるだろう
無数の風情が わたしの前に現れようと
いったいそれを 誰と語り合えばいいのか
⊂ものがたり⊃ 下片の前段四句は、重ねて離別の感懐を詠いあげるもので、「多情」は感情が豊かで感じやすい人の意味です。感性豊かな者は昔から別れに心を痛めてきたが、「冷落」(もの寂しい)の秋の別れには堪えがたいものがあると嘆きます。
ついで、今夜、酒も醒めて着くところはどんなところだろうかと自問し、「楊柳の岸 暁風 残月」と三つの景をぽんぽんと打ち出します。この一句は柳永畢生の名句と称されており、鮮明なイメージ語を投げだして感情を盛りあげる柳永独特の手法です。
つづく四句はまとめの感懐です。時は流れ、いろいろな「良辰好景」(よい季節よい眺め)に出会っても、それは虚しいものに過ぎないといい、なぜならそのことを語り合う君がいないからだと結びます。この結びは親友との別れに用いる場合が多いので、別れの相手が妓女でなくても通用する仕組みになっています。観客を意識した表現であると見ることができるでしょう。
↧
↧
ティェンタオの自由訳漢詩 2196
May 25, 2015, 4:04 pm
≫ Next: ティェンタオの自由訳漢詩 2197
≪ Previous: ティェンタオの自由訳漢詩 2195
$
歌詞:
秋の蝉 ヒグラシの声はもの悲しい
日暮れの宿で 止んだばかりの雨と向かい合う
城門に近い所で 酒を飲むが気分はのらず
名残を惜しんでいるところに 船出の合図があった
手を取って見つめ合うと 涙は溢れ
なにも言えずに むせび泣く
思えばこれから もやに包まれた千里の波の上を行く
広い空に 夕方のもやは重く立ち込めている
昔から感性豊かな者は 別れに胸を痛めてきた
まして今は 寂しい秋の季節 どうして堪えることができるだろうか
今宵酒から醒めるのは どんなところか
柳の岸辺 夜明けの風 沈みゆく月
時は流れて 歳月が過ぎれば
よい季節 よい眺めも 虚しいものになるだろう
無数の風情が わたしの前に現れようと
いったいそれを 誰と語り合えばいいのか
幼稚園や小学校時代に習った詩は、大体意味も大して分からず、親や先生に無理矢理暗誦させられたものばかりですので、大人になっても、どうも心に来ないです。
思春期になってから、ホルモンのせいか感情が突然敏感になり、そこで出会ったのはこの柳永の「雨霖铃」。
そっと来ました。
寒蝉淒切,
對長亭晩,
驟雨初歇。
都門帳飮無緒,
留戀處,
蘭舟催發。
執手相看涙眼,
竟無語凝噎。
念去去千里煙波,
暮靄沈沈楚天闊。
多情自古傷離別,
更那堪、冷落清秋節。
今宵酒醒何處?
楊柳岸、 曉風殘月。
此去經年,
應是良辰好景虚設。
便縱有千種風情,
更與何人説。
自分の下手な日本語で訳すのは絶対無理なので、Yahoo日本で調べたらこの日本語の訳文がありました。
◆訳文:
長引く蝉の鳴き声が続き、寒さを帯って来くことになり、
なんとも言えない寂さをわたしに襲ってくるのだ。
夕日の光に対面にして、別れの長亭が眼の前に映っていた。
大雨が突然に止んで、都門の外の帳幕の中で餞別の宴が開かれる。
しかし、こんな別れ際の宴会にあたって、却って、わたしが食欲と
話をする気持ちさえが出てこなかったのだ。もっとこの餞別の場を
用いて、別れの話をどんどん話そうと思ったけれども、舟を操る
人からの話しによると、舟がそろそろ出航するところであった。
この時こそ、彼女の手を握って、二人は涙がぼろぼろ
落ちっていく、悲しさのあまりにお互いに言葉さえ出てこなかったのだ。
ここから、別れて行くと千里の遠い川の向こうに煙と波だけが
あって、夕暮れの川の上では、見えるのが広い灰色の空だけのであった。
情が深いわたしは、いつも別れのために悲しまれ、さらに
これほど侘しい秋の季節に遭われた。今晩には、酒の酔いから
眼が醒めた時にわたしがいったい、どこに身を置かれるのであろうか、
さぞ、ご想像がつくでしょう、それは、楊柳が多く垂れている
川の向こうの岸辺にいって、暁の風が清清しく吹いて来るところにいたのであろう。
今晩の別れは、おそらく再会するまでの歳月が結構
長引くのであろうか、お互いに別れている期間中には、いくら
素晴らしい季節と美景に遇われても、わたしがなにもかも
季節と美景を楽しむ気持ちが出てこないであろう、まさに
これらの美景は、虚設されたの無用長物の如く、わたしには、
例え、心の中にいくらの情話が有っても、話を聞いてくれる
あなたのような相手がいなかったので、どうやって話すの
であろうか、また、誰に向けて話すのであろうか?
引用元:宋詞--柳永--雨霖鈴 - 枕草子-まくらのそうし
沒有留言:
張貼留言
注意:只有此網誌的成員可以留言。