会议决定将马来、苏门答腊、爪哇、婆罗洲和西里伯斯作为帝国领土,并将其作为重要的资源来源,努力尽可能地开发这些领土,掌握人民的意愿。换言之,大致相当于今天马来西亚和印度尼西亚的地区将被纳入日本领土。 这显然与 "尊重独立和自立 "等相冲突。

2019.12.08

「絶対に勝てるか」“抹殺できなかった公文書”が伝える昭和天皇の大声
残された重要史料が今に教えるもの

08.12.2019.

我们还能赢吗?""无法抹去的官方文件 "讲述了昭和天皇的大嗓门。
残存的重要历史文献对我们今天的启示
辻田政则简介
太平洋的海面依然开阔!

众所周知,1941 年 9 月 5 日,在亚洲和太平洋战争即将爆发之际,昭和天皇斥责了前参谋总长杉山元。

起初,昭和天皇问杉山是否有信心陆军能够在合理的时间内解决日美问题。 杉山回答说:"只有在南海地区,大约需要三个月"。

昭和天皇对此并不满意,继续追问道:"你是当时的陆军大臣吗? 第二次甲午战争时,您是陆军大臣。 当时,作为陆军大臣,我记得你说过,事变大约一个月后就会结束。 然而,已经过去了四个年之久,还没有解决吗?

面对严厉的质问,杉山惊恐万分,喋喋不休地表示,由于中国内地的开放,他无法按计划实施行动。 昭和天皇对此不耐烦了,第一次发表了鼓励性的言论。

如果中国内陆如此之大,那么太平洋不是更大吗? 你说三个月有什么把握?"

杉山无法回答,站在旁边的大日本皇军总参谋部参谋长长野大佐美搀扶着他说:"从总参谋部的角度,我想说......"。

在另一份历史文献中,他问道:"我们一定能赢吗?
以上是时任首相近卫文麿回忆录中的一段对话(摘自《近卫文麿回忆录集》。 (引文中的一些注释有所改动。 下同)。

对了,你知道这一幕还有另一种历史记录吗?
杉山本人的记录就是这样一个例子。 更确切地说,总参谋部战争指导小组(第 20 组)的历任负责人就杉山向他们传达的内容进行了访谈,然后将其撰写和整理,现在以《杉山备忘录》的形式出版。

谈话内容与《近卫备忘录》略有不同。

昭和天皇确实对杉山说:"你认为能按计划进行吗? 你当大臣时,你說蒋介石他会马上来,但他还没有来。 但是,他后来说的那句狠话 "太平洋不是更宽阔吗 "却没有记录。

难道他没有将自己被昭和天皇撂倒的尴尬场面告知下属吗?

另一方面,也有《近卫回忆录》中没有的描述。

昭和天皇大声问道:"我们能赢吗? 长野回答说:"我不能说绝对能",但又回答说:"即使我们实现了半年或一年的和平,但如果随之而来的是国家危机,那就不好了。

据说昭和天皇大声回答:"啊,我明白了"。

第二天(9 月 6 日),帝国会议通过了《帝国国策执行方针》,其中特别指出:"对美、英、荷战争决不松懈,一般在 10 月底前完成战争准备。

会议结束时,昭和天皇吟诵了明治天皇的诗句:"茫茫黑夜海,海风吹世间"。 这一般被认为是和平意志的表达。

如果是这样的话,那么 "啊,我明白了 "的声音可能并不意味着同意爆发战争。

杉山被戏称为 "厕所门",因为他没有自己的意志,一推就动;而长野则被戏称为 "懒将军",因为他经常在会议上打瞌睡(他在幕后说这是因为他有一个年轻的第二任妻子)。

昭和天皇的大嗓门可能是他对这两个人的不满。

逃过焚烧的重要文件
然而,包括《杉山备忘录》原件在内的重要文件与其他官方文件一样,本应在战争结束后被焚毁。

然而,经陆军部高级官员山田重俊大佐的许可,陆军省军务课少尉中根五一(Goichi Nakane)将这些文件秘密带回家,装入鼓中,埋入地下,从而避免了销毁。

随后,这些文件被分门别类地存放在不同的地方,最后于 1960 年 6 月移交给防卫厅防卫训练所军事历史室。

这份档案的一部分后来作为《杉山备忘录》出版。 备忘录的其他部分也作为《战败记录》和《秘密战争日记》出版,这两本书都是研究昭和历史不可或缺的资料。

熟悉昭和历史的人都知道上述内容,但当我在推特上提到最近官方文件管理不善的问题时,却引起了意想不到的反响。 我想,这或许对今天有一些借鉴意义,所以又写了这篇文章。

揭示 "大东亚共荣圈 "的真相
我想从 "杉山备忘录 "中再摘录一条有价值的记录,并反思我们拥有官方文件是多么幸运。

1943 年 11 月,大东亚会议在东京召开。 东条英机首相、中华民国总统汪兆銘、满洲国总理张景惠、泰国总理万维-塔耶空、菲律宾总统劳雷尔和缅甸总理巴莫乌,以及自由印度临时政府领导人钱德拉-博斯作为观察员出席了会议,并通过了《大东亚联合宣言》。

这份宣言宣布 "大东亚国家 "共存共荣、尊重独立、消除种族歧视,至今仍受到一些人的高度评价。

然而,看一看 "杉山备忘录 "中的 "大东亚政治和战略指导纲要",就会发现其中的隐情。

大东亚战略方针》是同年 5 月 31 日帝国会议决定的 "大东亚 "地区的基本政策。 召开大东亚会议的决定也是在此基础上做出的。

会议内容包括菲律宾独立,同时宣布一些被占领土为 "帝国领土"。

 会议决定将马来、苏门答腊、爪哇、婆罗洲和西里伯斯作为帝国领土,作为重要的资源来源,应尽可能加以开发,并利用这些领土了解人民的意愿。
换句话说,大致相当于今天马来西亚和印度尼西亚的地区将被纳入日本的领土。 这显然与 "尊重独立和自力更生 "等原则相悖。

因此,上述条款必须保密,"暂不公布"。 这段话与其说是千言万语,不如说是 "大东亚共荣圈 "的现实写照。

大东亚联合声明》今天只得到部分重视,也与这些历史文件有关。

重要的政治记录以某种形式保留了下来。
中国古典名著《春秋左传》中有这样一个故事。

春秋时期,齐国的崔梭杀死了庄公。 史书记载为 "崔梭崔杼弑弑す"。 弑す "的意思是杀死自己的君主。

崔杼大怒,杀死了这位官员。 然而,他的弟弟继承了他的职位,并再次记录道:"崔杼弑す,庄公弑す"。 崔杼又杀了史官。 然而,他的弟弟继任为新的大臣,也记载了 "崔杼弑"。 就是这个崔杼,最终放弃了伪造记录......
无论如何抹杀,重要的政治记录总会以这样或那样的形式遗留下来。 之所以人们经常提到《奏议》中的这一段话,正是因为它指出了这样一个真理。

当然,我们并不是说官员被杀也要记录。 即使没有这种责任感,也会留下一些记录。 因为如果记录被完全销毁,政客/上司就有可能追究官僚/下属的责任,说是他们自己干的。

即使官方文件本身被完全销毁,负责人为保护自己而写的备忘录、日记和草稿也可能在多年后被发现。

即使在战争结束时也无法销毁的官方文件的存在给了我们希望。 即使将来出现的 "档案 "对眼前的颠覆活动没有用处,但从长远来看,它们肯定会对后代有用。
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「太平洋はなお広いではないか!」

アジア太平洋戦争の開戦へ突き進む中、昭和天皇が杉山元参謀総長をこのように叱責したことはよく知られている。1941年9月5日のことである。

昭和天皇ははじめ、杉山に「日米事起こらば、陸軍としては幾許の期間に片づける確信ありや」と質問した。これに杉山は、「南洋方面だけは3ヶ月くらい」と答えた。

これに満足しなかった昭和天皇は、続けて問うた。「汝は支那事変[日中戦争]当時の陸相なり。その時陸相として『事変は1ヶ月くらいにて片づく』と申せしことを記憶す。しかるに4ヶ月の長きにわたり、いまだ片づかんではないか」。

厳しい追及を受けた杉山は恐懼(きょうく)して、「支那は奥地が開けており、予定どおり作戦し得ざりし事情」をくどくどと弁明した。これにしびれを切らした昭和天皇は、励声一番、最初に引いた発言を行ったのである。

「支那の奥地が広いと言うなら太平洋はなお広いではないか。如何なる確信あって3ヶ月と申すか」

杉山はこれに答えられず、隣にいた永野修身軍令部総長に「統帥部として大局より申し上げます……」と助け舟を出してもらったのだった。

別の史料では「絶対に勝てるか」と質問
以上は、当時の首相・近衛文麿の手記に見えるやり取りである(『近衛文麿手記集成』より。なお引用にあたって、表記を一部改めた。以下同じ)。

ところで、この場面を記録した別の史料があることを知っているだろうか。


杉山自身の記録がそのひとつである。より正確には、歴代の参謀本部戦争指導班(第20班)長が杉山の伝達事項を聞き取り、浄書・整理したもので、今日『杉山メモ』というかたちで公刊されている。

これを読むと、会話の内容が近衛手記と微妙に異なっている。

たしかに昭和天皇は、杉山にたいして「予定通り出来ると思うか。お前の大臣の時に蒋介石は直ぐ参ると云うたが、未だやれぬではないか」と同じ主旨の質問をしている。だが、その後の「太平洋はもっと広いではないか」という厳しい発言は記されていない。

昭和天皇にやり込められた恥ずかしい場面は、部下に伝達しなかったのだろうか。

そのいっぽうで、近衛手記にない記述も見られる。

昭和天皇は、大声で「絶対に勝てるか」と質問した。これに対して、永野が「絶対とは申し兼ねます」と言いながらも、「半年や1年の平和を得ても、続いて国難が来るのではいけないのであります。20年、50年の平和を求むべきであると考えます」などと答えた。

昭和天皇はこれに対して、やはり大声で「ああ分った」と答えたという。

この翌日(9月6日)、御前会議で「対米、(英、蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す」などとする「帝国国策遂行要領」が可決された。

その会議の最後、昭和天皇は「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という明治天皇の御製を詠んだ。これは一般に平和への意志を示したとされている。

とすれば、「ああ分った」という声も、開戦同意の意味ではなかったのだろう。


杉山は、自分の意志がなく、押したほうに動くことから「便所の扉」とあだ名され、永野も、会議でよく居眠りしていた(若い後妻をもらったためと陰口された)ことから「ぐったり大将」とあだ名されていた。

昭和天皇が大声になったのも、こんなふたりへの苛立ちのあらわれだったのかもしれない。

焼却処分をまぬかれた重要文書
それはともかく、実はこの『杉山メモ』(の原形)を含む重要文書は、ほかの公文書と同じく、終戦時に焼却処分されるはずのものだった。

ところが、陸軍省軍務課庶務将校・中根吾一少尉が、高級課員山田成利大佐の許可を得て、これを密かに自宅に持ち帰り、ドラム缶につめて地下に埋めたことで、焼失をまぬかれた。

その後同文書は、各地で分割保管されるなどしながら、最終的に1960年6月以降、防衛庁防衛研修所戦史室にすべて移管された。

そしてこの史料群の一部が、のちに『杉山メモ』として公刊されるにいたったのである。なお同書以外の部分も、『敗戦の記録』『機密戦争日誌』として公刊されており、いずれも昭和史の研究に欠かせないものとなっている。

以上は、昭和史に通じたものにはよく知られたことだが、過日、昨今の杜撰な公文書管理に絡めてツイッターで言及したところ、思わぬ反響を引き起こした。そこで、今日に教えるところもあろうかと思い、あらためて記した次第である。

「大東亜共栄圏」の実態を明らかに
もうひとつ『杉山メモ』から貴重な記録を取り上げて、公文書が残された有り難みを噛み締めておきたい。

1943年11月、東京で大東亜会議が開かれた。東条英機首相、中華民国の汪兆銘行政院長、満洲国の張景恵国務総理、タイのワンワイタヤーコン首相名代、フィリピンのラウレル大統領、ビルマのバモオ首相が参加し、さらにオブザーバーとして自由インド仮政府のチャンドラ・ボース首班が陪席し、「大東亜共同宣言」が採択された。

この宣言については、「大東亜各国」の共存共栄、自主独立の尊重、人種差別の撤廃などをうたったことから、現在でも高く評価する声がないではない。

だが、『杉山メモ』に収録された「大東亜政略指導大綱」を見ると、その裏事情が浮かび上がってくる。

「大東亜政略指導大綱」は、同年5月31日の御前会議で決定された「大東亜」地域に関する基本方針である。大東亜会議の開催も、これにもとづいて決定されたものだった。

その内容を見ると、フィリピンの独立などを打ち出すいっぽうで、一部の占領地については「帝国領土」とする決定が下されている。

 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給源として極力之が開発並に民心の把握に努む。
つまり、現在のマレーシアやインドネシアにほぼ相当する地域を、日本の領土に組み込むとされていたのである。これは明らかに、「自主独立の尊重」などと相反するものだった。

だからこそ、上記の条項は「当分発表せず」と秘匿されなければならなかった。千言万語を尽くすより、この箇所は「大東亜共栄圏」の実態をよく示してくれている。

今日「大東亜共同宣言」が一部でしか評価されていないのは、こうした史料も関係しているのである。


大事な政治的記録は何らかのかたちで残る
中国の古典『春秋左氏伝』に、こんな話が載っている。

春秋時代、斉の崔杼(さいちょ)が荘公を殺した。史官はこれを「崔杼、荘公を弑(しい)す」と記録した。「弑す」とは主君を殺すという意味である。

怒った崔杼はこの史官を殺した。ところが、その弟が史官を継いで、また「崔杼、荘公を弑す」と記録した。崔杼はふたたび史官を殺した。それなのに、またその弟が史官を継いで、やはり「崔杼、荘公を弑す」と記録した。さすがの崔杼も、ついに記録の改竄を諦めた――。
どんなに消そうとしても、大事な政治的記録は何らかの形で残されてしまうものなのである。この『左伝』の箇所がたびたび参照されるのは、そうした真実を衝いているからにほかならない。

もちろん、「役人は殺されても記録せよ」と言いたいのではない。そんな使命感に訴えなくても、何らかの記録は残されるだろう。というのも、記録を完全に破棄してしまうと、政治家/上司に「官僚/部下が勝手にやった」などと責任を押し付けられるリスクがあるからだ。

仮に公文書自体は完全に処分されているとしても、担当者が身を守るために記したメモや日記、下書きなどは数年後に出てくるのではないか。

終戦時にさえ抹殺できなかった公文書の存在は、そんな期待をわれわれに抱かせてくれる。そして未来に出てくるであろう「史料」は、目の前の倒閣運動には役立たなくても、長い目で見たとき、かならず後世のひとびとの役に立つはずである。



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