負け組、バツイチ、アラフィフおやじです。趣味は寒いおやじギャグを言うことと、外国語のモノマネです。座右の銘『適当』 好きな言葉『千のため息、千の涙、千の反乱、千の希望』(クルドの古詩より)
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いまこそ読みとく 太平洋戦争史 | 諏訪正頼 |本 | 通販 | Amazon(アーク出版)
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我想從盡可能中立的角度來闡述這一點。
這是因為參加2月26日事件的年輕軍官認為高級諸侯是自己這邊的「軍師官」。
「君側之臣」是指站在統治者一邊,隨心所欲地操縱統治者,導致統治者做壞政的惡作劇的臣屬(壞臣屬或下屬)。 。
由於1927年的昭和大蕭條(昭和2年)和1929年的世界大蕭條(昭和4年)的雙重打擊,日本經濟陷入最低谷。
用現代的話來說,我認為它與1990年代泡沫經濟的破裂和2009年雷曼危機的影響是一樣的。
據說,2月26日事變發生時,日本經濟還沒有從1936年(昭和11年)的衰退中完全恢復過來。
城市裡到處都是失業人員,農村的女孩被賣去當妓女(妓女基本上都是在紅燈區出賣身體的人)。
在製造2月26日事變的年輕軍官部隊中,有許多來自農村的士兵。
士兵們的家鄉寄來的信說,他們的姐姐或姐姐被賣了,他們甚至無法為弟弟準備午餐去學校。
甚至有一封來自士兵父母的信說:「如果你死了,政府會給你撫卹金(簡而言之,請為你的家人而死)」。
看來,讀過這些信的年輕軍官們都深受震撼。
另一方面,據說當時有幾位政治人物不顧民眾的困境,與三井、三菱等企業集團勾結,取得巨額利益。
看到這一現狀的年輕軍官們表示:“現在的日本已經腐爛了。”幕後黑手就是天皇陛下的高級侍從「君臣騙子」。因此,有必要消滅他們,建立一個平等公正的日本,由天皇陛下直接統治日本。
順便說一句,北一樹寫了一本名為《日本改革論》的書,對這些年輕軍官的想法影響很大。
隨後,年輕軍官們率領超過2,000名士兵,發動了2月26日事變(他們稱之為起義)。
他們殺死了高級封臣並佔領了東京市中心,包括兵省和警視廳。
然而,當昭和天皇接到這份報告後,卻勃然大怒。
昭和天皇命令軍隊鎮壓這次襲擊,並說:“殺死我的高級諸侯,就像用棉絮勒住我的脖子一樣。”
最終,僅僅幾天后,年輕軍官們就命令他們的部隊撤退。
其中大多數被軍事法庭判處死刑。
這裡的問題是,他們殺死的高級封臣是否真的是國王的暴徒。
我個人認為,這是年輕軍官的誤解。
例如,差點死裡逃生的首相岡田圭介(前海軍退伍軍人)就是一個誠實的人,即使在成為首相後,他的生活方式也很簡單(我們正在努力尋找解決方案)。
此外,被暗殺的財務大臣高橋是清採取了各種經濟措施來幫助日本擺脫衰退,結果在2月26日事件發生時經濟處於復甦趨勢。
考慮到這些事實,毫無疑問,這起事件是年輕軍官們「讓日本成為一個更好的國家」的理想所造成的,而不是出於個人利益的動機。
不過,正如我已經說過的,我不認為那些高級封臣是你們這邊的騙子。
仔細想想,我認為昭和天皇對年輕軍官的憤怒是可以理解的。
對了,1989年,根據2月26日事件拍攝了一部名為《226》(剛車英夫導演)的電影,可以說是對年輕軍官的歌頌。
如果您願意,請查看我部落格上有關 2 月 26 日事件的文章。
出来るだけ中立的な視点から、述べたいと思います。
二・ニ六事件に参加した青年将校たちは、重臣たちを『君側の奸(くんそくのかん)』であると考えていたからです。
君側の奸とは、 君主の側で君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような奸臣(悪い家臣・部下)、の意味の表現で、「 君側」は主君の側、という意味になります(「実用日本語表現辞典」より引用)。
1927年(昭和2年)の昭和恐慌と1929年(昭和4年)の世界恐慌のダブルパンチの影響で、日本の経済と景気はどん底の状態でした。
現代で言えば、90年代のバブル崩壊と、2009年のリーマンショックが相次いで起こったくらいのインパクトであったと思います。
二・ニ六事件が起きた1936年(昭和11年)の日本経済は、まだその不景気から完全に回復していなかったと言われています。
街には失業者があふれ、農村では娘たちが娼妓として身売りされました(娼妓とは要するに遊郭などで、体を売る仕事です)。
二・ニ六事件を起こした青年将校の部隊には、農村出身の兵士が多数いました。
兵士たちの故郷から送られた手紙には『姉または妹が身売りに出された』『弟に学校に持たせてやる弁当も用意することができない』と言ったことが書かれていました。
中には兵士の親から『お前が死んでくれれば、国から恩給がもらえるんだが(要するに家族のために、死んでくれということです)』といった手紙までありました。
それらの手紙を読んだ青年将校たちは、大変なショックを受けたそうです。
一方、当時の政治家の中には、国民のそのような苦境をよそに、三井・三菱といった財閥と癒着して莫大な利益を上げていたものが複数いたそうです。
この現状を見た青年将校たちは、『今の日本は腐っている。この元凶は天皇陛下のお側にいる重臣たち“君側の奸”である。よって彼らを排除し、天皇陛下が直接日本を統治する、平等で公平な日本を創る必要がある』と考えたのが、彼らが二・ニ六事件を起こした理由であると言えます。
ちなみに青年将校たちのこのような考えに、多大な影響を与えたのが、『日本改造論』という本を書いた北一輝という人物です。
そして青年将校たちは2千人以上の兵士を引き連れ、二・ニ六事件を起こしました(彼らは決起と呼びました)。
彼らは重臣たちを殺害し、陸軍省や警視庁など、東京の中心部を占拠します。
しかしこの報告を受けた昭和天皇は、激怒します。
昭和天皇は『朕の重臣たちを殺害するとは、朕の首を真綿で絞めるのに等しい行為である』と言って、陸軍に鎮圧を命じます。
結局、青年将校たちはわずか数日後に、部隊に引き上げを命じます。
そして彼らの大半は、軍事裁判で死刑判決を受けます。
ここで問題になるのは、彼らが殺害した重臣たちは果たして本当に君側の奸であったかという点です。
私個人はどうも青年将校たちの誤解ではないかと思います。
例えば九死に一生を得た、首相の岡田啓介(海軍出身)は清廉潔白な人物で、暮らしぶりは首相になってもとても質素なものだったそうです(ちなみに岡田は太平洋戦争中、戦争の早期解決のため奔走します)。
また暗殺された大蔵大臣の高橋是清は、不況に苦しむ日本を救うべく様々な景気対策を行い、その結果二・ニ六事件の時点では景気は回復傾向にありました。
これらのことを鑑みますと、青年将校たちの『日本をより良い国にしたい』という理想から事件を起こし、私利私欲によるものでないことは、ほぼ疑いはないと思われます。
ですが既に述べましたように、重臣たちは君側の奸ではなかったと思います。
そう考えると、昭和天皇の青年将校への怒りは、当然と言えるのではないかと思います。
ちなみに1989年にこの二・二六事件を題材にした映画「226」(五社英雄監督)が製作されましたが、かなり青年将校たちを美化した内容だと言えます。
よろしければ二・二六事件について、私のブログで触れている記事もご覧ください。
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