國民黨1949撤退來台後,考慮的是保衛大台灣。為何後來穩定後,又改喊反攻大陸呢?

日本戰敗後,

喊出保衛日本婦女貞操,推出日本慰安婦服務美軍。

喊出保衛美國,忘記戰敗,重振經濟。

國民黨一直忘不掉過去的大中華,結果連台灣也保不住。

國民黨1949撤退來台後,

考慮的是保衛大台灣。

為何後來穩定後,

又改喊反攻大陸呢?

國民黨怕失去來台軍民支持的信心,改喊反攻大陸。結果,現在連台灣也保不住!

保衛大台灣歌詞如下:

「保衛大台灣,保衛大台灣,保衛民族復興基地,保衛民主自由的樂園,萬眾一心全體動員,團結一致支援前線,打倒蘇聯強盜,消滅共匪漢奸,只有勇敢向前!」

反攻大陸去:

反攻、反攻、反攻大陸去! 反攻、反攻、反攻大陸去! 大陸是我們的國土、大陸是我們的疆域, 我們的國土、我們的疆域, 不能讓毛賊盡著盤據,不能讓俄寇盡著欺侮。 我們要反攻回去、我們要反攻回去, 反攻回去!反攻回去! 把大陸收復!把大陸收復!

反共抗俄歌,後改稱反共復國歌

打倒俄寇,反共產,反共產; 消滅朱毛[b],殺漢奸,殺漢奸; 收復大陸解救同胞,服從領袖完成革命; 三民主義實行,中華民國復興; 中華復興,民國萬歲,中華民國萬萬歲。

轉念、轉向才是戰後日本經濟復興的原因

“我们曾是牺牲品的时代”——学徒出征80周年 壮行会 答辞的真相

川岛先生 “当游行开始时,现场响起‘哇’的一片欢呼声,看台上的女学生们齐声高唱《海ゆかば》时,我的心情是复杂的,既有喜悦,也有悲伤,还有无力感。学生代表以‘我们是为了国家’为题发表答辞,起初声音低沉悲壮,但逐渐变得热情高涨。我完全感同身受,我们正处于‘牺牲的时代’,为了后代的年轻人,我们只能不惜一切代价奉献生命和身体,这种悲壮的决心。”

江桥先生(2016年证言) “那卷纸不是我写的。虽然有人说‘你来当代表’或‘去写代表的演讲稿’,但实际上是学生委员会的老师们修改后交给我。我最初写的是‘我会精神饱满地去’之类的话。”

新藤浩伸准教授 “当时的教师们,即便在战时,也怀着作为研究者的信念,或是类似父母般的心意,希望学生们在大学期间至少能专心学术,尽可能引导他们投入学习并保护他们。然而仅靠教师们的力量无能为力,这或许就是80年前全国范围内举行那样仪式,并修改答辞的原因吧。”

川岛先生 “在学校里,我们被教导说‘为了杀死敌人,不择手段,自己的生命要自己处理’。成为战俘意味着玷污祖先的名誉,所以活着是没有意义的。保卫日本意味着我活着就是保卫,这是理所当然的,是一种对死亡的淡然态度,所以并不害怕。现在回想起来,真是可怕。”

川岛先生 “得知战争结束时,因为被灌输日本会胜利的观念,虽然对失败感到遗憾,但想到每天的轰炸终于停止,也感到一丝轻松,各种情绪交织在一起。然而战后,当时日本有很多士兵认为‘我们并没有完全失败’,‘真正的战争才刚刚开始’,他们告诉我‘要保护美国’。就在不久前,我在明治神宫外苑为东条英机举行阅兵式时,还挺着胸膛流着泪宣誓要保卫国家,没想到几年后却要保护美国,这到底是怎么回事呢?即使活了下来,那也是悲惨的青春。”

「我々は捨て石の時代だった」学徒出陣80年 壮行会 答辞の真実

川島さん 「行進が始まると『わー』っと大歓声があがり、スタンドの女子学生が『海ゆかば』を大合唱したときの気持ちは、嬉しかったり、悲しかったり、情けなかったりと複雑だった。学生の代表が『われわれは国のために』と答辞をして、最初は悲壮な声が低かったけど、だんだんと燃えるような声になっていったのを覚えている。全くの同感で、われわれは『捨て石の時代』であとの時代の若い連中のためにわれわれが命も体も全部投げ打っていくしかないという、悲壮な覚悟だった」

江橋さん(2016年の証言) 「あの巻紙は僕が書いたんじゃないんだよ。『おまえが代表をやれ』とか『代表の文章作ってこい』と言われたけど、学生委員の先生方が添削したものを僕に渡したんだ。(最初に書いたのは)『元気で行ってきます』っていうようなもんです」

新藤浩伸准教授 「あの当時の教師たちは、戦時下にあっても大学にいる間はせめて学問に打ち込んでもらおうという研究者としての信念、あるいは親心のようなものがあって、できるだけ学生を学問に向かわせてあげたい、守ってあげようという思いがあったと想像できます。それでも教員たちだけではどうしようもなく、それが80年前に国全体であのような儀式を行い、そしてその答辞にも手を加えるということになったのではないか」

川島さん 「学校では『敵を殺すためには何でも手段を選ばない、そして自分の命は自分で処理しろ』と言われましたね。捕虜になるということは先祖に泥を塗ることだから生きていけないと思え、と。日本の国を守るっていうことは俺自身が生きていることであり、守るの当たり前だっていう死の諦観というのか、怖くないんだね。いま思うと恐ろしいよ」

川島さん 「終戦を知った時は、日本が勝つという気にさせられていたので、負けたことへの悔しさはあったが、毎日あった爆撃がもうこないと思うとほっとする部分もあり、いろんな感情がミックスした気持ちだった。ところが敗戦後、当時日本には『完全に負けたんじゃない』、『これからが本物の戦争だ』という兵隊がいっぱいいたので、その連中からアメリカを守ってなさいと言われたんです。ついこのあいだ神宮外苑で東条英機の前で行軍して胸張って涙流して国を守るとやってたのが、数年も経たないうちにアメリカを守れと、どういうことになっているだと思いましたね。生き残っても悲しき青春でした」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231031/k10014241911000.html

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