Isabella Lucy Bird:
『日本奥地紀行』では当時の日本をこう書いている。
私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている[17][18]
他には新潟を「美しい繁華な町」としつつも、県庁、裁判所、学校、銀行などが「大胆でよく目立つ味気ない」としたり[19]、湯沢を「特にいやな感じのする町である」と[15]記したり、また黒石の上中野を美しいと絶賛したりしている[20]。
他方、「日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない。日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである[21]」、また「日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱弱しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きつき、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である[注釈 1]。」と日本人の人種的外観について記している。
なおアイヌ人については「未開人のなかで最も獰猛」そうであるが、話すと明るい微笑にあふれると書いている[23]。
ほかにもホザワ(宝坂?)と栄山の集落について「不潔さの極み」と表し、「彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことは全くない。
しかし、私が日本人と話をかわしたり、いろいろ多くのものを見た結果として、彼らの基本道徳の水準は非常に低いものであり、生活は誠実でもなければ清純でもない、と判断せざるをえない[24]」と阿賀野川の津川で書くなど、当時の日本の寒村における貧民の生活について、肯定的な側面と否定的な側面双方を多面的に記述している。
沒有留言:
張貼留言
注意:只有此網誌的成員可以留言。